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※この話には、ネタバレなどはありませんが、第二部第二章を読まれると、より意味がわかると思います。(レックハルドの生活やファルケンの性格の違いあたり)


辺境遊戯・ファルケン

色染める午後



 彼は走っていた。複雑な森の地形を見やりながら、一瞬でその地形を把握して、足をのばして、枝から枝に飛び移り、或いは枝を支軸にして遠くまで手を伸ばす。
 金色の髪が木漏れ日に透き通る。辺境の言葉で「頭領」の意を持つ名で呼ばれる男は、この地方の人間にしてはあり得ないほど明るく薄い色の髪をしている。金髪の長髪に混じって見える緑の色も、透明なエメラルドのような碧の瞳にしても、彼の隠しようのない出身を表している。本来、彼らは彼よりはもう少し繊細な顔立ちが多いと言うが、それでも、かなり高い背といい、どう考えても間違いない。男は森の狼人なのだ。 
 だが、彼の着ているのは、紛れもなく東の草原の民の上着だ。この男は、あっちこっちの民族衣装を少しずつ取り合わせる服装が好きらしく、派手な極彩色の帯や腰巻きなどは、果たしてどこのものなのかわからない。相変わらず首にかけている首飾りも派手だ。その先に小さな黄金のメダルがくっついているが、それの曰くを知るものは少ない。走るたびに揺れるそれにきらきらと煌めく。
 普段「リャンティール」の通称で呼ばれる男の本名は、ファルケン=ロン=ファンダーン、つまり魔幻灯のファルケン。辺境を知らぬ者は、彼の名の忌々しさも、その名に含まれる意味もしることはあるまい。
 怪しく巨大な食虫植物やら猛獣がいる辺境でも、狼人がついている時はたいていの危険はない。実際、ファルケンが辺境に入っても大した事は起こらない。だが、相手が普通の人間だとはそうはいかないのだ。
「どこ行っちゃったかな。」
 ファルケンはきょろきょろとあちらこちらを見回す。今の季節は草木が生い茂る時期だ。妙な色の蔓草が顔の前にぶらんと垂れ下がり、向こうを見ると食虫植物が紫色の不気味なほど美しい花を咲かせて、虫を誘惑している。それを横目に、ファルケンは早くあの子を見つけてやらなければ、とつくづく思う。
 キャラバンのメンバーの娘が、なぜか朝から行方不明なのだ。友達の男の子を問いつめてみたところ、辺境の森にふらふらと入っていったという。まだ十になるかならないかの娘だから、獲物なら何でもいいどう猛な辺境狼などに遭ったら大変だ。それに、植物だって危ない。辺境の植物系は、特に奥に行くほど、普通の森とはかけ離れている。
「あっ!」
 ファルケンは思わず声を上げた。
「あそこか!」
 遠く、緑深い森の中に微かに動く黒い髪が見える。しろいスカートをはいた小さな少女が、それでも果敢に辺境に挑みかかっているのが見える。
 そしてその前には、何か緑の大きな芭蕉のような葉が生い茂っていた。
 ファルケンは目の前にある蔦を掴むと、それを引きちぎりながら斜めに飛距離を伸ばして下に降りる。腰にある紫の紐で柄を巻いた短剣を握り、そして少女の前に降り立つや否や芭蕉のような葉を切り裂いた。紙を引き裂くときのような音を立てて、葉は斜めに切れた。
 目の前に人が急に降ってきて驚いていた少女だが、相手が誰だかわかると、大きな目をぱちりとやり、脳天気にもこう聞いた。
「あ、ファルケンさん! 何してるの?」
「何してるのじゃないだろ。この葉には毒素がふくまれてて、さわると皮膚がただれることがあるんだ。全く、どこに行ったと思ったらここか。」
 そういって、ファルケンは少女の首根っこを掴んで背に抱えた。急に少女はばたばたと手足を振って抵抗する。その手や足は、辺境の茨や何かで切り傷ができていたが、それにしてもそれでも探しにいきたいものとはなんだろうか。
「何するのよおっ!」
 少女の非難の声を無視し、ファルケンはとにかく彼女を抱え上げて背負った。
「勝手に辺境の森に入っちゃいけません。ってオレ何度もいったよな。」
