番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

辺境遊戯 番外編

星と金貨

written by 渡来亜輝彦
 
 風が渡る。
「いつ見てもすごいよなあ!」
 草原の背丈の大体そろった草が、ざあっと風で反り返るのを見ながら、ファルケンは嘆息をもらした。マジェンダの草原を通るのは、これで何度目だろうか。それでも何度見ても、この草原の広々とした世界は、爽快そのものだった。まるで、縛りを感じさせない、広い広い世界である。ファルケンはこの乾燥した土地が好きだった。
 背丈は二メートルほど、この草原の草の色に少し似た、緑がかった金色の髪を持つファルケンは、肩まである髪を風に遊ばせながら、そこに立ち止まった。碧色の目に太陽の光が映る。頬には、赤い顔料で複雑な紋様が描かれているが、それは彼を少し強面にみせていたかもしれない。
 この草原に住むものは、一生を旅に生きる。それが自然の姿としてあるこの草原の姿を、ファルケンはもしかしたら好きなのかも知れないと思う。
 街にいると、死ぬまで行くあてのない旅をする自分がひどく哀れになる。だが、ここは皆が旅をしている。きっと、死ぬまで旅を続けるに違いない。自然の姿で旅に住み着いているこの草原の遊牧民を見ていると、ファルケンは何となく元気付けられる気がするのである。
「さてと、今日はどこまで行こう。」
 ここのところ五年ほどは、ずっと一人旅が続いている。最初は、何となく心もとなかったが、一人の方が気が楽だという事もある。旅慣れてきた事も関係するのだろうが、以前ほど気にかからなくなった。人の世の中で旅をするということは、森の中で暮らすよりも、よほど得ることが大きい。もちろん、いいことも悪い事もごちゃまぜだが、ファルケンはそれを総合して、人間の世界も捨てたものではないと思い始めてきていた。
 横を羊の群れが通る。ここの民が放牧しているものなのだろう。ファルケンは、のんびりとあるきながら、今日はどこに泊まろうかと思いをめぐらせていた。
 そのとき、後ろから子供の高い声が聞こえた。
「邪魔邪魔! そこどけよ!」
「ん?」
 気づいて振り返ったとき、そこには頭に布を巻きつけた黒髪の少年がすごい勢いで走ってきていた。手には曲がってぼろぼろになった金属製のバケツを下げている。何となくぼーっとしていたファルケンは、この急な襲来に驚いて、一瞬動きが遅れる。
「…いっ!」
 少年が、慌てて避けたのでファルケンとはぶつからずにすんだが、少年の下げていたバケツが、ちょうど振り回しざまにファルケンの膝にすかーんと当たった。しかも、ちょうどバケツの角である。ファルケンは真っ青になった。弁慶の泣き所、と人は呼ぶ、ちょうどその一番痛い場所に直撃をくらったようだ。慌てて片足をあげて、そこをおさえていると向こうで、ちょうどさっき彼にぶつかった少年がいらだったような口調で吐き捨てた。
「どこ見て歩いてんだよ! バーカ!」
 十にはなっていないだろうが、口のききかたはずいぶんと生意気だ。足も結構速い。たったか走って、やがて彼の姿は見えなくなった。
「な、なんだよ、あいつ…」
 温厚なファルケンもこの仕打ちには少し腹を立てる。馬鹿などというのは言われなれているが、それにしても向こう脛を当てられて涙が出そうなほど痛い目に合わされつつ、そんな言葉を子供から言われる筋合いはなかった。(口の利き方のなってないガキ)などと思わず、柄にも合わないことをファルケンが思っても仕方のないことなのである。
 しかし、基本的にファルケンは相手を叱るつもりはなかった。この数日前、近くの賭博場にひっぱりこまれて、いかさま博打にひっかかり、危うくスッテンテンになるところを必死で逃げてきたファルケンにとっては、子供にぶつかられたぐらい、大した事故でもなかった。
(最近、なんだかついてないような気がするなあ。)
 思いながら、そのまま道を行く。先ほどの少年は、ずいぶんと足が速いらしくすでに遠くのほうに小さく見えているだけだった。

