番外編競作 その花の名前は 参加作品

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 ならず者航海記番外編

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手向けのゆり

渡来亜輝彦

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 潮風は、植物を枯らせてしまう。嵐を前に、亭主は店の前に並べていたプランターを全部、店の中にしまった。ここのレストランの玄関には潮風がまともにぶち当たるのである。
「ちっ、ひでえ風と雨だよ。」
 亭主は吐き捨てて、ぬれた額を手でぬぐった。下に入れたばかりの鉢植えが並んでいた。ごつい顔をしている割りに、亭主は花好きであるらしい。かなりイメージが違った。
(今日は客は来ないだろう。)
 窓の外をみて、亭主はそう思った。ざあざあ吹き付ける雨は、窓を割りそうなほど強く叩きつけていた。これは、内側か、外側からか、板を打ち付けなければならないかもしれない。
 ぼんやりと亭主は、厨房の中で自分用のコーヒーをいれ、そろそろ鍵を閉めるかと思っていた。
 そのとき、ドアがきしむ音がした。続いてバン!という大きな音が。風でむりやり開けられたのかもしれないと思い、彼は鍵を閉めておかなかったことを後悔した。舌打ちして、仕方なく立ち上がる。
 頭をかきながら出てきた亭主の目の前に、人影が映った。亭主は、相当大柄なのでそうも思わなかったが、普通の人から見ると、その人影は長身のほうに入った。全身びしょぬれで着ているものから、ぼたぼたと水滴が立て続けに床をぬらしていた。金髪というには茶色に近く、茶色というには金髪にちかい、どちらかというと黄土色風の髪は、激しい風に吹かれたせいか、好き勝手に乱れていた。男だ。腰の辺りに、カトラスをつるしているのがわかる。船乗りのようだった。
 亭主は思わず身構えた。男の身辺には不穏な空気が漂っていた。押し込みでもなんでもやりそうな、普通でない雰囲気がそこにはあったのである。
「よぉ。久しぶりだな。」
 男は、にや…と笑った。おそらく、亭主の反応が面白かったからであろう。
「オレだよ。」
 そういって、男は顔を覆っていた髪の毛をかきあげた。中から、鋭いコバルトブルーの瞳と、その右目側についているすさまじい刀傷があらわれた。額から右頬まで斜めに引かれた傷と、鼻柱のほうから耳の近くまでを横断する傷とが交差していた。その形は、まるで十字架をひっくりかえしたようだ。口元にうっすらひげを生やしている。顔自体は整っていて二枚目の部類には入るのだが、あまり、いい人間には見えない。
 だが、亭主は、少し首をかしげた。見覚えがあるのだが、それが誰だか思い出せなかったのである。
「なんだ、わかんねえのか?オレだよ。結構、ここの店はひいきにしてやってたのに、忘れるとはどういうことだ?」
「あんたのことは見たことがあるんだが、思い出せねえんだよ。」
 亭主はそう答えて肩をすくめた。男は、それを見て少しため息をついた。
「オレがこんなびしょぬれの状態だから思い出せねえのか、それとも、オレがあんまりこぎれいになったから思い出せねえのか、どっちかな。」
「さぁなぁ。どうなんだ?・・ん?待てよ・・・。こぎれい?」
 不意にある一人の客を亭主は思い出した。
 その客も、こういう何となく不穏な雰囲気をもった男だった。案外話してみると『いいやつ』ではあるのだが、それがわかるまでにかなりの時間を要した。しかし、その男はもう少し暗い感じだったし、目の前の男のように、いきなり「よぉ」などと、フレンドリーに話しかけてはこなかった。いつも、隅で食事をしていた。亭主が彼と話したのも、彼がこの店に現れ始めてかなりの時間がたってからだった。髪は、長めではさみを当分入れていない感じで無精ひげもひどかった。若いのだろうが、十は老けて見えたものだった。
 だが、たしかに、あの男をこぎれいにするとこうなるもかもしれない、と亭主は思った。そして、とりあえず確認をする。
「・・・お前、隅っこのヤツか?」
「隅・・。なんだ、その根暗なあだ名は。」
 男は、少しむっとした顔をした。
「実際、くらーく食べてただろ?まぁ、最後の何回かはちょっと明るくはなってたけど。」
「うるせえな。人の食事の食べ方に口出ししてほしくないね。」
 そういって男は、ドアを開けっ放しなのに気づき慌ててしめた。かなり雨が降りこんできていた。
「で、なんだ?こんな嵐の日に。」
「店じまいしてねえんだろ。だったら、客として取り扱えよ。」
「けっ。こんな日に誰も来ないと思ってたから、食材なんて仕入れてねえよ。」
 亭主は言い返し、男がぬれて雫が滴る上着を手持ちぶたさに持っているのを眺めた。これで、案外可愛いところがあるのだ。彼は上着がぬれているのでとりあえず脱いだものの、普通にいすにかけたりしたら、いすが濡れるし、テーブルに置くわけにもいかないので、どこに置いたものか、迷っているようだ。
「仕方ないな。」
 亭主はにやりとわらった。
「ここで追い出すのもかわいそうだから、なんか作ってやるよ。上着はその辺においておきな。濡れても別にかまやしねえよ。」


