ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜


 6.波の下
 
 雨戸を閉じた。それでも、まだ、びゅうびゅうと鳴る風の音は消えない。ふと、妙齢の美しい貴婦人は眉をひそめた。
「あまりひどくならないといいんだけど。」
 黒い艶やかな髪を一つに高いところでまとめていて、黒っぽい上下を着ていた。膝のしたまでゆうにある黒いフレアスカートは、この嵐の日に着るには不似合いだし、合理的ではなかったが、彼女はさほど気にしてはいないようだった。すーっとした切れ長の黒い瞳に、しろい肌。顔は整っているが、逆にそれが冷たく思わせる。冷たい、貴婦人の人形を思わせる女であった。
 そういえば、と彼女は思い立った。先ほど、船の様子を見に行ったはずの彼女の夫がまだ帰らないのだ。心配するような男ではないのだが、彼女もここに閉じこめられて暇なのである。少しだけ様子を見に行ってやろうと思い、彼女はレインブーツを履くと、雨傘を片手に外に出ていくことにした。まだ、雨はあまり降っていないようだったが、これから降る可能性は高い。
 階段を降りる彼女に、ちょうど通りがかったホテルのオーナーが呼びかけた。
「アンヌさま。どちらへ?」
「ちょっと、あの人が遅いから。様子を見に行くの。」
 特に愛そう笑いもせず、彼女はそのままの表情をひょいと亭主に向ける。
「そうですか。あなたのことだから、大丈夫だろうとは思うんですが、くれぐれもお気をつけ下さい。外はかなりあれてきてますよ。」
「ありがとう。気を付けるわ。」
 アンヌはそう応え、うっすらとだけほほえんだ。彼女の場合、こんな笑みでも見られないので、オーナーは少し驚いた。今日は機嫌がいいのか、それとも機嫌が死ぬほど悪いのか、その区別はつかない。それほど、表情の変わらない女性なのである。
「いってらっしゃいませ。『提督』にもお気をつけるようにとお伝え下さい。」
「ええ。わかったわ。」
 亭主は、彼女を送り出した。その姿は、まるで彼女の部下のようにも見えた。
 外は風が強かったが、雨はまだ幸いにも降っていなかった。ただ、熱帯から運ばれてきた、暑い空気がねっとりと彼女の周りをまとわりついていた。彼女が宿泊しているホテルは少し高台にあった。『提督』とオーナーに呼ばれている彼女の夫は、今は港にいるはずなのであるが、ここから港までは少しある。この風の中、歩いていくのはあまり簡単な事とは言えない。
(雨が降り出さない内に、早く港まで行きたいものね。)
 アンヌはそう思いながら、強まる風に逆らいながら歩いた。人通りはなく、みんな自分の家の中に閉じこもっているようだった。不気味に静まり返っている。
 港に近づいてきたとき、ふと、彼女はある光景に目を留めた。
 人通りのいない道を、子供が歩いていたのである。それも、少年と少女の二人連れ。明らかに少女の方は、疲れているらしく、時々、少年の方が手を貸してやっていた。
 アンヌは美しい眉をひそめた。旅行者といっても、何となく不思議だった。家出だろうか。とも考える。どちらにしろ、この嵐の日、少年と少女の二人連れが歩いているという事は、何となく不自然だった。しかも、この二人は、明らかに何かにおびえていた。少年の方が、過剰に警戒してあちらこちらに目を配っている。
 アンヌは、つかつかと足を早めて二人に近寄った。
「ちょっと待ちなさい。」
 ぎくりとして少年が顔をあげ、思わず少し身構えた。アンヌは、冷たい顔を別に和らげることもなく、少し首を傾げた。
「別にそんなに怖がることはないわ。私はただの通りすがりよ。」
「…。」
 少年は無言でたたずんでいる。全身に緊張が張り巡らされていた。後ろの少女は、少しおびえたように様子をうかがっていた。彼女の服の裾に赤い飛沫が付着していたのをアンヌは見逃さなかった。
「家出?…とも思えないわね。どちらにしろ、嵐の中、子供が歩き回るものじゃないわ。家か、それとも宿にお帰りなさい。」