 
 草原の夕方もまた壮大な景色である。今日は祭りの日だったらしく、集まっていた人たちに毛皮を売った。この辺の人々は、皆商才にすぐれているので、あまり儲けはないが、贅沢を言わないファルケンにとっては、儲けの少ない多いはあまり大した問題ではなかった。
 平原にぽつんと生えた一本の木の下に座りながら、ファルケンは買ってきたお菓子のようなものをかじっていた。今日はこの辺りで野宿する事になりそうだ。
 ふああ、と大あくびをしながら、ファルケンは火を起こそうと、前に積んだ枯れ木に手をかけた。
 そのとき、
「仕事さぼりやがって! 何してたんだよ!」
 木の後ろ辺りから不穏な声が聞こえた。慌ててそちらをうかがう。まだ言い合いしているらしく、高い声が聞こえてきた。子供だろうか。
「今日は祭りじゃないかよ! ちょっとぐらいサボったって…!」
 駆け出していってみると、ちょうど丘の下あたりで、数人の子供が騒いでいた。じっと見てみて不意にファルケンは気づく。真中で何かを取られそうになっているのは、昼間彼にぶつかってきた少年のようだった。
「お前は使用人だろ! 祭りも何もカンケーないんだから働けよ!」
「使用人かどうかなんてカンケーないだろ! 別に!」
 少年は、反抗的なまなざしで相手の子供達を睨みつけている。黒い髪に少し細い目。背は、そのくらいの子供としては高いほうだろうが、痩せていて少し頼りなさそうな印象がある。その少し薄汚れたような、粗末な服をきた少年は、年齢に似合わぬ鋭いまなざしをして、相手を見ていた。
「あっ! こいつ何か持ってやがる!」
 少年の手に、夕陽をあびてきらりと光るものが見えた。それを目ざとく見つけて、大柄の子供が叫ぶ。
「なんだ! 見せろ!」
「やだってんだろ!」
 少年は、さあっと手を後ろに隠した。三、四人いる子供が彼に群がってそれを奪い取ろうとした。
「渡せよ!」
「これはオレのだろ! なんでお前らに!」
「どっかで盗んできたんだろ! 言いつけてやる!」
 大柄の少年が言って、手を伸ばす。少年は慌てて手を後ろに回した。
「盗んでねーよ! これはオレが…」
 一人の子供が少年の右手に飛びついた。それにカッとしたのか、少年はどんと飛びついてきた子供を突き飛ばした。
「オレのだって言ってるだろ! てめえらに見せる筋合いはねーんだよっ!」
「なんだと! 生意気だぞ!」
「そうだ! お前なんて使用人のクセに!」
 大柄の子供が少年の胸倉をつかんだ。
「お前なんて、ただの小汚い使用人じゃないか! 金で買われてきたくせに!」
 きっと少年は、相手を見た。たかだか八歳の少年とは思えないような、それは鋭い目だった。思わず、子供達はたじろいだが、所詮、痩せて力のない少年に勝ち目はない。どんと突き飛ばされ、少年はそこに腰を打ちつけた。
 これは見過ごしてはおけないと思ったファルケンは、丘から駆け下りていった。
「こらぁ! お前ら、なにやってるんだ!」
 慌てて走ってきたファルケンを見て、子供達は慌てて逃げ出した。何しろ相手はとんでもない大男である。それが走ってくるだけでも普通の人間には大概の恐怖だろう。ましてや相手が子供ならなおさらの事である。
「あっ! やばい!」
 子供達は、少年に棄て台詞を吐く間もなく、慌てて逃げ散っていった。ファルケンは、少年の所までたどり着くと、まだ起き上がっていない少年に心配そうに手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
 少年は、差し出された手をはじくと、立ち上がり、大人びた表情でファルケンを見た。
「へっ、余計なことしやがって! オレは助けてくれなんていってないだろう!」
 いきなり助けた相手から辛らつな口調でやりこめられ、ファルケンは面食らった。しかも相手は七つ八つの少年である。
「…助けてくれなくてもよかったよ! このお節介!」
「だって、お前いじめられてたんじゃないのか?」
 ファルケンは、頬を掻きやりながら訊いた。
「ちょっとやられただけだろ。いつものことさ。」
 少年は、大人びた口調でそういい捨てると、背の高いファルケンを見上げた。ファルケンの背は高く、きっと少年は彼の顔の特徴をちゃんと捉えられていないだろう。おまけに夕陽の赤い逆光を浴びている。
「あー、もしかしてあんた、昼間ぼけーっと歩いてたおっさんじゃないか。」
「お、おっさ……」
 さすがのファルケンも一瞬固まった。いままでせいぜい「お兄ちゃん」呼ばわりが最高だったファルケンにとって、突然のおっさん呼ばわりは、少しショックだったらしい。いくらファルケンが世間知らずだといっても、「おっさん」が意味する年頃は知っているし、そもそもファルケンは「おっさん」呼ばわりされる年頃ではない。完全に困惑した様子のファルケンを見て、少年はにやりとした。
「ふふん、そんなんで戸惑ってるようじゃ、あんた商売人にゃむかねえな。」
「誰だ? お前。」
 ファルケンは、少しだけむっとして少し顔を強張らせて、頭をかきやりながら聞いた。昼間といい、今といい、本当にかわいくないガキだ。
「今日が何の日か知ってるのか?」
 少年は、生意気そうな顔でファルケンを試すように聞いた。少しあごに手をあてて考えてみて、それから首を振るファルケンを見て、少年は勝ち誇ったように笑った。
「今日は、祭りの日だ。それも、風の神様の祭り。」
「だから?」
「…だからって…」