 そう、思い出した。この男は確か、「フォーダート」と名乗った。立ち入ったことは聞かなかったから知らないが、堅気の商売をやってはいないようだった。昔、第四次世界大戦中には、海軍に従軍していた、つまり荒くれものの仲間だった亭主は、別に客がどんな商売でも気にはしなかったし、実際、ロクでもない客も来ることが多かったので慣れてはいたが、この男は、そういう意味とは違って、何か妙に気になる感じの男ではあった。
「お前、年ぁいくつだった?」
 亭主は不意に気になって尋ねた。見掛けからは、三十台少しといった感じだろうか。
「二十五。」
 フォーダートは、亭主が出してくれたオムライスをがっつきながら応えた。黄色い卵にトマトケチャップがたっぷりかけられている。あまりケチャップをかけると辛いので、あまりかけないでくれといったのに、嫌がらせのようにたっぷりかけられている。
「に、二十五!」
 亭主が本気の顔で驚き、少し後ずさって彼を見たので、むっとしてフォーダートはスプーンをテーブルに思い切りぶつけて大きな音を立たせながら言った。
「そんな驚くことかよ!それに、このケチャップはなんだ!かけすぎだろ!」
「どうせ、全部食べるんだからいいだろう?文句つけたって残さないくせに。サービスしてやっただけじゃねえかよ。それより、お前、サバを読むならもうちょい上手くだな…。」
「サバなんか読んでねえ。・・・ホントにオレは二十五歳だ。」
 亭主がまた真剣に驚くので、フォーダートは本気で気分を害した。
「そんな若造だったのかい・・・。」
「そんな若造だったのさ。」
 投げやりに答え、フォーダートは若者らしくオムライスをすさまじい勢いで平らげにかかった。
「いやぁ、オレはてっきり、もう三十越え。下手したら、どっかに隠し子がいそうな年だと・・・。そういえば、年の割りに物の食べ方がガキくさいなあとは・・・。」
「悪いな。隠し子どころか、この前まで殻がついてたようなひよっこで。」
 かつん。全部食べてしまったフォーダートは、スプーンをテーブルの上に投げ出した。まだ驚いたままの亭主に、少しだけ腹を立てた彼は、むっつりしていた。だが、昔の自分の風体は、大概悪かったので、それも仕方ないような気がする。
「なるほどねぇ。人は見かけによらねえんだな。いい勉強になった。」
「オレを材料にしないでもらいたいね。」
 フォーダートは皮肉っぽい口調で言って、一緒に出してもらった水をごくごく飲んでいた。だが、やはり水ではどうも物足りなくなり、フォーダートはぶしつけにこういった。
「酒でも一杯くれよ。」
「そりゃあかまわねえが・・・。それにしても、二十五・・・。てぇことは、オレがお前に最初会った時は、二十二か三。なんてこった・・・。」
 酒の用意をしながら、亭主はぶつくさ、まだ続ける。
「ラムか?」
「いいや、今日はビールにする。昼間からあんなの飲んだら酔っ払うぜ?」
「オレはお前が酔ってんのを見たことねえぜ。」
「時と場合によんのさ。まぁ、今日は酔える日じゃないけどな。」
 そう言ってフォーダートは、出してもらったジョッキを手にいきなりそれを一気に半分ぐらいまで飲み干した。不意に、プランターが目に入った。フォーダートは興味をそそられたらしく、酒を一気飲みにせず、半分で留めおいた。おそらく、ここで彼が話し出す気が起こらなければ、一気にジョッキ一杯を飲み干すつもりだったはずだろう。
「おい、おっさん。あんた、花好きなのかい?」
 亭主が、むっとした顔をした。
「趣味は園芸ってところか?だはは。顔にあわねえ繊細な趣味をしてんなぁ。」
「人を見かけで判断するなといっただろう!」
 仕返しとばかりに、フォーダートは更に突っ込んだ。
「その顔で、ジョウロをもって手入れしてる姿を思い浮かべると、それだけで十分酒の肴になりそうだねえ。はっはっはっは。」
「うるせえな。黙ってろ!」
 亭主はそう言って、不意に気づいた。昔、彼はこんなに笑っただろうか。もっと、暗い男だったような気がする。
「…お前、なんか、明るくなったな?」
「別に。」
 フォーダートは答え、酒をぐいと飲み干した。早速おかわりを催促する。別に顔色が変わるでもなく、全く酔っ払った気配がない。亭主は、やはりこいつは化け物だったかと、少しだけ舌を巻く。
「オレは昔っからこんなもんだろ?」
「いや、格段に明るくなってるぜ。」
 亭主は、ジョッキにおかわりのビールを注いで差し出した。
「どうしたんだ?しばらく、見ねえ間に……。身なりもちょっとだけ綺麗になったしな。」
「じゃあ、心境の変化ってヤツだろ。」
 フォーダートは、素っ気なく応えた。亭主は、ほう、と答え、それから少しためらった後尋ねた。
「だが、知らなかったぜ。あんたの顔にそんな派手な傷があるとはな。昔は、前髪で隠してたじゃねえか。」
「それも、じゃあ、心境の変化ってことで片付けてといてくれよ。」
「そうかい。まぁ、オレは立ち入ったことはきかねえよ。」
 そう言って亭主は、彼の真正面の席に座った。フォーダートは、ジョッキを持ったまま立ち上がった。プランターだけでなく、本当に亭主は花が好きらしい。カウンターの上に似合わぬ花瓶が置かれ、その上に白いゆりの花がいけられていた。
「なんだ?お前も顔に似合わず花に興味あるのかい?」
「そうでもねえよ。」
 フォーダートは少しだけため息をつく。
「じゃあ、どうした?」
「別に。」
 フォーダートは言ったが、胸の奥が少しだけ痛むのを感じた。
 