 二人は無言である
 アンヌは、少しだけ優しくいった。
「もしかして、あなた達、追われてるのかしら?」
 少年の方が、少し顔色を変えた。
「図星のようね。」
 アンヌはそう言ってもう少し彼らの方に近寄る。
「事情は知らないけれど、もうすぐ嵐はもっとひどくなるし、危ないわ。私が泊まっているホテルに一緒にいらっしゃい。」
「あなた…。」
 少女の方が、声をかけてきた。
「でも、あなたにも迷惑が…。」
 アンヌは、首を振った。
「いいわよ。青少年を保護するのは大人の仕事ですもの。」
 どこかできいたようなセリフだな。と少年は不意に思った。昨日のキィス、それから、フォーダートにもいわれたような気がする。少しだけこの貴婦人風の女性に親近感を覚えた。
「信用…してもいいのか?」
「子供を騙す程、私は暇人じゃないわ。」
 アンヌは淡泊にいうと二人を先導して歩き始めた。
「さあ、こちらへいらっしゃい。」
 少年、アルザスは、ライーザの方を振り向いた。どうすればいいのか、ライーザの判断をうかがっていたのだ。ライーザは、少し迷ったようだったが、すぐうなずいた。
 それしか、道がないのはわかっていたのだ。
 アルザスは、うなずき返し、ライーザの手を引きながら、不思議な女性の後を追った。
 
 
 金属製のコンテナの壁にぶつけられて、フォーダートは一瞬意識が遠のくのを感じた。ここで気絶した方が楽になるかも知れないと考えている間に、上から水がばしゃんとかけられる。兵士が空のバケツを持っているのを目の端で捉え、フォーダートは自分の甘い考えに少し自嘲した。
「さぁ、答えろ…。」
 レッダーの感情は今はかなり冷静になっていた。その声には苛立ちなどは感じられず、逆に冷徹なまでに感情のかけらは感じられなかった。
「なぜ、あの地図を燃やした?何の目的だ?」
 いっそう冷たい声で彼は付け足す。
「貴様、あの地図の示す内容を知っているのか?」
 水をもう一度かけられて、フォーダートはかすかに唇を動かした。声はかすれていたが、十分レッダーに届くほどの声量はあった。
「あんたが、何を、訊いたところで…、い、いまさら無意味なことだ…。」
「どういうことだ?」
「…どんなにオレを絞めたって、オレの背後にいる奴なんか、わかりゃしねえからさ…。なぜなら、オレは、何の後ろ盾も持っちゃいねえからよ…。」
 フォーダートは、うっすらと笑みを浮かべた。
「それはどうだかな…。」
 レッダーの声はひたすら冷たい。
「貴様のようなものが、ただのごろつきだとは思えんからな。」
「……ただのごろつきだよ…。いや、それ以下かもな。」
 うわごとに似たような口調でフォーダートは小声でつぶやいた。それから、相手に聞こえるようにはっきりとした声になる。
「だが…、一つだけ教えてやってもいいぜ…。確かに、オレは…あれの中身をしってたさ。あんたらが血眼になって探してるのは、古代のロマンでも秘宝でもねえ…。あんたらが探してるのは…。」
 フォーダートはそこで一度息を吸って、くすりと笑った。
「…この世を支配することも、滅ぼすこともできる、兵器だろ?」
 さっとレッダーの顔つきが変わった。彼は、前にいる兵士を押しのけて、自らフォーダートの胸ぐらをつかんで引き上げた。
「ど、どこでそれを知った!?」
 小声になっているのは、まわりにもきかせたくないからである。フォーダートは、更に笑みを強め、声を高めていった。
「もっといってやろうか、レッダー!その兵器ってのは…、この世界の大陸をバラバラにしちまった張本人だ。何が神々の戦いだ…。大昔、人間同士が戦争やって、でかい兵器を使いまくった結果、みんな駄目にしちまった。結局、人間がぜんぶやっちまったんだろ!責任転嫁もいいとこだぜ!」
「黙れ!」
 レッダーは焦っていた。周りの兵士がざわっとどよめいたのを感づいていたからだ。フォーダートは、堰が切れたように一気にまくし立てた。