 ファルケンは、標語を読み上げるような棒読みで言った。そして声を整えると、顎をなでながら少女を見る。
「ラタリア…、オヤジさんが心配してるんだぞ。早く帰らないと駄目だろ。」
「ちぇっ、ファルケンさん追いかけてくるの早すぎ。」
「当たり前だ。ここはオレの庭みたいなもんだからな。でも、レナルの縄張り内でよかった…。他の連中の縄張りだったら、ちょっと問題だったぞ。」
 そういって、ファルケンはラタリアの頭をなでて、ため息をつく。本当に、レナル以外の縄張りだと、とんでもないことになったかもしれないのだ。特に、彼のような特殊な立場の狼人は、ただでなく目立つのである。繊細な狼人のリャンティールを刺激しようものなら、血を見かねない。そもそも、狼人は、お互いの縄張り意識が恐ろしいほど高いのだった。それを少しでも破れば、普段の彼らからは考えられないほど凄まじい縄張り争いをすることもあるのである。
「でも、一体何しに入ったんだよ、辺境なんて。」
「だって、タラルがいったんだもの〜。辺境の森には、もっとこのスカートをかわいく染める染料があるんだって!」
「なんだ、そんなことか?」
 くだらなさそうに呟くと、ラタリアは大きな目できっとファルケンを睨みあげる。年端もいかない少女の視線にびくりとしながら、ファルケンは慌てて苦笑する。
「な、なんだ? ……何か今、まずいこといったか?」
「そんなことじゃないわよ、ファルケンさんはオトコだから気にしないんだろうけど、女の子は気にするの。あたしのスカート、しろいままなんだもの! もっと可愛い色がいいの。」
「な、なるほど、大変なんだな。」
 ごまかすように曖昧に言って、ファルケンはふうむと唸る。
「染料なあ、そういえばそういうのもあったっけ。」
 思いだしたようにいって、ファルケンはそっと横目で回りを見た。紅花をそのまま紫にしたような花などがその辺に咲いている。
 ファルケンは、妖精の着る独特な薄衣を彩色するときにそれを使うのを知っている。
「わかったわかった。じゃあ、オレと一緒に拾いながら帰ろうぜ。それなら文句ないだろ。」
「仕方ないわねえ。ファルケンさんがそこまでいうならそうしてあげる。」
「ああ、ホント頼むぜ。さあ、帰ろうな。」
 一見軽そうな口調だったが、ファルケンとしてはそれは本心でもある。全く女の子はよくわからない。出来る限り大人しくしていて欲しかった。





 ぐつぐつと湯を沸騰する音が、妙に心地の良い午後だ。目をむこうにやると、そちらの方でファルケンが一人鍋の側に座って、草を身の回りに並べたまま、鍋の中を枝でかき回している。
 普段は、彼の回りにいるキャラバンのメンバーの子供達は、集団で街にでも遊びに行ったか、姿を見ない。元から子供が好きらしいファルケンは、いつの間にやらメンバーの託児所を引き受けているわけだが、メンバー自体がファルケンのせいでロクな奴がいないので、ちゃんと護衛の役目も勤め上げている。そう言う意味では、案外忙しい身のファルケンだが、本人が好きでやっているらしいので、レックハルドも安心して任せている。
「この前辺境に行ってからなんか変だと思ったら染め物か…。お前、なんでもやるよなあ。」
「だって、一週間逗留だし、オレやることないしなあ。」
「仕事やれよ、じゃあ。オレは帳簿を一気にまとめるので大変だぜ。」
 レックハルドは不機嫌にいった。それもその筈で、彼の手には、まだつけおわらない帳簿が抱えられている。木陰で木の幹に寄りかかりながら、先ほどまで実際帳簿をつけていた。
「だって、オレの字が読めないからつけるなっていったの、レックだったろ。だから、オレは暇。」
「それを免罪符にするとは…お前って奴は…」
 レックハルドはひくりと頬を引きつらせるが、いつものことなので、特別怒りが湧くほどでもないらしい。あとで、部下にやらせることに決めたらしく、とりあえずそれを投げ出して、レックハルドは興味深そうにファルケンの作業を覗いた。
 薬草を思わす独特の匂いが鼻をなでる。ファルケンは火に掛けた鍋の側に座り込みつつ、適当に乾燥させた花などをすりつぶしたりしている。本当にこういうことにはとことん器用な男だ。