 思いもよらずに突っ込まれて少し戸惑うところは、少しだけ年相応である。
「祭り挟んで昨日、今日、明日は、旅人には名前を明かしちゃいけない日だ。それから、旅人も名乗っちゃならねえ。『客』って呼ぶのはいいらしいけどな。」
「どうしてだ?」
 ファルケンは、首をかしげた。
「どうしてだって。それは、悪魔に魂を持ってかれちまうからだよ。風の神様は今日は自由に吹いてる。口にだした名前は風に運ばれちまって、どこに飛んでいくかわかんないからな。特に初対面の人間同士が名乗りあうのがいけないんだとさ。」
 少年は笑いながら言った。それから強がるように付け加えた。
「ま、オレは悪魔や神様がいるなんて思ってないけど。」
「あ、そうか。祭りっていうのは、時々、何か悪いものが出てくるときに、それを鎮めるのにやるって事もあるんだっけ。」
 ファルケンは一人腕組みをして納得すると、にんまり笑った。
「悪魔があふれる日でもあるから、名前を名乗るのはタブーなんだな。」
「そういうこと。どこで聞かれるかわかったもんじゃねえからさ。利用されると嫌だろ。」
「…ふむ。そうか。なるほど。」
 妙に感心する様子のファルケンに、少年は少し不満そうな目を向けた。首を軽くたたきながら、不平を言う。
「ところで、あんたしゃがむとかしないのか。いい加減首が疲れた。」
「あ、あぁ、悪かった。」
 ファルケンは、少し腰を折った。どちらにしろ、ファルケンが高すぎて目が合うはずもないのだが、それでも少しはましになる。少年は、ファルケンを見上げると、ため息混じりにいった。彼の位置からは、それでも逆光を浴びたファルケンの顔は、暗くてよく見えていないはずである。おそらく、碧色の瞳だけが、何か人為的なものを感じさせない天然の石のようにきらめいているのがわかるだけだろう。
「あんた、ホントーにでかいな。」
「そうかぁ。オレはこれでも、平均だって言われてるはずだけどな。」
「平均なわけないだろ。でかいって!」
 馬鹿じゃないの? といいたげな口調で言いながら、少年はぐるりとファルケンの周りを回った。それから、気づいたように少し飛び跳ねていった。
「そうだ! あんた、昼間オレとぶつかったよな?」
「ああ、そういえばそうだったな。…で、どうした?」
 謝ってくれるのかな、と淡い期待をもって、ファルケンは少年の顔を覗き込む。だが、少年の顔に謝罪しようなどというような色はなかった。
「金貨拾ったろ! 金貨! あれはオレのなんだ、返してくれよ!」
「…金貨?」
 ファルケンはあごをなでた。それから困惑気味の顔で首を振る。
「オレは知らないけどなあ。」
「嘘つけよ! ネコババしたんだろ!」
 膝辺りに飛び掛ってくる少年をややもてあますようにファルケンは、前髪を掻いた。
「…オレはホントに知らないんだよ。…なんなら、オレの財布見せてもいいし。」
 困惑気味にファルケンは、自分の財布を開いてみせる。それを見て、少年はふうんと唸った。
「思ったより少ないな〜。」
「この前、博打でスったんで、…ちょっと減ったかもしれないな。」
 そういうと、少年は驚いたような、バカにした様な表情になる。
「え、あんた、博打やんの?」
「……ん、まぁ。時々…な…。」
 実は、そこそこ賭場に出入りした事のあるファルケンが気まずそうにいうと、少年はにやりとした。
「小手先の如何様(いかさま)博打に引っかかったんだろ。あはは、あんたみたいな奴が一番博打やっちゃいけねえんだぜえ?」
 それはわかってるよ、と言いたげなファルケンだったが、直接答えるのはやめた。この子供と勝負しても口で負けるのは一目瞭然である。
「で、金貨、ないのか?」
「…どこで落としたのか見当がつかねえんだ。…うん、あんたが持ってないのはよくわかったよ。うそつけるタイプじゃないもんな。」
「わかってくれたらいいんだよ。」
 少年が納得したので、ファルケンはほっとして笑みを浮かべた。だが、少年は次ににんまりと笑んだのである。
「でも、あんたにも責任があるかもしれないよな。」
「え?」
 少年がろくでもない事を言い出したので、ファルケンは動きを止めた。それから、少し困惑気味に少年に訊いた。
「ど、どういう意味だ? だって、どこで落としたかわかんねえんだろ?」
「わかんねえんだけど、あんたとぶつかったせいで落としたかもしれないだろ。いいや、その可能性大だよな! そうなったら、ぼーっと歩いてたあんたが一番悪い。」
「そ、それは、お前が突撃してきたからじゃあ…」
 ファルケンが反論しようとしたが、少年は、ちっちっ、とばかりに指を振った。
「いいや、真昼間からぼへーっと歩いてたあんたが非常識なんだ。それに、さっきもいったとおり、今日は祭りだぜ。祭りのときぐらい、ガキにゃ優しくしろよ。あんた、大人なんだろ?」
「え、いや、…オレは、大人ってわけじゃ…」
 ファルケンは戸惑い気味にそういったが、少しため息をついて頭を掻いた。非常に説明しにくいし、この状況では少年に論破されるのが目に見えている。
「…わかった、確かに、オレも悪かったのかもな。…で、お前、オレに何して欲しいんだ?」
 少年は得意げに言った。
「あんたも金貨を探すの手伝えよ! だったら許してやってもいい。」
(参ったな、こりゃ…)
 ファルケンは、さっき助けてあげたのでチャラにして欲しいと思ったが、少年の厳しい視線にあってそうもいかず、思わず苦笑いした。 


