ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

10.INN『シルク』-1
 
 ざあざあと窓を叩く雨の音がする。締め切った部屋の中、むっとした空気がなんとも言えず不快である。とりあえず、部屋の窓にベニヤを打ち付けて一応の安全は確保した。風で窓が割れるとかなり悲惨なのである。
「ゼルフィスのお坊ちゃんは何をしていらっしゃるんだか。」
 亭主は深くため息をついた。見るからに人のよさそうな、少し気の弱そうな印象のある小太りの亭主は、テーブルにぐったりと伸びていた。足元に、先ほど取り外した「民宿「シルク」」と書かれた看板があった。客はいくらかいたが、嵐に慣れたものと見えてひっそりとしている。
 あとは入り口をしっかりと板で補強すれば終りなのだが、肝心の人が先ほど出て行って帰ってこないのである。
(無茶するからなあ、…あの人は…)
 亭主は、困りきった様子で頭を掻いた。この島には、いろんな人間がいる。たとえば、キィス=テルダーの右腕をつとめた『知恵袋』ヨハン=シャーディが足を洗ってひっそりと宿をやっていたりする。そのように、この島には、様々な経歴を持つものが住んでいる。それだけでも、ハルシャッドの息子であるあの方には、危険だというのに今日はまして暴風雨なのだ。
 かといって、ハルシャッドの一人息子であるゼルフィスは、止めたところで止まるような者ではない。無理を承知でずんずん突き進んでいってしまう。あの女の子のような美しい容貌とは裏腹に、ゼルフィスの行動は余りにも雄々しかった。
「おまけに今度はアイズの奴らと組むだなんて…」
 はぁ、と亭主はため息をつく。ただでさえ評判の悪い海賊のアイズは、特にテルダー系列の海賊と仲が悪い。組んだ時点でヨハンに目をつけられるのは間違いない。それからある男を殺してくれと依頼され、平気で受けてしまうゼルフィスもゼルフィスだと思う。
「大体、男一人殺して船をもらうなんて、もっと安全な方法がいくらでもあるでしょうに。おまけに相手は、噂の逆十字…。神出鬼没でどこにいるかもわからない。その目撃情報を聞くためってだけで、嵐の中、船に乗りにいこうってあたりも、どうかしてるよなあ。」
 どうかしてるとは思うが、それを止めるほど亭主は強くはない。はあ、とため息をつき、帰ってこないどら息子を待つのは、なかなか忍耐がいることなのだが、そこは慣れているせいで鍛えられていた。
 突然、どんどん、と戸を叩く音がし、亭主は慌てて立ち上がる。ばたーん、と容赦なく扉が開けられ、そのどら息子の天真爛漫な声が、扉の向こうから響いた。
「おい、帰ったぜ! ちょっと手が一杯なんだ。手伝ってくれよ!」
「はいはい。今行きます!」
 亭主が慌てて走っていくと、扉が開けられたせいで、ロビーに突風が巻き起こっていた。慌てて彼は叫ぶ。
「ゼルフィス様、閉めてください!」
「あ、そうか。悪いな。」
 ゼルフィスは、風にぬれた髪を遊ばせていたが、気づいてようやく扉を閉めた。カウンターからメモが宙に一度舞い上がって、そのまま床に散乱しているのをみて、亭主はどっと疲れた気分になる。
 当のゼルフィスは、全身見る影もなくぬれていたが、本人は全然気にしていないようだ。その豪快さと見た目のギャップに、更に亭主は疲れるのだった。
「お帰りなさい。どうでしたか?」
 それでも律儀にタオルを渡し、彼はゼルフィスに尋ねた。ゼルフィスは首を振り、残念そうに言った。
「そうなんだよなあ。さすがに船を出せる状況じゃなかったぜ。」
「だから、無理だといったでしょう。」
「あぁ、ちょっと気がはやっちまったようだよ。心配かけて悪かったね。ああ、そうそう。」
 ゼルフィスはそう言って、どさりと担いできたものをおろした。それが、人間だったので亭主は更に驚く。
「ゼ、ゼルフィス様!」
「…安心しろ。まだ、生きてるよ。」
「で、ですが…」
 そうっと亭主は、ゼルフィスが床におろしたうつ伏せで倒れている人物を覗き込んだ。若い男である。ゼルフィス同様、というより、ゼルフィスより派手に濡れていた。その服に水でかなり滲んだ血がついているのがわかる。濡れて少し黒っぽくなった茶色の髪がべったりと顔に張り付いていた。完全に気を失っているらしく、全く反応がない。生きているらしい事は、胸がかすかに上下しているのでわかるが、それにしてもまた厄介なものを拾ってきたものである。
 血で汚れた上着を脱ぎ捨て、ゼルフィスは怪訝そうに彼を見る亭主に応える。
「何だい? 疑ってるのか? オレがやったんじゃない。元からそうなってたんだぜ。オレは追い討ちをかけただけ。」
「…でもですね。…この男…、もしかして…」
 亭主はしゃがみこみ、倒れている男の前髪を払った。よく見ると結構整った顔をしている。気絶しているので、雰囲気はわからないが、右目を縦横に通る刀傷がはっきりとそこにはある。
「この男は…」
 ゼルフィスが狙っている逆十字の容貌は、コバルトブルーの瞳に黄土色の髪。顔は二枚目だが、甘さを感じさせないタイプ。そして右目に逆十字の傷…である。
「…もしかして…!!」
 亭主が焦ったように顔を上げると、なんでもないような顔をしてゼルフィスはいった。
「あぁ、そいつ、逆十字だよ。しかも、オレがアイズから頼まれたってこと、知ってたぜ。」