 昔、彼を育ててくれた女性が、なぜか海面に花束を投じているのを見た。それは白いゆりの花束だった。海面に花なんか流して、どうしてそんな無駄なことをするのだろう?と彼は首をかしげていた。彼女は、多分ゆりの花が好きだったのだろう。よく花瓶にゆりの花を飾っていた。そんな好きな花を海に流すなんて、どういうことなのだろう。
 無表情で冷たそうだが、美しいその黒髪の女性は近くによってきた彼の頭をなでていった。
『海で死んだ人には、こうして花を手向けるのよ。』
『だれに?だれに花をあげたの?』
 幼い彼が彼女を見上げて尋ねると、彼女は少しだけ、微かに優しく微笑んだ。
『戦争中、わたしやあの人の戦友たちがたくさん死んだわ。この海のそこで今も眠っているのよ。この花はわたしが特に好きな花だから、わたしの思いをよく伝えてくれると思うの。』
 彼は海面に漂うゆりの花をみた。しろい、優しい花は、海面の上で悲しくゆれていた。
『かわいそうなんだね。』
『そうね。優しいのね、デュルファンは。』
 彼女はそう答え、やはり彼の頭をそっと優しくなでた。
『だから、デュルファンは、絶対に命を粗末にしちゃいけないのよ。わたしやあの人にゆりの花を海面に手向けさせるような真似はやめてちょうだいね。』
『うん。わかった。だって、オレ、オヤジみたいに強くなるから!絶対、そんなことさせたりしないよ。』
 デュルファンという貴族風な名前で呼ばれるのは勘弁してほしかったが、それでも、彼は彼女が好きだった。彼女は無表情な女性なので、悲しそうな顔などほとんど見たことがなかったが、それでも彼は彼女に辛い思いをさせないようにと、一生懸命、心の中で誓った。
 

 だが、今、彼は、死んだことになっている人間であった…。一度、殺されたはずの人間なのだった。あの時、彼は、自分の血で上った満月が汚れるのを見た。そのまま、暗い海の中に落ちた。
 だから、そのとき、それまでの彼は死んだ。