 すっかり日は暮れてしまった。すでに出始めた星達が、きらきらと瞬いている。さすがのファルケンも大分疲れてきた。徐々に空気が冷たくなってきた。足元の草の中を探そうとしても、今となっては金貨の光も暗くて見出せそうになかった。
「もう、夜になったな。」
「ああ。」
 少年はぶっきらぼうに答える。
「…まだ探すか?」
 自分の大きなランタンに火を入れながら、ファルケンは訊いた。少年は答えない。草の根を分けるようにして何かを探している。
「そんなに大事なものだったのか?」
「別に…」
 少年はぶっきらぼうにまた答える。ファルケンはため息をつき、示された二枚の金貨を見比べた。
「これと同じものなのか?」
「デザインが違うんだよ。」
 少年はようやく振り返った。それからファルケンのほうに歩いてきて、金貨を取ると、明かりに透かして示した。
「一枚目のは英雄と天秤が、二枚目のは鳥と女神が描かれてるだろ。三枚目のには、狼と剣が描かれてるハズなんだ。」
「だけど、見つかんないなあ。違う金貨は見つかったのに。」
 ファルケンが手にしたのはこの地域で流通している金貨である。思いついたように、ファルケンは、少ししゃがみ込んで、少年の顔を見ながら訊いた。
「腹減ってないのか?」
「……」
 少年は意地っ張りそうに顔を背ける。ファルケンは穏やかに微笑んだ。
「…意地張るなよ。オレもちょうど腹へってたし、パンと干し肉とあと果物がちょっとあるんだ。一緒に食べないか?」
 少年はひねくれた猫のような態度で、下を向く。それから、急に吹っ切れたといった風に冷静な顔になった。
「…いいよ、わかった。もう諦めるよ。」
 木の下のほうが野宿するにはいいのだが、どうも見つかりそうにない。ファルケンは仕方なく、道から外れた草の上に携帯用の敷物をひいてようやく腰を落ち着けた。少年も疲れたらしく、どんとそこに座った。狼避けのためもあり、そこで焚き火を起こす。かすかな煙が、上へと昇っていった。
 どこか遠くから、祭りのにぎやかな音楽が風にのって聞こえてくる。ここに音楽を運んでくるぐらいだから、風の神はこの祭りを歓迎しているんだろうなあ、とぼんやり、ファルケンは思った。
「今日中にみつからなきゃ、…一生みつからねえんだ…」
 突然、少年がぽつりと言った。
「…草原はあんまりひろいし、どこだって似たようなもんだ。オレ明日放牧に行かなきゃいけねえし、明日はここよりもうちょっと遠い場所にいるんだ。」
「そっか。だから、必死だったのかい?」
 ファルケンは、そういいながら少年に果物を渡した。
「いいさ。…見つかんなかったなら、見つかんなかったらで。」
 少年はわざとらしく明るく笑い、顔を上げてもらった果物を口にした。それから、手の中にファルケンから先ほどもらった金貨をちらつかせた。
「あんたが拾った分の金貨をもらったしな! あんなのよりも、ずっと価値があるよ。」
「…かえらなくてもいいのか? 夜なのに。家の人が心配してるぞ。」
 ファルケンが、すっかりふけた空をみながら言うが、少年はつんとした様子で首を振った。
「心配なんざしてねえよ。家の人なんてもんはいねえんだから。オレが逃げたって言う心配ぐらいでさ。…今日はおまけに祭りだ。…行っても相手にされねえなら、いかねえほうがいいよ。」
 すれた口の利き方は、ずいぶんと生意気なものだったが、逆に彼が目一杯強がっているのがわかった。ファルケンは軽くため息をつき、寝転がった。上に広がっている満天の星が瞬くのを見ながら、ファルケンは不意に思い出したようにいった。
「お前の金貨、見つかるといいな。」
「…もういいよ、オレは諦めたんだから…」
 少年は、ちらりとファルケンのほうを怪訝そうにうかがった。
「あんた、オレの事疑ってないんだな。」
「何が?」
「…今まで他の奴にあの金貨は見せなかったんだ。オレが盗んだって言われるから。」
 ファルケンは答えずに、少年の様子を見ている。少年は、にっと笑った。
「心配するなよ、ホントにオレが盗んだものじゃないよ。オレが生まれたときに渡されたものなんだ。」
 問わず語りで少年は言った。
「……オレの部族じゃ、生まれてすぐに三つの金貨をもらうんだ。金は錆びないから、永遠を意味するんだ。だから、約束を交わしたりするときは金を使う。わかる?」
 少年も同じように寝転がり、粗末な小袋から二枚の金貨を取り出して、ちらつかせた。ファルケンの持つランタンの光と焚き火の光に照らされて、それは星のようにきらめいた。
