ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

10.INN『シルク』-2
 

 外で雨の音がする。結局、あのアルザスとかいう少年は荷物を取りに来なかった。すっかり戸締りがされた宿の中、アレクサンドラは、本を読みながらそんな事を思う。
「ライーザさん、アルザスさんも、大丈夫かしら。」
 テーブルに座ったマリアが不安そうにつぶやく。アレクサンドラは、少しあごをなで、それから穏やかに言った。
「多分大丈夫だろう。」
 実際はどうだかわからない。アレクサンドラには、どうしようもないことであるが、相手が相手だけにあのたかだか十六やそこらの子供が立ち向かえる相手ではない。かといって、もしあの子が大人だったとしても、一人で立ち向かうような相手ではない。
(全く…どいつもこいつも…)
 アレクサンドラは、軽くため息をついた。
 突然、ドアが静かにノックされた。続けて「ウィリアム=アレクサンドラ様はこちらですか?」という宿の亭主の声が聞こえた。
 アレクサンドラが立ち上がりかけると、マリアのほうがさっと立ち上がる。
「あたしがドアを開けるね。」
 そういうと、マリアはドアのほうに歩いていき、扉を開けた。
「はい。何の御用ですか?」
「ああ、お客様。失礼します。」
 亭主はそういうと、遠慮しながら中に入ってきた。後ろに、まだちゃんと着替えていないゼルフィスが立っている。
「あの…こちらのお客様はお医者様だと聞きましたが…。」
「一応そうだな。」
 アレクサンドラはぶっきらぼうに答えた。それから、後ろに立っているゼルフィスを見る。まだ血のりが全部とれていないので、異様な姿に見えるゼルフィスを見て、亭主はひっそりと頭が痛くなった。
(…着替えぐらいしてから来てください…。)
「患者はその後ろか?」
 アレクサンドラに言われて亭主はハッと顔を上げたが、その前にゼルフィスが答える。
「ああ、オレじゃないよ。向こうにいる奴。オレのは全部返り血みたいなもんだから心配ない。」
「着替えぐらいして来てください。それに返り血とか言わないでください…。」
 ぼそりと亭主がずかずかはいってきたゼルフィスに言ったが、ゼルフィスは知らぬ顔である。聞こえていない可能盛が大きい。
 亭主は深くため息をついた。そして、申し訳なさそうにアレクサンドラに言った。
「ちょっとややこしいことになったのですが、ご助力願えませんでしょうか。」
「ややこしいこと?」
 アレクサンドラは眉をひそめた。
「…重傷の怪我人がいて…ぜひともお力をお借りしたく…」
 と、亭主が言いかけたとき、アレクサンドラはさっと立ち上がって、かばんを取った。
「マリア。しばらくここで一人で留守番をしていなさい。」
「はい。お仕事なのね。いってらっしゃい。」
 マリアは素直に聞き分ける。アレクサンドラは、あまり丁寧ではない手つきでかばんを持ち上げるとマリアの頭をくしゃりとやって部屋の外に出る。
「で、患者は?」
「あ、えっとご案内します!」
 慌てて亭主はあとを追う。ゼルフィスは、マリアの傍によると少し腰をかがめて優しくこういった。
「すまねえな。しばらく先生を借りるよ。…あ、そうだ。暇で仕方ないってんなら、オレが遊んでやるから、あとで言っておいで。」
 マリアは顔を少し上にあげてにっこり微笑んだ。
「ありがとう。"おねえちゃん"。」
 ゼルフィスは、ハッとする。外にほとんど出ていた亭主が慌ててフォローに入ってきた。
「お、お嬢様、こ、こちらのゼルフィスさまは、おと…」
 亭主がおろおろと言いかけたとき、ゼルフィスがそれをさえぎった。
「まぁまぁいいだろ! じゃあ、あとで遊びに来るよ、マリアちゃんだっけ?」
「うん。」
「オレはゼルフィス、よろしくな。じゃああとで!」
 そういうとゼルフィスは、相変わらずの様子で戸惑う亭主を急かしながら部屋の外に出て行った。残されたマリアは、きょとんとしたようすで彼らがいなくなったのを感じていた。
「おねえちゃんじゃなかったのかしら。…声とか雰囲気が女の子だと思ったのに…。」
 思い返してみてもよくわからない。あとで思い切ってきいてみようかな、とマリアは思った。


