ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜


9.写真の少年-1

 静かだ。
 降りつける雨の音も、何もかも飛ばそうとしているような風さえも、地響きする波の音さえも…。すべて聞こえないような気がする。
(集中してる証拠なのか、それともオレが限界なのか。)
 フォーダートは、ふと笑みを浮かべた。
(どっちにしても、状況はかわらねえけどな)
 お互い隙をうかがいあっていても、埒が明かない。対峙したまま、しばらくこう着状態に陥っていた。髪の毛から、ぽたんとしずくが落ちるが、それが落ちた音は聞こえない。だが、待つのは苦にならない。問題は、体力がもつかどうかという一点だけのこと。
 対照的にゼルフィスは焦れてきていた。経験がある分、フォーダートは冷静である。このまま待っていたとして、ゼルフィスの勝利は間違いないが、彼はそれを待てるほど気が長くはなかった。
「悪いけど!勝負つけさせてもらうよ!」
 大きく右足を踏み込む。水溜りを蹴飛ばして、水しぶきが舞い上がり、右手にきらりと短剣が光る。思い切り突っ込んでくるが、気がはやっている分、その動きは荒い。
 ゼルフィスが、短剣を振りかざしたとき、すばやくフォーダートはそれをかわして彼の懐に飛び込んだ。ゼルフィスの顔が少し強張る。
(…それを待っていたんだよ!) 
 これで勝負は事足りる。フォーダートは、ゼルフィスののど元に短剣を突きかけようとした。
 が、突然、ゼルフィスがふっと遠くなったのだ。おまけに二重に世界がぶれる。まるでゼルフィスが妖しい幻術でもつかったかのように、突然、フォーダートは目標を失った。短剣が空を切り、雨の水滴が横に飛ぶ。
(違う。相手がかわしたんじゃない!オレがふらついてるだけだ!)
 フォーダートがそう気づいたときには、遅かった。ゼルフィスは、身を引いて逆にこちらを攻撃する態勢に入っている。彼の美しい顔が、笑みに歪むのがわかった。
「もらった!」
 ゼルフィスの声が響き、雨の中、刃物がこちらに向かってくるのが見えた。鉄が、曇天の中の光をかき集めて鈍い光を放つ。一度崩れた体勢では、彼の攻撃を受け流すのは不可能だ。
 フォーダートは初めて寒気を覚えた。そのまま、反射的に身を地面に投げ出した。シャツの左袖が、刃に掠って破れる。
 鋭い一撃だった。一瞬でも遅れたら、それは明らかに致命傷になっていた。
「その体でよくかわした!ほめてやるぜ!」
 ゼルフィスの声は、歓喜に彩られていた。この危険な勝負を、彼は明らかに楽しんでいる。
(畜生!…こっちはぎりぎりだっていうのに!)
 楽しむ人間には勝てない。あれは誰が言った言葉だったか。普段ならまだしも、今のフォーダートに勝負を楽しもうなどという贅沢な気分は無い。
 水の上に投げ出され、受身を取って起き上がろうとするが、水溜りに突っ込んだ拍子に、手から短剣がこぼれた。左側に投げ出されたそれを、あわてて右手で追いかける。左肩を撃たれた影響で、左手を動かすわけにはいかなかったからだ。
 だが、その分動きが遅れた。先にその短剣をつま先が蹴飛ばした。ゼルフィスが回ってきていたのだ。甲高い音を立てながら、短剣は水溜りを蹴散らして水滴を飛ばしながら向こう側に弾かれた。
「この野郎!」
 毒づいたフォーダートは、起き上がりながら右手をすばやくブーツの中に入れた。そこには、ひそかに短剣を隠してある。だが、フォーダートはその手を止めた。彼が右手で短剣を取り出す前に、ゼルフィスが回し蹴りの体勢に入っていたからだ。慌てて身を引く。急所は外れたものの、ゼルフィスの蹴りをわき腹に食らい、フォーダートは息を詰まらせた。そのまま、引きずり落とされ、フォーダートは地面に再び倒れ伏した。
 首筋に冷たい感触が走る。
「…悪いね。どうやらこちらに分があったらしいな。」
 ゼルフィスは、口元を歪めた。フォーダートは、蹴られたわき腹の痛みを歯をかみ締めて押し殺しながら、上をにらみ上げた。そして、不意に言って、皮肉な笑みを浮かべる。
「…ふん、勝負は時の運…だったな?どちらにしろ、あんたの勝ちは勝ちだ…よろこんでおけよ?罰は当たらねえぜ?」
 誰が見てもそれは立派な事実だった。負けだ。もろもろの事情があるにしろ、フォーダートは、この勝負に負けたのである。そしてこの場で負けることは直接死を意味していた。
「その通り、あんたの負けだよ。逆十字。」
 ゼルフィスの声は、死刑宣告をする判事のような独特の冷たさを帯びていた。背筋の凍るような絶望とともに、ある種の冷静さがフォーダートの心に現れた。それは、覚悟とも言い換えられるものである。
「…殺せ!」
 フォーダートは言った。
「アイズなんかになぶり殺しにされるのは我慢できねえ。この場で殺せ!」