 彼は見た。あの崖の下の海面でゆらゆらと海面を悲しく漂うゆりの花束を……。思えば、アレは一体、誰に手向けられたものだったろう。そして、一体、誰が?
 考えると辛かった。だが、もはや、彼は、女性にも『オヤジ』とよんでいた男にも、会おうとは思わなかった。合わせる顔がなかったのだ。あまりにも、自分はふがいなさ過ぎた。意地などでなく、本当に申し訳が立たなかったからだった。


「嵐か。」
 フォーダートはつぶやいた。
「どうしてるんだろうなぁ。あの人は。」
 おそらく、今も船に乗っているであろう彼らは、この嵐をどこで、どうやって過ごしているのだろう。それとも、嵐などにあってはいないかもしれない。この国にいるとも限らないからだ。
「あの人?」
 亭主は、変な顔した。そして、少しからかうような顔をした。
「なんだ?恋人でもいるのか?」
「へっ。いたら、おっさんに見せびらかしてるよ。」
「だが、そんなにしんみりしてちゃあなぁ。それに心情の変化とかいうからよ?」
 フォーダートは肩をすくめて笑って振り返った。同時にジョッキのビールを飲む。
「今日、ここに来たのは、別にしんみりしにきたわけじゃねえんだぜ。」
「じゃあ、なんだよ?」
「パージスによってみたら嵐だった。時間をつぶす遊びもねえから、おっさんのところに挨拶にきてやったんだよ。」
「おいおい、そりゃ、随分な言い方だな。」
「後は、アレかな…。オレの生存報告に。この一年、姿を消してたから。」
 フォーダートは、少しにやりと笑って見せた。
「そうだぞ。お前、一年ほど来なかったな。」
「その間に、船も手に入ったし、使えねえ子分ができたのさ。あんたに、その報告をするのにもよった。」
「子分?」
「嵐の中ついてくるのが嫌だから、宿に泊まってる。」
 亭主は少しおどろいたような顔をした。一匹狼風の彼が、子分を連れるなど考えられなかった。
「心情の変化っていうのはそれか?」
「それもあるがね。」
 フォーダートは、すーっと目を細めた。深い色のコバルトブルーの瞳が、さきほどのゆりの花をとらえていた。
「そろそろ、オレも勝負をかけなきゃいけねえ時期なのさ。」
 そろそろ、たまりたまった過去を清算しなければならない。その準備が全部出来たのをきっかけにして、彼は傷を隠すのもやめた。『復讐』という勝負をかけるためには、彼の傷を見せることは必要不可欠である。もっとも、隠さなくなった理由はそれだけではなかったが…。
 白いゆりは、彼の思い出の中と同じように、夢のように淡い色をしていた。先程まで殺気をふくんでいた彼の瞳は、不意に寂しげになった。
(でも、オレは、やっぱり、ゆりの花を投げさせ続けるんだろうな。)
 それだけは今でも出来ないことだった。騙し続けるのも辛いが、今の変わり果てた自分を彼女に見せるのはもっともっと辛かった。
 フォーダートは目を閉じた。なんだかいたたまれない気分だった。
(もう、仕方のないことだ。あんたの息子は死んだ。死んじまったんだよ。)
 そうだとも。そういうことにしといたほうが、多分、ショックが小さい。今の自分は、あまりにも彼女の知っている人間とは違いすぎる。
 誰に言うでもなく、彼は心の中でそうつぶやいた。


 やがて、目を開き、フォーダートは言った。
「なぁ、帰り際にさ、あのゆりの花。オレに一本くれよ。」
「ん?あぁ、いいけど。何にするんだ?」
「…ちょっと、手向けたいやつがいるのさ。」
 そういって、フォーダートは寂しげに笑った。
    

FIN


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その花の名前は

『短編』

  手向けのゆり

 渡来亜輝彦

番外編紹介:

嵐の日、料理店に現れた謎の男。そして、彼は、活けられたゆりをみて、ある事を思い出す。
 海賊逆十字のフォーダートの本編より二年前の話です。海洋冒険FT。

注意事項:

注意事項なし

(本編連載中)

(本編注意事項なし)

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本編:

 ならず者航海記

サイト名:

 幻想の冒険者達

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