「オレは黙らないぜ。…知ってるよ。それは、あまりにも強い兵器だ。一つ持ってりゃあ、あんたのお国はまさに世界最強になるだろうな!今は武力が均衡してきてる。一つの国が飛び抜けて強くなるためには、格の違うとびきり強力なモノが必要だった…。だが、科学者がいくら強い兵器を作ったところで、いずれ敵国に真似されちまう。…そ、そこから見れば、あの地図に描かれている兵器は最高だった。そりゃそうだろう?あんたたちの国の科学者でも、あの地図の謎は解けなかったんだからよ。未知の力でつくられた、兵器…。それなら、敵にもすぐには真似されない。類似品を作られる前に、一気に片をつけようって腹だった?そうだろ!」
 一つ息をつき、少し苦しそうにフォーダートは続けた。顔が少し紅潮しているのは、興奮のためだけではないようだった。実際、熱が上がってきている。
「…あんた達が、どうやって地図の内容を知ったのか…、そんなことはオレはしらねえ…。ただ、あの地図をあんたが八年前から探してたことは良く知ってるよ。…何しろ、その時、オレもあんたに協力してたんだからなあ!!」
 レッダーは、彼の最後の言葉にどきりとした。最初、この男を見たときに感じた既視感は、気のせいではなかったのかも知れないと思い返す。そういえば、こういう青い深い目の男を見たことがあった。だが、その人間は、随分、昔に死んだはずだった。それにこんな容貌ではなかったし、声も違う。
「馬鹿な…。」
 レッダーは、思わずフォーダートをつかんでいた手を離した。その手がわなわなとふるえていた。違うと思いながらも、どこかで疑念が持ち上がる。
「貴様が生きているはずがない!」
 レッダーは、半ば叫んでいた。フォーダートはどうにかバランスを取りながら、立ち上がると鼻先で笑った。
「そうかもなぁ。確かに、あれは死んだってことにはなるだろうな。」
 ぞくりとレッダーの背筋に冷たいものが走る。フォーダートの目の光は、憎悪と疲労の両方のせいで異様な輝きを帯びていた。その視線があまりにも鋭いので、自然とレッダーは、一歩後退していた。
「…確かに、あんたの知ってる通りのことになってるよ……。とんだバカだったからな。まさか、仲間に裏切られちまうとは思ってなかったんだろ?担ぎ上げられた挙げ句、結局、騙されやがった。」
「じゃあ、…なぜだ…。」
 レッダーは、首を振った。
「……絞首台から生還するなど…どうして、出来たんだ?」
「ふん。オレに訊くなよ。」
 フォーダートは嘲笑った。
「……あんたは、オレをあいつだと思っていないんだろ?オレだって同じだ。オレは、あいつじゃない…。そうよ、あいつはとっくの昔に死んじまってるぜ。」
「な、何を言っている!お前だろう!」
 レッダーは、叫んだ。
「…いいや、お前のはずだ!お前以外の誰が…!」
「おや、さっきまで気づかなかったくせに…やけにしつこく追求するじゃねえか。あんた、祟りでも怖いのか?ええ?」
 フォーダートは、あざ笑いながらそっと後退した。
「仮にもし、オレがあんたの言ってる男だったとしても…、あんたは間違ってるよ。」
「何が…何が間違ってるだと?」
 レッダーは、後を追いかけるようにふらりと近づいた。
「…オレが、例え、あんたの言ってる男だったとしても、オレはあいつと違うぜ」
「どういうことだ?」
 フォーダートは、少し自嘲しているようだった。
「……オレはあいつの半分だ。その半分は、死神がもってったんだよ。」
 フォーダートは徐々に船べりに寄って行く。レッダーが命令を下さない以上、彼を追いかけるものはいない。
「…半分…だと?」
 ぎくりとしたようにレッダーは立ち止まる。フォーダートは船べりに背中を当ててとまった。手をかけ、そっと下をのぞく。荒れ狂う波は先程よりもひどい状態になっていた。荒れた海は、茶色に汚れる。もう、いつものような青い海ではなくなっていた。激しく船の舷に波が打ち寄せる。それを見ながら、フォーダートは、少し考えているようだった。
「……ダルドラ…」
 レッダーは呟いた。