 ゼルフィスは、短剣を突きつけたまま、それを見つめていた。やけに綺麗な瞳だった。エメラルドのような碧…。慈悲深く冷酷な女神のような顔をして彼はそこにいた。
「…引き渡される間に逃げられるかもしれないぜ?」
 ゼルフィスは笑いもせずに訊いた。
「それでもいいのかい?」
「こんな生き方している以上、どこでどう死のうが覚悟はできてるさ。あいつらに蹴り殺されて死ぬのも、あんたに止めを刺されるのも、どちらも同じ事だ。ただ、…希望としちゃ、あんたのほうがいくらかましだって思っただけだ。」
「なるほど、いうじゃないか。」
 ゼルフィスは、軽く笑った。
「確かに、あそこの親分はちょっとやる事が汚いからねえ。」
 雨が激しくふりつけてくる。当たれば痛いほどだが、ゼルフィスは平気だ。彼の顔には、金色の髪の毛が吹き付けて目以外を半分隠している。
「…それでいいってんなら、オレはあんたを殺っちまってもいいってことだね?…言っておくけど、遠慮しないぜ?」
 ゼルフィスの碧眼はエメラルドの冷たい石のように、感情を映していないように見えた。それとも、フォーダートの目が、かすんでいるせいだろうか。
 風が舞った。ふと、ゼルフィスの顔に張り付いていた髪が、あおられてすべて後ろになびいた。彼の顔が、はっきりと露になったとき、フォーダートは初めてゼルフィスの顔に釘付けになった。
 エメラルドグリーンの宝石のような瞳に金色の髪。高貴で整った顔立ちだが、どこか野性味を帯びている。獲物を狙うときの豹のような、しなやかさと獰猛さと美しさを兼ね備えていた。まるで彫刻みたいだと、フォーダートは思う。
(…綺麗だ…)
 フォーダートは状況を忘れて、一瞬、本当に魔術にかかったようになって相手に見とれた。少なくとも、そのときのフォーダートには、ゼルフィスが「女性」に見えた。意識が朦朧としてきているからか、それとも…、ゼルフィスは…?
(…なんだ、…誰かに似ているな…。誰だ?)
 フォーダートは、呆然としながら思いをめぐらせた。雨が降りつけるのももう気にならない。体の先からだんだん冷たくなってきたような気がする。
(……誰に似てるんだっけ…)
 ゼルフィスは笑っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。同情しているのか、それとも嘲笑っているのか、その表情からはもはや判断できない。そもそも、そういう表情をしているのすら確かめられない。すでに目の前がぼやけ始めている。
(…そうだ、どこかで見たと思っていたら…)
 フォーダートは、不意にある事を思い出す。
 ゼルフィスは、まるで、冷酷な戦いの女神、ファリアエイルに似ていた。彼の船の船首像になっている女神だ。
 戦を運び、冷酷に敵を倒し、そうでありながら、倒れた兵士を悼む、矛盾に満ちた不吉で美しい竜の女神。それが、ドラゴン・ファリアエイル。昔からよく本で読んだ昔話だ。
 フォーダートはそれが好きだった。その神話が、自分で最初に読んだ分厚い本だったからか、それとも、ファリアエイルのそういったつめたいところが好きだったのか。いまだによく分からない。ただ、好きだったという覚えがあるだけだ。それで、船首像にもした。
(オレは…死ぬのか?)
 フォーダートは漠然と思った。今まで、何度か生死の境をさまよった事があるが、こんな風に、敵にファリアエイルを見る事はなかった。いくら相手が美貌の戦士だとしても。ファリアエイルは、戦の女神。戦場で死ぬものが、時に幻として彼女を見る事があるという。そういう伝説がある。フォーダートが、そういう風に思ったとしても、別におかしな事ではない。
(へへ。相変わらず、オレは夢ばっかり見てるな。)
 フォーダートは、薄れる意識の中、そんな事をぼんやりと思っていた。だが、似合いの最期かもしれないと思った。いや、野垂れ死によりはよほどましかもしれない。自分にしては上等の最期かもしれない。
(架空の女神を最期に見ちまうなんて……。ガキじゃあるまいし、恥ずかしくって顔向けできねえな。)
 ふっと、フォーダートは古びた写真が一枚、さっと目の前を通過していったような錯覚に襲われた。そこにうつっているのは、美しい女性と二枚目の青年とそれから……。苦い思い出に、フォーダートは、自嘲気味の笑みも唇から消した。あのことを思うと、正直申し訳なくて仕方が無かった。
(…結局、オレは、あの二人をだましたんだな…。でも、嘘もこれで終わりか…)
 暗い視界に、金属の光がうっすらと目に入る。ゼルフィスは、自分をどうする気だろう?どちらにしろ、彼の一撃を待たなくても、このまま放っておかれたらどうせ自分は死ぬ。
(…一度だけでいいから、…謝っていればよかった…)
 後悔は先には立たない。フォーダートは、冷たい雨の中そう思った。
 これからどこに行くんだろう?オレみたいな悪党で人殺しの親不孝者はやっぱり地獄か?
 冷たい死の予感がする。フォーダートは、そのまま意識を失った。