「しかし、煮詰めて染めるんじゃ大変だな。…炎嫌いのあいつらにできるのか?」
「まぁ、火は苦手だからな。でも、幸いなことに辺境の中にまあ温泉って言えばいいのかな、むしろ沸騰寸前な気もするから熱泉って気もするけど、そういうのはあるんだ。だから、煮物なんかを作るときは本当はそれで作る。肉をゆでるときもあれかな。…で、そのお湯を汲んできて、そのまんま草を投げ入れたりしてるよ。で、その樽に糸とか布とか入れたりすることもある。」
 といっても、とファルケンは付け足した。
「レックは知ってると思うけど、辺境の糸は、普通の糸じゃないからな。あれは木の繊維をこまかーく裂いてそれをより集めたものなんだ。あとは、繭とか綿毛とかも使うけど。」
「ああ、そうだったよなあ。あれは結構売れば値が付くんだが、……作ってるのが妖精だからな。なかなか手に入らないんだよなあ。」
 惜しそうな口調でそういいながら、レックハルドは茶色っぽい色の液体が煮えている鍋の中をのぞき込んだ。
「でも、これ結構色々取ってきたし、売れるかもしれないぜ。結構珍しい色が出るし。」
「おお、それは高そうだ…。いいなあ、これからの商品として考えよう。」
 珍しくファルケンの提案に乗ることにしたレックハルドである。すでに指折りしながら、頭の中で計算を始めた。
 ファルケンは鍋の中を木の枝で混ぜていたが、ふと思い出したようにポンと手を打った。
「あ、そうそう。これ昨日作った分、なかなかいいだろ。」
「うーん、まあ、鮮やかなのが気になるが、まあいいだろう。」
 いいだろ、といわれてレックハルドは、少しだけ嫌な予感がしたのだ。ファルケンが指さした帯は、皆、青や赤や黄色の鮮やかな色に染まっている。レックハルドは、そこまで鮮やかな帯を締めないのだが、ファルケンは原色が好きらしい。今、彼がいつもの格好の上に締めている真新しい赤い帯は本人が作ったものなのかもしれない。強い陽光の下では、いっそ目にいたいほどだ。
 そんな彼がまたにっこり笑っていった。
「あ、そうそう! あんたにも作ったんだよ! これ、量産したら売れるかもしれねえぜ!」
「…そ、そうか……。」
 自信満々だ。レックハルドは嫌な予感がして、遠巻きに彼を眺める。そんなことお構いなしのファルケンは、ばっと側の袋から色鮮やかな布を取り出した。
「これ、レックにやるよ。ほら、レックのターバン!」
「はっ?」
 差し出された色の布を見て、レックハルドは思わずぎょっとする。そして、そうっと彼を見上げた。予想できていたこととはいえ、さすがにコレは酷すぎる。
「お前、本気で言ってるのか?」
 念のために確かめてみると、ファルケンは自信に満ちた顔で応える。
「そりゃ、オレがレックに合うように染めてみたんだ。」
「そ、そうかあ。それじゃ、これが何色だかいってみろ。」
「さぁ。」
 まただ。とレックハルドは眉根をひそめる。この男、都合の悪いことはすべて「さぁ」ですますのだ。答えが思い浮かばなかったとき、わからなかったとき、説明が面倒なとき、説明するとまずいとき、説明すると怒られるとき、正直答えなど知らないとき、すべてこの男は「さぁ」で済まそうとするのだ。
「さあじゃない! 黄色と緑と赤と青ってどういう事だ。」
「綺麗じゃないか。何が不満なんだ。言っとくけど、それに一番時間かけたんだぞ!」
 それは時間もかかるだろう。糸から染めるならまだしも、布に後付で三色染めるのはなかなか難しい。
「あのなあ、ファルケン。オレの記憶が確かなら、こういうのを人は極彩色という。」
 あっ、と声を上げ、ファルケンは今更ながらに手を叩いた。
「ああ、そうそうそれだ。オレはそういうの結構好きだけど?」
「そりゃお前はいいだろ! 普段から奇天烈な格好してるんだから! 巻くのはオレだよ、オレ! 派手だろ! お前、大体オレにイロモノを着ろというのか?」
「そういや、レックって地味なの好きだよなあ。若いのに地味だと運が逃げるぞ。たまには全身赤で固めてみたら思い切りが出ていいかも。」