「一つ目は、英雄と天秤の金貨。商売繁盛のお守り、または魔よけに使う。二つ目は、鳥と女神の金貨。よき”はんりょ”に永遠の愛を伝えるために渡すものだ。しってるか”はんりょ”って嫁さんのことなんだぜ。」
「それを言うなら”伴侶”だろ。旦那のことも指すんじゃなかったのか?」
 記憶の底をさらいながらファルケンが答えると、少年は得意げにうなずく。
「そう、伴侶、にお守りとしてわたすんだ。プロポーズの時に渡すのが一番いいらしいんだってさ。それから、三つ目は…」
 少年は、少しうつむいた。
「…三つ目はやっぱりいらねえや。」
「なんでだ? ついでに説明してくれよ。」
 ファルケンはごろりと転がって方向を変えた。
「三つ目は狼と剣…人生の助言者となるよき友にっていう話だ。」
「どういう意味があるんだ?」
 ちらりとファルケンは少年のほうを見た。
「さぁ、オレはよくわかんねえ。信頼の証だっていう話だ。」
 少年の顔がさっと暗くなる。
「でも、オレにはそういう奴はいないし…」
 彼は、星空を見上げながらつぶやいた。
「オレはそんなのいらねえし…」
「なんでだ? やっぱり友達は大切じゃないのか?」
「ふん、そんなきれい事いってんじゃねーよ!」
 少年はむっとしたようにファルケンに怒鳴りつけた。
「この世で大切なのは金なんだ。金さえあればオレだってこんな嫌な思いしなくてもいいんだ!」
 少年は、少年らしからぬ激しい口調で言い切った。
「なんでだ? 何かあったのか?」
 ファルケンは、穏やかに訊く。
「あんた、オレ見てわかんねーのかよ? オレはな、金で仕方なくここで働かされてるんだぜ? ほとんど売り飛ばされたも同然なんだ。」
 ファルケンはじっとそれにききいって、彼を見つめたまま返事をしない。
「オレはみなしごだったんだ…。最初は、部族の長が育ててくれたけど、だんだん大きくなるとそうもいかなくなって、ここの旦那に金貨三十枚で引き取られたんだ。実際、売り飛ばされたも同然だけどな。」
 だから、と少年は、いらだったような口調で吐き出した。
「オレは誰も信用しない。…一人で生き抜いてやるんだ。三つ目の金貨はいつか売り飛ばしてやろうと思ってるんだ。どうせ、信用できる相手なんかいやしないんだから!」
 ふんと、顔をそむけながら吐きすてる。
「失くしちまっても、オレは取り分が減るだけだから、…いいんだ。オレ、もう諦めるよ。あんなのあってもなくても意味がないんだから。」
 ファルケンは、黙ってそれを聞いているばかりで、何も答えない。一通りきいたあと、ファルケンは頬杖をつくのをやめた。
「…でも…」
 すっかり落ち着いてきた少年は、まだ無言のファルケンに目をうつし、ぱちりと瞬きした。
「…なんで、あんた、この金貨のこと問いたださなかったんだい? みんな、オレの事盗人あつかいしたのに。」
「いきなり人を盗人扱いするのはよくない。それに、お前が嘘をついてるようには見えなかったからな。」
 ファルケンは仰向けに寝転びながら星空を見上げながら言った。
「盗んだだけのものなら、あんなに必死になって探さないだろう?」
「…ちぇっ!」
 遠くでまた、祭りの歌が聞こえる。今は、ちょうどクライマックスなのだろうか。独特の旋律が、風に乗ってかすかに耳を掠めるが、歌詞は聞き取れなかった。
 少年は、それから顔を背けるようにして寝転がっている。それを気にしている様子に、ファルケンは少年にそれとなく聞いた。
「祭り、ホントは好きなんだろ?」
「…さっき、オレは雇われてるって言っただろ。使用人はカンケーねーんだよ。」
 少年は、しつこいな、といいたげに軽くファルケンを睨んだ。
「そうか。」
 ファルケンは答えて、しばらく星を見ていたが、思い出したように身を起こした。
「あの歌ならちょっと知ってるな。…歌ってやろうか。」
 ファルケンは少し微笑みながら聞く。少年はつまらないと言いたげに首を振った。
「…いいよ、どうせ…あんた歌上手そうじゃないし。」
「この歌は、嫌いじゃない。…オレは結構すきだけどな。」
 少年の言葉を聴いてか聴かずか、ファルケンはそんな事を言った。
「…きっと、お前も気に入ると思うけどな。」
 そういうと、ファルケンは立ち上がった。息をすっと吸い込み、それから遠くから風が運ぶメロディにのせて、彼は歌いだした。
 普段話す声よりも、少し深く伸びる声である。それが、しかも古い草原の言葉で歌いだしたので、少年はびっくりして身を起こした。