 無言に落ちたフォーダートを見て、ゼルフィスは突きつけていた短剣を離した。
「…?おい?ホントに死んじまったか?」
 縁起でもないことを訊きながらゼルフィスは、少しだけ覗き込む。どうやら、息はしているらしいことを知って、ゼルフィスはふうむと唸った。
 雨が冷たく叩きつける。今更止めなど刺さなくても、このまま放っておけばこの男の命はないに違いない。
「……おーい、…駄目だ。完全に寝ちまってるか。」
 一応呼びかけてみて、フォーダートが反応を返さないのを見て、ゼルフィスは困った。
「…ったく、どうしたらいいもんかね。…このまんま、死なれると後味悪そうだしな。目が覚めてるときにケジメをつけときたかったんだけど。」
 少し首をかしげた後、ゼルフィスは少し考える。それから子供のような純粋な顔をすると、こうつぶやいた。
「……まぁいいか。”あたし”だって、嵐の日に野ざらしで死ぬのはいやだしな。」
 そして、彼は短剣をさっさとおさめた。吹きすさぶ風と雨でばさばさになった髪の毛をうっとうしそうにかきやると、彼は気を失ったフォーダートの右手を引っ張り上げて背負った。フォーダートの方が背が高いので少し引きずる形になるが、ゼルフィスは別に気にしていないようである。そのままフォーダートの靴をずるずると引きずりながら、ゼルフィスは飄々とその場を後にした。


 
 
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