ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

8.疾風のゼルフィス

 嵐はひどくなっていた。この島から出ようとしていたゼルフィスは、顔を曇らせた。
 年は二十歳をすぎたぐらいだろうか、顔は女性のように見えたが、その振る舞いやいでたちから察するに男なのだろう。彼は、いわゆる美青年の部類にはいった。すらりとして、船乗りとしては些か華奢にはみえたが、背は170を越えたぐらいであり、普通の人間からすれば低い方ではない。
「ちっ。今日はどうやら無理のようだな。」
 彼は舌打ちした。外見に似ず、荒っぽいところがあるらしく、彼は足元の小石を荒れる海の中にけり落とした。
 できれば今日中にこの島を出たかったのだが、嵐の中では仕方がない。あきらめるしかなさそうだ。
「せっかくのいい話だったのに。」
 まだ未練がある。この話がきちんとまとまれば、彼はうまくすると船を一隻もらえるかもしれなかった。だが、話の手がかりを得るにはパージス島から出なくてはならないのである。それも、この嵐で阻まれた。
 波が打ち寄せるたび、足元に震動が押し寄せ、凄まじい音がたった。風が強いせいで、持っていた傘はとうとう折れてしまっていた。だから、彼は激しい雨に濡らされていた。
 仕方がない。帰るか。
 ゼルフィスは、あきらめる事にして、きびすを返した。
 ドーンと、波音が聞こえる。それに混じって、何かが水からあがったときのような音が聞こえた。ゼルフィスはその足を止める。
 堤防から這い上がってきたらしい人影が見えた。おぼつかない足取りだが、何かから逃げるようにふらりと現れた人物は、どれほどか歩いた後、突然ばたりと倒れ伏した。
(何だ?)
 ゼルフィスは怪訝に思って、そちらの方に近寄った。男が一人倒れていた。全身くまなく濡れそぼっていて、ところどころ赤い染みが見えた。
 ゼルフィスは、しゃがみこんだ。
(生きているのか、死んでるのか。)
 見た目からはわからない。一つ確かなのは、倒れてから男が指一本動かさない事だけである。
(死んだかな?)
 ゼルフィスは、男の前髪をつかんでそっと引き上げる。随分と雨風に吹き付けられて乱れた髪の毛は、ぐっしょりと水を含んでいた。
「…う…」
 かすかにうめき声が聞こえた。まだ若い男のようだった。口ひげを少し生やしているせいで正確な年齢は割り出せないが、三十前後といったところか。顔自体は、それなりに整っていた。それよりも、もっと驚く事が男の顔にはあった。ゼルフィスは少し驚く。顔の右半分に、大きく逆十字を描く傷痕が見受けられたからだ。
「…逆十字…?」
 ゼルフィスが呟いたとき、いきなり、首筋に冷たい光が走った。
「…だ、誰だ…お前は…」
 かすれていたが、やけに低い声が響いた。ゼルフィスは、思わずあっけに取られる。先程まで、気がつきそうもなかった男が、目を開いてこちらを睨むように見上げていた。一度見たら忘れられないような、深い青い目をしていた。
 その手には、いつ握ったものか短剣が握られている。それの刃がゼルフィスの首に少し触れていた。
 ゼルフィスは、ふっと微笑んだ。顔は少し上向き加減に、刃物に触れないようにその角度を保つ。
「やるねぇ、あんた…。さすがだよ。」
楽しそうな笑みを浮かべて、ゼルフィスは続けた。
「なるほどねえ、やけに条件がいいと思ったら、そういうことかい?」
 まだ半分焦点がはっきりしない男に向けて、ゼルフィスはやけに響く声で言った。
「逆十字って奴はあんただね。感心したよ。」
 フォーダートが、わずかに目を細めたのがわかった。意識がはっきりし始めたらしいフォーダートの目には見る見る殺気がみなぎっていた。ゼルフィスがにやりと笑った。
「その状態で、あんたも相当しぶとい男だな。…これは、穏便に済みそうにないねえ。」
 彼が言うとおり、穏便に済むような状況ではなかった。髪の毛をつかんでいるゼルフィスと、彼の首に刃をあてているフォーダート…。どちらかが敵意を捨てない限り、下手に動く事は出来ない。