 海賊のアイズが逆十字を恨んでいるのは有名な話である。若い頃、逆十字が、アイズの船に一人で乗り込んでいって、それは見事に暴れまわり、無傷のまま逃亡したとかいう。逆十字の名前はそれで一気に有名になった。だが、それはアイズが恥をかかされたということにもなるのである。怒ったアイズは、方々に手を回して逆十字に報復しようとしたらしいが、放った刺客はことごとく返り討ちにされたという噂もある。真相はよくわからないが、少なくともうまく逃げられてばかりだという事だ。
 アイズが躍起になったのも言うまでもなく、その流れでゼルフィスにもお鉢が回ってきたのだった。しかも、もし殺す事ができたら、船と部下をセットでくれるというのだ。ハルシャッドの後を継いだというのは名ばかりで、実際、手下もいないゼルフィスにとって、それは朗報ではあったのだが…。
「もっと凶悪な奴をイメージしてたんだが、案外まともだったな〜。」
「…どういうイメージだったんですか。」
 亭主は、ため息を深々とつき、それから思い出したように顔を上げた。
「しかし、このまま、止めを刺したほうがよかったのでは…。そうすれば、報酬ももらえましたし。」
 亭主の提案に、ゼルフィスは断固として首を振った。
「ダメだ。一瞬考えたが、やっぱりやめた。そいつは最初から重傷を負ってたんだぜ? その体でオレといい線いったんだから、噂どおり相当強いぜ。久々に血が騒いじまったね!」
 ゼルフィスはいたずらっぽい笑みを浮かべる。亭主は、困惑していた。
「そんなに強いなら、もし万全の状態だったら危ないじゃないですか!」
「あのなあ、それがいいんだよ。ここで、こいつを殺したって仕方がないだろ。勝負は正々堂々とやって決めたい。」
 ゼルフィスはそう言って濡れた髪を跳ね上げた。綺麗な巻き毛のブロンドがさらりとはねあがる。
「…そうはいいましても。」
「おやじだっていってただろ? 汚い勝負をやったら、後で後悔するかもしれねえって。それに、オレもちょっと興味あるからさ。こいつが全快の状態だったらどうかなあって。」
 それからゼルフィスは、少しだけにやりとする。
「こいつ、それに、あのキィス=テルダーの関係者だぜ。…あんまり手荒にあつかうと後が恐いんじゃないかい?」
「ええ!あのテルダーの?」
 ご冗談を。と言いたげだが、亭主もテルダーは恐いらしい。
「…わかりました。ここには、あの『ヨハン=シャーディ』もいますからね。下手な事はできません。」
「そーゆーことだ。殺るなら殺るで、テルダーの影響外でやんないとな。やっぱり、勝負は思い切りやんのが一番楽しいからな!あー!楽しみ!」
 そういうゼルフィスが不謹慎な事に楽しんでいるのが分かる。亭主はため息をついた。
「…そういうところだけ、親父さんによく似ていらっしゃいますよ。」
「あんなごつい親父に似てるだなんて言われたくないよ。」
 ふんと、鼻で笑い、ゼルフィスは髪の毛を拭き終えたタオルをぽいと上着と一緒に投げた。亭主は、それを片付けながら、人のよさそうな困った顔をした。
「まあ、それはそれとしますが…しかし…」
 亭主は、フォーダートの様子を心配そうに見た。
「…助かりますか? かなりの深手みたいですが…。」
「医者を呼んでやればいいだろ。それで、助からなかったら、それも仕方ないさ。なんか色々いってたし、本人も諦めがついてるんじゃねえかな。」
 ゼルフィスは、フォーダートが気を失う前に口走った言葉を思い出した。ゼルフィスもこの世界で生きる以上、なんとなく覚悟というものについてはひっかかるものがあるのだった。
「医者…といわれましても…」
 亭主が困ると、ゼルフィスは、ぱんと手を叩いた。
「あ、そういえば、今日、医者が泊まってたな。この宿。二階だったよな!」
 そういうとすでにゼルフィスは、階段の方まで歩いていっている。
「え、ええ。そうですが、でもゼルフィス様。」
 嫌な予感がして、亭主は慌てて彼をおいかけた。
「おーい、医者いるんだろー! ちょっと用があんだよ〜!」
 ずかずかとデリカシーのかけらもなくあがっていくゼルフィスを見上げて、亭主は額をおさえた。客の扱いも何も考えていない。
「ゼルフィス様。私が探しますから〜!」
「…そうか。じゃ、オレはこいつ運んどくぜ。」
 思い直して、たたたっと階段をくだり、乱暴にフォーダートの腕を引っ張りあげたゼルフィスを見て、亭主は、さっと顔色を変えた。重傷の人間をそんな風に扱うな、ということではない。ゼルフィスの今後の行動にある不安を抱いたのである。
「あっ! 一等客室はやめてください! 血痕がついたら、幽霊宿になっちまいますよ!商売に差支えが!」
「けちな事いうなよ。こんなぼろ宿、どこだって血まみれみたいなもんだろが。どうせ一等なんていいながら、たいしたことないんだろ?」
「そんな…。お願いしますよ、ゼルフィス様〜。」
 本当に豪快すぎる。顔のつくりの半分でもいいから繊細な部分があればいいのに、と亭主はため息をつきながら思うのだった。
 


 
 
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©akihiko wataragi.2003
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