 風の神よ
 私は風の民
 あなたの導く先へと進んでいこう
 
 風の神よ
 私はあなたの民
 この世のどこへでも住んで見せよう
 
 風の神よ
 あなたのように
 私は自由にどこへなりとも旅をしよう

 私は旅人
 あなたのいくところならどこへでも
 私は自由
 この世界の果てまで
 私は自由に行く事ができる
 そうとも私は風の民
 世界の果てまで共に行こう…

 一通り歌い終わり、ファルケンは、どうだ?、と訊きながら少年のほうを向いた。呆然としていた少年は、ハッと我にかえって居住まいを正し、軽く拍手する。
「あんた、歌うまいじゃない! へー、意外だな! やっぱ、ガタイがいいから声出るのかな?」
 急に、敬いのまなざしが少年の目に現れる。
「そういってもらえるとちょっとうれしいな。」
 ファルケンは、やや得意そうに笑う。
「…でも、どーしてその歌知ってるんだよ。部族以外でそこまで完璧に歌えるのって珍しいと思うぜ。オレだって知らなかったのに。」
 首をかしげる少年に、途端ファルケンは大人びた笑みを見せた。普段見せているボーっとしたものと違い、そこには厳しい旅の中に生きる者の孤独と鋭さが垣間見えた。
「長い事旅をしてれば、自然にいろんなことを覚えていくもんだからな。…辛い事も、いいことも、全部だ。」
 少年は、少し目を輝かせた後、ぽつりといった。
「あんた、ほんとにヨルジュなんだね。」
「ヨルジュ?」
「旅人って言う意味。…いろんな事知ってるんだな、世界のあちこちの…。」
 少年は、目を夜空に向けた。
「…オレも、いつか旅に出たいなあ。…こんなところじゃなくて、広い世界が見たいんだ。」
 少し熱に浮かされるような目をして、少年はもう一度つぶやく。
「いつか、世界の果てから果てまでをみてやるんだ…。」
 ファルケンは少年の言葉には直接答えず、独り言でもいうような口調で言った。
「星ってのはな…、大昔は違う風に見えてたんだそうだ。星は移動してるんだってさ。」
少年は、改めて星空を注視した。草原で見る星空は、まるで黒い布に宝石をちりばめた天蓋のようだ。何もさえぎるものがなく、まるく世界を覆っている。
「…今見てる星を昔の人はどんな風に見ていたんだろうな。」
 少年は、星を見ていた視線をファルケンのほうに向けた。
「あんた…なんか変わってるな。」
「そうかな。」
「…うん、…ちょっと変わってるよ。」
 少年はそういうと、大きなあくびをした。それから、急に眠たそうな声になった。
「オレ、ちょっと寝るよ…。もう、眠くなっちまったし…。今日は疲れた。」
 そういうと、急に少年は無言に落ちた。
「おい? どうした?」
 ファルケンが心配になって覗き込むと、少年は軽い寝息を立てながらすでに目を閉じていた。
「…なんだ、早いな。もう寝ちまったのか。」
 なんだかんだいって、まだガキだな…などと急に大人ぶったことを思いながら、ファルケンは少年に脱いだ自分のマントをかけてやる。
「にしても…金貨か…」
 ファルケンは、何か思いついたような顔をして、ふらりと起き上がると、ひげの生えたあごを軽くなでた。
「朝の光があったら、見つかるかもしれないな…。」
 彼はそういうと、星を眺めてどちらの方角から自分がやってきたのか、もう一度考え出した。