「見ての通りかなり重傷みたいで…」
 通された部屋のベッドでは、一人の男が、生きているのか死んでいるのかわからないような状態で寝かされていた。アレクサンドラは、壁側を向いていた男の顔を右手でつかんでこちらに向けさせ、それから一瞬だけ驚いたような顔をする。亭主のほうを振り返った彼は、ぽつりと聞いた。
「生きているのか?」
 医者の癖に不吉な事を訊くアレクサンドラに、亭主はふっと不審を抱く。
「そ、そりゃあ、生きていないとすぐにお医者様を呼ぼうだなんて思いません。」
「それはそうだ。理屈だな。」
 アレクサンドラは、冗談なのかどうなのかわからないことを言いながら、よくわからない笑みを浮かべる。
 そして、男の顔の右側の傷を眺めながら、軽くため息をついた。
「それにしても……相変わらず、異様に悪運だけが強い男だな。」
 アレクサンドラはあきれたような口調で言った。
「うまく急所が外れていたり、うまく拾われたり、…運は全然よくないが、最終的には助かるようにできているとしか思えない。悪運の女神には微笑まれているらしいな。」
「は?」
 亭主は目を丸くした。そんな亭主にかまわず、アレクサンドラはぶつぶつと続けた。
「まさか、まだ生きてるとは思わなかった。とっくに野垂れ死んでると思ったぞ。」
「もしかしてお知り合いですか?」
 亭主はこっそり訊いた。逆十字とこの医者が知り合いというのが、彼にはなんだか不思議だった。一方のアレクサンドラは、そんなことに気にせず用意を始めていたが、一応答えたほうがいいと思ったのか、顔を亭主のほうに向けた。
「まぁ、そんなところか。…腐れ縁といっても過言ではない。なかなか面白い男だがな、この馬鹿は…。」
 アレクサンドラは、にやりとした。このぶっきらぼうな医者が笑うのをはじめてみた亭主は、背筋がぞくっと冷たくなるのを感じた。
(ま、まともな人がいないんだろうか、今日は…)
「おーい、やってっかー!」
 後ろからようやく着替えてシャワーでもあびてきたらしいゼルフィスが、陽気この上ない声でやってくる。
 亭主は、この綺麗な顔立ちで陽気で乱暴で明るい青年に関わった事を少し後悔し始めていた。


 ヨハンと話をしたあと、アルザスは窓の傍に佇んでぼうっと天井を見ていた。そうしていると自然に色々な事が頭に浮かぶ。
 ――アンヌとキィスのこども…、地図…、羅針盤、…今はどこにいるかわからない逆十字、つまり、地図を焼いた張本人…。
(…どうも納得がいかねえんだよなあ。)
 アルザスはぼんやりと思った。
(確かにあのおっさん、地図が嫌いみたいだったけど…、かといってあんなに簡単に燃やすかなあ。)
 それからヨハンに言われた事を思い出す。
(それに、…やっぱり年齢的にはあのヨハンのいう坊ちゃんとは違うみたいだけど…どうなんだろう。わかんねえなあ。)
  考えていると頭がぐるぐる回る。普段使い慣れないだけに、今日は使いすぎたかもしれない。そろそろ頭が痛くなるから考えるのをやめようと彼が思ったとき、
「なにやってるの?」
 急に声がして、アルザスはびっくりして窓のさんにしたたか腰をぶつけた。腰に鋭い痛みが走ったが、アルザスはそれよりも先に人物の名前を呼んでいた。
「ラ、ライーザ…!」
「なによ、その驚き方。幽霊見た時のようなこと言わないで欲しいわね!」
 ライーザは、いつもあげている髪をさらりと下ろしていた。しろっぽい服を着ているので、一瞬見間違えてしまう。だが、昼間と違い、目にはいつものライーザの気の強さが感じられた。
「お、お前……」
 アルザスは、ぱくぱくと口を動かしたが、うまく続きが言えない。それをあきれたようにみて、大体彼が何を言いたいのかわかったらしく、ライーザは冷たく言った。
「馬鹿ね。いつまでも寝てても仕方がないじゃない。ぐうたらのあんたじゃあるまいし。それにね、落ち込んでても仕方がないもの。」
 さっきはあんなに落ち込んでいたのに、目の前にいるのはすっかり普段のライーザだった。そのきつい口調に戸惑いながら、アルザスは「女はわからねえ」などと老けた事を頭の中でそっと思う。
「なによ、その顔。」
「べ、別に。」
「そう? 言いたい事があったらはっきりいってよね。」