「…お前だな!?」
「…その名前は、オレのじゃない。」
 フォーダートは、笑った。
「ガキが調子に乗って、乗せられて名乗った、仕方がねえ名前だ。」
「…だが、昔はそうだった?違うか!」
 レッダーの目に、いくらか親しみのようなものが現れていた。
「…違うね。」
 フォーダートはまっすぐに目を向けたままだった。
「オレの名前は、フォーダートっていう名前だけだ。それ以外には、名前はない。それに、なかった。」
 フォーダートは、船べりに足をかけ、そこに立った。もはや、誰の目にも、彼が何をしようとしているのかがわかる。
 レッダーは、手を差し伸べた。
「やめろ!馬鹿な真似は!」
 レッダーは必死だった。
「落ちたら助からないんだぞ!」
 フォーダートは相変わらず、にやにやとしていた。
「…お前なら、必ず立派な軍人になれる!私が、必ずお前に軍の覇権を握らせてやる!世界最強の軍隊のだ!後はお前の好きなようにできるのだぞ!」
 レッダーの目は、少し熱を帯びていた。
「お前は、自分の才能をそのまま捨てる気か!その才能の生かし方を教えてやる!お前なら必ず…!」
「あんたは、かわらねえな。むしろ、成長がねえっていうかな。」
 フォーダートはいった。左肩から、ぼたぼたと血が空中に飛んでは風に吹かれて、海の中に消えていく。
「むかし、同じことをいったな。大佐。」
「そうだ。」
「…その時、オレが…何を言ったか覚えているか?」
 フォーダートの目は冷たい。レッダーは怪訝な顔をした。
「?」
「…あんたのいう才能どうこうってのは、オレはわからねえ…。オレにそういうのがあるのか、どうかもな…。ただ、オレのオヤジは曲がりなりにも軍人だったからな。あんたの言うとおり、そういう教育をされたオレは軍隊向けなのかもしれねえぜ。」
 ふっと笑ってフォーダートは、不意にきらりと輝く目をレッダーに向けた。
「…オレはこういったはずだ。『オレは軍隊なんて大嫌いだ。』ってな。オレは戦災孤児だ。それで、随分と苦労したぜ…。」
 にやりとした笑みは掻き消え、彼の目に憎悪のようなものがほとばしった。そして、感情を爆発させるように、彼は言葉を吐き出した。
「…オレがこんな生き方をするはめになったのはなあ!お前らが戦争なんかはじめやがったせいだ!!…そんな軍隊に、オレが何で入らなきゃならない?また、オレみたいな人間を作るか?ええ?笑わせるな!レッダー!オレは、たしかに人殺しの悪党だ!だけど、オレにだって意地って物があるんだぜ!オレは軍隊だけには絶対にはいらねえ!それが、オレの答えだ!」
 フォーダートは、確かに冷たく笑った。まるで勝負に勝ったような笑いだった。
「…あばよ!!」
 後ろに差し出したフォーダートの足が、空を切った。途端、がくんと彼の体は、斜めに揺らぎ、重力にひきつけられてあっという間に消えうせる。ザパーンというけたたましい音とともに、彼の体は、荒れて茶色になった汚れた海が飲み込んだ。
 慌ててレッダーは、船べりに駆け寄った。もう、下には荒れ狂う海がひろがっているだけだった。
「大佐…。」
 近くの青年将校に声をかけられるまで、レッダーは、しばらく無言で立ち止まっていた。ようやく、我に返り、彼は首を振る。
「追う必要はない。…あの傷でこの海に飛び込んだ。…もはや助かるわけがない。地図は燃えて消滅した。もう、あの男に関わる事も、あの子どもに関わる事も無意味だ。」
 彼の表情は、少し寂しげであった。
「…惜しい人材だった…。仕方があるまい。」
 レッダーはそう呟き、もう一度だけ海に目をやった。荒れ狂う波間に浮かんでくるものはなかった。
 
 

 
 
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背景:自然いっぱいの素材集
©akihiko wataragi.2003
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