「恐ろしい事言うな! 全身赤なんて…お前もやってないじゃないかよ。」
「ダルシュは赤いよ。」
 確かにダルシュは赤いマント着用だ。
「あいつと同じ格好だけは死んでも嫌だ!」
 厳密にいうとカルヴァネスの人々は、派手な色が好きでもある。マリスがいつも鮮やかなオレンジ色やピンクのドレスに身を包んでいるのは別に特別なことではない。草原でも派手な服を着ている者は少なくない。レックハルドが単に派手すぎると似合わないのを知っているので、避けているだけにすぎない。
「何もめてるの?」
 ひょいと顔を出したのは、ある意味では元凶のラタリアだ。
「なんだ、ラタリアか。…今日は辺境行くなよ。いくらこいつでも、カバーし切れねえところがあるんだから。」
 そういって、レックハルドはファルケンを軽くこづいた。
「わかってるわよ、頭領。もう行きません〜。」
 レックハルドの顔見て、ラタリアは小生意気に応えた。そして、ふと、呟く。
「それにしても、頭領って相変わらず冷めた顔してるわよねえ。若者ならもっと熱血に生きなきゃ…」
「お、……お前にだけはいわれたくなかったぜ。」
 クソガキが、と呟きながらも、レックハルドとて子供には多少甘い。特に相手が女の子だと、大っぴらに怒鳴るわけにもいかない。
「おお、いい感じじゃねえか! やっぱり、辺境種の紅花はいい色が出るよなあ。ついでにメルヤーの粉も混ぜてみたんだ。なかなか、いいかもしれない。」
 ファルケンは、自慢げにそう言ってラタリアのスカートを見る。綺麗に薄紅に染まっているスカートは、ファルケンが巻いている赤い帯と違って、少し控えめで綺麗だった。到底同じ染料で染めたとは思えない。
「よね〜。ありがと、ファルケンさん。」
 今日は機嫌がいいらしく、ラタリアはそういって笑う。それを見ながらファルケンは、ふと思いついたように訊いた。
「レックがコレが派手だっていうんだぜ。そんなことないよな?」
 そういうファルケンの手には、例の極彩色に染められた不思議な布がある。ラタリアはそれをちらりと盗み見る。
「ファルケンさん、頭領に合うかどうかちゃんと見てからじゃないと駄目よ。」
「ほら、そうだろ!」
 レックハルドが得意げにいうが、ラタリアの次の言葉は果てなく辛辣だった。
「似合わないわけじゃないけど、今の頭領の格好でそれ巻いたら大道芸人にしかみえないのよね。しかも、ファルケンさんが隣にいたら。」
「え、それってどういう意味だよ。いや、昔大道芸人二人でやったことあるけどさ。」
 閉口したレックハルドとは対称的に、ファルケンはきょとんとしている。そんな彼は、ただでさえあちこちの民族衣装を好きなところだけつまみぐいしたような自分の服装がいけないのだとか、派手な服装をするとレックハルドは洒落にならないほどに胡散臭くなるなどとかには考えが及ばないらしい。
「とりあえず、二人ともファッションセンス磨かないと駄目ね。」
 ラタリアはそういってけらけらと笑う。
「でも、初心に帰ろうとして白ずくめとかも無理だからね! だって、頭領が白だけっていうの、なんか不気味だもの。」
「どういう意味だ、このクソガキ!」
 レックハルドが声を荒げる。まぁまぁ、子供のいうことだから。と、止めに入るファルケンだが、いわれてみると、レックハルドが白ずくめは確かに恐いかもしれない。レックハルドのような策略深い男に、白だけというのは、あまりにも内面と外見の差が出すぎそうなのだ。
 だが、ここで笑うと、レックハルドに首を絞められてしまいそうだ。ファルケンは何とか笑うのを押し殺しながら、ラタリアとレックハルドの間を取りもつようにするのだった。


 鍋の中でぐつぐつと染まっていく布達が、やがて高額で取り引きされて、レックハルドの売り上げに貢献するのは、あと二週間は後のことだ。



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©akihiko wataragi
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