 先に動いたのはゼルフィスだった。彼は、フォーダートの髪から素早く手を引き、ざっと平行に後ろに後退した。支えをなくして、フォーダートは地面に伏せる。
 が、すぐに起き上がり、何とか立ち上がった。
「…人の髪をつかんで起こすのが礼儀か?」
 フォーダートがかすれた声で聞くとゼルフィスはふっと微笑む。
「時と相手によりけりだね。それに、死んでるかと思ったからさ。」
(だったら、余計に髪の毛をつかんで引き起こすのはおかしいだろ。)
 どこか、冷静な自分がそう考えたが、フォーダートは相手が放つ殺気めいたものに気づいていた。顔や姿は女性らしかったが、行動と発言、それに聞いていればどうも女ではないらしい。容貌の美しさに惑わされてはいけない。…この男は、相当できる。
 そして、彼は明らかに自分の正体を知ってもいる。堅気のわけがない。
「逆十字とはあんたのことだろ?」
 フォーダートは応えない。だが、こういうときの沈黙は、肯定として受け取られる事が多い。
「その身のこなしを見てればわかるさ。それに、顔に傷があるんだもんな。看板ぶら下げて歩いてるようなもんだよ。」
 ゼルフィスは、そういって腰の短剣の柄に手を触れる。
「……驚いたよ。こんなところで会えるとは思わなかった。」
「…オレはお前なんか知らねえ。」
 フォーダートは、近くの倉庫の壁までふらつく足を寄せた。半分体を預けながら応える。まともに立っていられない。
「…誰だ?」
「名乗るほどのもんでもないさ。…そうだな、あんたに恨みを持つ奴から、ちょうど依頼を受けたところ、って言ったほうがよさそうだな。別にあんたに恨みはないさ。むしろ、尊敬してるぐらいだぜ。でも、仕事は仕事でね。あんたを逃がすわけにも行かなくてね。」
「…殺し屋には見えないけどな。」
 フォーダートは、少しだけ笑った。
「オレは殺し屋じゃあない。間違えられるのも癪だな。…じゃあ、名乗っておこうか。俺はゼルフィス=ハルシャッド。」
「ゼルフィス?」
 フォーダートは、反芻した。その名前には聞き覚えがあった。何でも、瞬く間に、複数のつわもの共を叩き伏せたというやけに綺麗な顔をした美青年がいるという話だった。顔は綺麗だが、それに似合わず強く、しかも風のように速い。それでついた名前が『疾風(はやて)のゼルフィス』…。
 海賊として有名だったハルシャッド船長の息子だという話だが、彼が死んだときにかなりの部下が逃げてしまっていた。だから、今は船を持たないで、港を渡って雇われたりしていることもあるという話だ。
「…疾風のゼルフィス…か?キャプテン・ハルシャッドの息子ってぇ…」
「他人にどういわれてるのかはしらねえが、そのゼルフィスには違いないぜ。」
 ゼルフィスは、腰にさした短剣に手を掛ける。
「ちょうど会いたいと思ってたところでね、…どうだい?オレに一つ剣のレッスンでもしてみるつもりはないかい?」
 ゼルフィスは微笑んで、楽しそうな明るい声で呼びかけた。
「あんたの調子が悪いのは、承知だけどな。」
 ゼルフィスのしろい手が、短剣を抜いた。濡れて雫が落ちる長い巻き毛を左手ではらう。
「……どうやら、あんたが言ったとおり、穏便に済みそうもないな…」
 フォーダートは、頬をひきつらせて笑った。正直言って、冗談ではないと思った。こんなに体がぼろぼろのときに、よりにもよって何て相手が現れるのだろう。
 ――ゼルフィスは生半可な相手ではない。
 何となくわかる。口だけではなく、ゼルフィスは確かに強い。立ち居振る舞い、その場の雰囲気、そして態度。何度も修羅場を潜り抜けてきたフォーダートには、ゼルフィスの実力がある程度読める。
 だから、いきなり逃げを打っても逃がしてくれるような相手ではない。逃げるという手段は、決していい判断ではなかった。
「わかったぜ…。抜きな。」
 にっとゼルフィスは笑った。
「感謝するよ。」