 はっと目覚めたとき、すでに太陽は高くあがっていた。
 少年は起き上がって、自分の上にぼろぼろのマントがかけられているのに気づく。
「…うーん、ちょっと寝すぎちまった…」
 いつもなら、もう仕事に出ている時間だ。寝すぎたせいか、妙に頭が重い。少年は、立ち上がり、背伸びをしてふと気づいた。ファルケンの姿がどこにも見えないのである。
「おい、でかい奴〜! どこいったんだよ〜!」
 少年は、あちこちを見回すが、ファルケンの影は見えない。
「…どっかいっちまったのかな〜…」
 そろそろ、仕事に戻らないと、本気で旦那に絞められてしまう。少年は、どうしたものかと、少し考えていた。仕事に戻ってしまったら、あの背の高い大男と別れの挨拶もできないだろうし、なぜ彼がいなくなったのかもわからない。だからといって、時間の猶予もあまりない。しかし、淡白な少年にしては珍しく、あの男と挨拶なしに別れるのは少し気が引けていたのである。
「お〜〜い!」
 後ろから声が聞こえ、少年は振り返った。ちょうど、向こうのほうからファルケンが、かなりの勢いで走ってきているところだった。
「ちょっと待ってくれ! 渡すものがあるんだよ!」
 少年が待っていると、あっという間にファルケンはここまで駆けてきた。あがった息を整えながら、ファルケンはにこりとした。
「一枚探してたのは、これなんだろ?」
 ファルケンは、大きな手に握った金貨を少年に手渡した。そこには、表に狼、裏に剣が描かれている。少年はびっくりして顔をあげた。
「あんた…」
「幸いオレはお前よりちょっと暗くても物がよく見える。だから、早起きして探してて見つけた…。やっぱり、お前が正しかったな。お前が最初、オレにぶつかったところに落ちてたんだ。だけど、探してたところより、ちょっとずれてたんだよ。昨日星を見ながら方向を考えたら、わかったんだ。」
 ファルケンは、少しだけにっと笑った。
「もう要らないなんて嘘だろ。あんなに必死だったじゃないか。…金のためだけであんなに必死になったんじゃない。…お前にとってこれが大切だったからだ。違うか?」
「それは…」
 売って資金にするためで…、と言いかける少年に、ファルケンは言った。
「…売るつもりかもしれないし、オレは正直どうだかしらないけど、とりあえず要るものなんだろ? じゃあ、しばらく大切にしてろよ。」
 ファルケンは付け足した。
「いつか、お前にに本当に、信頼できる友人ができたら困るだろ?」
 少年は、それを受け取りそっと顔をあげた。
「あ、ありがとうな…」
 少し照れたように少年は後頭部をかきやった。 
「あんたには、世話になったよな…。…昨日が祭りじゃなかったらよかったんだが……。礼儀だし、名前ぐらい名乗ってもよかったぜ。」
「そうだな。…でも、名前も大切だろ。名前には魔力があるってさ。大切にしなよ。いつか、あんたを導いてくれるよ。きっと。オレなんかに名乗って台無しになったらもったいないだろう? 今度会ったときに聞かせてくれ。そのときにオレも名乗るよ。」
「はは、…期待されるほどいい名前じゃないけどな。」
 少年は、照れたような笑いを浮かべた。それから、はっとして少年は慌てていった。
「あ、オレ、これから放牧しにいかなくちゃいけねえんだ。悪いな。」
 それから、じゃあな、と一言いいおくと、子供特有の風のような走り方で、駆け出す。ファルケンが何か言い返そうとしたとき、彼は立ち止まってこちらを振り向いた。
「…あぁっと、言い忘れた。」
 少年はファルケンのほうを見て悪戯っぽく笑った。
「あんた、よく見れば結構若いんだな。…おっさんっていったのは、撤回してやるぜ。」
 そういうと、もう少年は振り返らなかった。
 少し遅れて意味を把握したファルケンは、手をあげてそれから晴れ晴れとした顔で笑んだ。
 あの少年はいつか自分を追い越してしまうだろう。人の成長はあまりにも早く、比較して自分の時間はあまりにもゆっくりと進む。それが自然の摂理だ。
「さあ、オレも行くか。」
 ファルケンはそういうと、荷物をまとめて再び歩き出した。
 草原を渡る風は、乾燥していて爽快で厳しい。あの少年もこうした大地の上で鍛えられて、強くなる事だろう。
「あいつ、十年経ったら、どんな奴になってるんだろうな。」
 きっと、会うことはないだろうが。ファルケンは、そう思いながら、緑の大地を進みだした。
 