 かといってこの体でゼルフィスに勝つのも難しい。フォーダートに残された方法は、相手に傷を負わせてから逃げを打つ事ぐらいしかなかった。
「いくよ。逆十字。」
 やたら綺麗な顔が、冷酷な微笑みを形成する。少し妖艶な感じすらした。たっとゼルフィスの足が地面を蹴った。
「てぇっ!」
 すばやい突きが繰り出されるのを、短剣で流し、フォーダートは足払いを掛ける。だが、ゼルフィスの方が早い。かけられそうになった足をさっと退かせる。
「…やるじゃないか。」
 フォーダートは低い声で言いながら、息を整える。
「あんたほどじゃないさ。」
 ゼルフィスはそういって、ふっと微笑む。それから気づいたようにいった。
「あんた、キィス=テルダーの身内かい?」
 ぴく、とフォーダートの眉が上がった。
「…なんだと?」
「…太刀筋の癖が似てるからさ。そう思っただけだよ。」
 ゼルフィスは、雨風に吹かれて張り付く髪の毛を払った。
「キィス=テルダーには何度か会った事がある。決闘してる場面を見学した事もね。」
「ハルシャッド船長の息子ってならそうだろうな。」
 ハルシャッドも私掠船団の中にいた事がある。彼らはいくらか親交があった。
「あの人は強い人で、おまけに軍隊上がりの型にはまる剣術を使うだろ?でも、ちょっとだけ癖があるんだよな。剣を跳ね上げる時の癖とかね。」
「…それがオレと一緒だって言うのか?」
「あぁ、そうだね。とてもよく似てるよ。」
「…確かにな…。まぁ、似てても仕方がないかも知れねえが。」
 フォーダートは応えて、自分も前髪を上にかきあげた。
「…だが、あんたに話す義理もないな。」
「だね。別に立ち入った事をきくつもりは、こっちもないよ。ただ、あんたが強い理由がなんとなくわかったけどね。」
「じゃあ、…早いところ決着をつけよう。」
 フォーダートは汗と雨でぐっしょりした髪の毛を軽くはねつけた。
「どちらにしろ、ひでえ雨だ。」
 雨は、降るというよりは、たたきつけてくるようだった。
「そりゃあそうだろうねえ。だって、嵐じゃないか。」
 ゼルフィスが、楽しそうに言った。 
 そして、その雨を縫うように、ゼルフィスの剣が伸びてくる。
「じゃあ、行くよ!」 
 ゼルフィスの剣は鋭くて早い。しかも、正確に急所狙いでくる。それを確実に避けなければ、遅かれ早かれ命を奪われる。そもそも、すでに傷を負っているフォーダートは、かすり傷だろうと、これ以上負傷するわけにはいかなかった。
「防戦一方じゃないか!もうスタミナが切れたのかい?!」
 ゼルフィスの声が、挑発的に響く。
「チッ!」
 彼の顔めがけて、思い切り短剣を突っかけながら、フォーダートは急にそれを逆手に持ち替えた。そのまま、真横に薙ごうとしたが、ゼルフィスの方が速い。彼はそれをうまくかわし、こちらの隙を窺っている。
(とんだ計算違いだ。)
 フォーダートは、苦笑いした。ゼルフィスは、今の自分の手に負えるような相手ではない。
 だが、だからといって負けるわけにはいかなかった。
 

 嵐はひどくなる。外で何か、がたんがたん音が鳴った。木箱でも飛ばされたのだろうか。
「そ、それにしても〜…」
 アルザスは言いにくそうに切り出した。
「まさか、こういう取り合わせの夫婦がいらっしゃるとはな〜…」
「何か文句があるのか?お前は!」
 キィスはいつものように、怒鳴った。
「いや、そんな事はないけど。」
 文句はないが、あまりにもとっぴ過ぎやしないだろうか、この夫婦。
「あなた、奥に休んでいる子がいるのよ。起こすような真似はやめて頂戴。」
 大人しい言葉だが、そこに冷え冷えするような何かが隠されている。アルザスも思わず顔をこわばらせたが、横のキィスも同様だった。
「わ、わかった。私の思慮が欠けていたようだ。」
「そう、ならいいのよ。」
 ここで、まだおほほと笑ってくれると救いがあるのだが、アンヌはそれすらする人ではない。
「しかし、今度は何だ?また海賊どもに追われているのか?」