 
「レックハルドー! 何をしている!」
 呼ばれて、少年は慌てて駆けつけた。
「す、すみません。だんな様! 遅れちまって!」
 彼の主人は、少しだけ仏頂面になっていた。
「昨夜はどこにいたんだ。」
「す、すみません、ちょっと…」
 レックハルドという名前の少年は、愛想笑いを浮かべた。そして、いい言い訳を思いつき、彼は心の中でほくそえんだ。
「……昨日は祭りですよ、だんな様。ちょっと風の神様の誘惑にまけて、ふらふらとその辺を旅していたんです。その辺に突っ込むのは、野暮ってもんですよ。」
 主人は、思わずにっと笑った。
「はは、お前には負けたよ。よし、とっとと行って来い。」
「はいっ!」
 すでに向こうに進み始めた羊の群れを追いながら、レックハルドの脳裏に覚えたばかりのある歌が思い浮かんだ。
 いつかきっと。
 と、レックハルドは思う。
(いつか、きっと、オレも旅に出るんだ。)
 それが、ここに住む者として当然の道であり、おそらく宿命でもある。それに対し、彼の心には、悲壮感はなかった。彼は寧ろそれに、憧れに似た感情を抱いていた。
 いつか、こんな誰かの下で働くのではなく、青い空の下、自分の自由に行動することへ。たとえ、それが孤独を伴うものであろうと。
 ちゃりん、とポケットの中で何かが音を立てる。レックハルドは、そこから粗末な袋を取り出すと、そっと中身を確かめた。
 一枚目、二枚目、そして三枚目…。
 彼は、三枚目の金貨だけをそっと取り出し、少し迷った末、また大事そうに元に戻した。
 やっぱり、資金にしてしまうかもしれないと彼は思う。だが、今は取っておこう。
 名も知らぬまま通り過ぎたあの旅人に言われたように…
 
 いつか、出会うかもしれない人生の助言者の為に…。

「よし! さあ、お前ら、言う事を聞くんだ! 今日は向こうの牧草地まで行くぜ!」
 レックハルドは走りながら、羊の背を軽く叩いた。



 私は旅人
 あなたのいくところならどこへでも
 私は自由
 この世界の果てまで
 私は自由に行く事ができる
 そうとも私は風の民
 世界の果てまで共に行こう……


 ―十年後、このとき名乗らなかったばかりに、旅人になった少年と彼が再び初対面として出会う事は、風の神の悪戯だったのかもしれない――

本編情報
作品名 辺境遊戯
作者名 渡来亜輝彦
掲載サイト 幻想の冒険者達
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / 連載中(佳境)
紹介 未知の領域、辺境を抱える世界。行商人レックハルドは、借金取りに追われ、危ういところを猟師のファルケンに助けてもらう。だが、このファルケンは、辺境と深いかかわりのある男だった。それが、やがて彼を大きな出来事に巻き込んでいくのだった。
 旅をテーマにしたファンタジー。
[戻る]
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送