 キィスは不意にアルザスに話を振った。
「こ、今回は違うよ。」
 アルザスは不満そうな顔をした。
「ちょっと、レッダーっていう大佐に」
「あぁ、レッダーか。なるほど、奴はしつこいからな。」
 キィスがふいにいったので、アルザスは驚いた。
「ええ!ちょっと、あんた、知り合いなのか?」
「大戦時代にちょっとね。」
 応えたのはアンヌのほうである。彼女はほんの少しにっこりと笑う。
「私とキィスでこてんぱんにした男がそういう名前だったかしら?」
「私?私が来た時、すでにレッダーは砂の上でのびてたんじゃなかったか?主にお前が勝負をしたんだろう?」
 キィスが何でもないような口調でいったが、アルザスにとっては十分ショッキングな内容である。
「あなたに決闘を挑んできたんだけれど、あなたが忙しそうだったから、私がかわりに相手をしてあげたのよ。でも、五分持ったからいいほうかしらね。」
(ええ!あのおっさん、この人にやられたの!五分以内に?)
 アルザスは声に出さずに驚いた。ますますもってわからない夫婦だ。
「あの時、止めを刺しとけばよかったかしら。」
「提督。アンヌ様。」
 アンヌが冷たい声で物騒な事を言った時、ヨハンという名の、宿の亭主が入ってきた。
「連中は、サーペントとのつながりがあるようです。尾行してきたビリーがそう報告してきました。」
「何だ?さっきの連中はサーペントの手下だったのか?」
 キィスが、椅子に座りながら訊いた。
「サーペントが軍部と繋がっているという噂は本当だったようね。」
 アンヌは、軽く腕組みをしながら呟く。
「すみません、提督。私が現役なら、サーペントのような小物、ほうっておかないんですが…」
 ヨハンは心底申し訳なさそうな顔をした。アルザスは不意に疑問に思ったが、どうやら色々とあるらしい。
「お前のせいではないだろう。まあいい。」
 それから、アルザスにちらっと目を向ける。
「目的はどうせあれだろう。ここにいればどうってことはない。」
 キィスはそういい、そばにあった新聞を読み始めた。キィスは地図の事を知っている。その上でかくまってくれるらしい事を知って、アルザスは少しホッとした。
「目的?あら、あなた…。何があったのかご存知なの?アルザス君と関係あるの?」
 アンヌがふと首をかしげ、キィスは慌てて顔色を変えた。
「い、いや、何も知らんのだが!そそそ、そういう気がしたのでな!」
「まぁ、そうなの。それならいいんだけど。」
 アンヌは、納得したように引き下がる。どうやら、何か知られたくない事情があるようだ。キィスはほっとしたようだが、アルザスはアンヌの様子を見て更に顔を青くする。あのいかにも鋭そうなアンヌが、キィスのみえみえのごまかしなどにのるわけがないのである。証拠に、アンヌは一瞬だけ、にやりと笑っていたのだ。普通でも恐い状況なのに、相手がアンヌだと倍は恐いものである。
(ダメだ!この夫婦!)
 アルザスは、ライーザがこの場にいないことを少し呪った。共感しあえる仲間がいない分、気持ちのもっていきようがない。
 しかも、どうやらキィスは、アンヌにあの地図の事を隠しておきたいようなのだ。気を利かせて、アルザスも地図の事を口にしなかった。
「どうしたの?」
 アンヌに尋ねられ、アルザスは乾いた笑みを浮かべた。
「いえ、なんでもありません。」
「そう。ならいいの。」
 アンヌは淡白にいうと、自分の冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
 外はまだ凄まじい風が吹き荒れている。ひゅううと、風を切る音が冷たく聞こえる。ばらばらと雨戸から鳴る音は、雨戸に叩きつける雨粒が、悲鳴をあげているようにアルザスには思えた。

 そういえば、フォーダートは一体どうしているだろうか。


 
 
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