 と、言いながらライーザは、アルザスの横に立った。アルザスが、まだ戸惑っているらしいのをみて、ライーザは突然笑い出した。
「あははは、なんて顔してんのよ! あたしが心配だったの?」
「ばっ、馬鹿いうなよ!」
 図星をさされ、アルザスは過剰に反応してしまう。それがかえっておもしろいらしく、ライーザはにやにやした。
「…なんだよ、昼間はあんなに元気なかったくせに!」
「本当におかしいわよねえ。睡眠不足だったのかしら。…眠ってないと人間、精神まで不安定になるのよ、きっと。」
 などといいながら、蒸し暑いからか、ライーザはリボンで頭を結いだした。
「それでなくても、お前、眠ったら悪いこと忘れるほうだったろ!」
 アルザスは、心配したのが損だったので憮然とした。
「それはお互い様でしょ。あんただって昔からそうだったじゃない。」
 やりかえしてアルザスが詰まったのを見て満足そうに笑うと、それにね、とライーザは言い、少しだけ神妙な顔をした。
「…そりゃあ、あの人のことは心配だし…あたしのせいで怪我したってのは事実よ。あたしが昼間落ち込んでたのは、それなんだから…」
 ライーザは、少しだけ目を伏せたが、すぐにまた顔を上げる。
「でもね、あたしが落ち込んでたってどうにもならないのも仕方ないのよ。この天候じゃ外に出ても、危ないだけだし、多分、あの人も困るだろうし…すべてはこの嵐が終わってから、きっと何か分かると思うの。それにね、…あの人、案外生きてるんじゃないかって思うのよ。勘だけど。」
 ライーザの言葉にはなぜか強い確信があった。
「…何となく、大丈夫じゃないかって…。」
 言われてアルザスも頷く。
「…そうだよな。なんだか、悪運強そうだもんな。」
 案外運は悪そうだったけど…と付け加えかけ、アルザスは思わず口を閉じた。そういえば、ライーザは、昨日フォーダートと一緒にいなかったのだから、当然、彼がちらりと見せた案外間抜けな一面などについて知らないのである。たった二人の手下に馬鹿にされていたり、猫をかわいがったり、飲まないといったくせにアルコールの誘惑に負けるような適当な性格だということも知らないのだ。
 ここで、悪運だけ強そうと言ったところで通じないような気がする。
「だから、あたしは無駄に落ち込まない事にしたの。」
 ライーザは、ようやく髪をまとめ終わった。ポニーテールにしたライーザは、服こそ違えど見慣れたライーザの姿だった。一日ぶりに見る彼女の普段の姿に、アルザスはなんだかんだいいながらほっとしてしまう。
 そういえば、とライーザは言い、一転して明るい顔になった。
「アンヌさんって…、綺麗な人よね。」
「綺麗だが、無茶苦茶恐いぜ…、あの人。」
 アルザスがぼそりとつぶやくと、ライーザはくすっと笑う。
「そこがいいんじゃないの? あたし、結構あこがれるなあ。ああいう美人で強い女性って!」
(ええ! これ以上強くなりたいのか! お前は!)
 アルザスはひそやかにぞっとした。ライーザは、今の時点のライーザでも結構な女傑だと思うのだが、大人になってああなってと想像すると、背筋の辺りに冷たい風が吹くような気がした。今のままでも手に負えないのに、アンヌの冷徹さがこれに加わったりなどしたら…と、そこまで考えてアルザスは、ひそかに首を振ってこのことをなかったことにした。われながら恐ろしいことを考えたものだ。
「キィスさんとも会ったわよ。あんた、あの人に助けられたんだって?」
「ま、まあな。」
 ライーザは挑発するようににやりとする。
「厄介な拾い物したっていってたわよ。」
「あのオヤジに厄介って言われたくなかったな…。あ、そういえば。」
 アルザスは、ふとライーザから視線を外し、窓にある小さな写真たてを手に取った。それは、先ほどヨハンから借り受けたものである。
「あのさ、…お前、これみてどうおもう?」
「どうって?」
 ライーザはいきなり言われて少し面食らったようだったが、写真をさっとみて声を上げた。
「あぁ、これ。アンヌさんの部屋にもあったわよ。真ん中の男の子は、アンヌさんとキィスさんの息子さん?」
「うーん、ま、そんな感じらしいけど…どう思う?」
「どう思うって何よ。いやに遠まわしなききかたじゃない?」
 ライーザは、アルザスの質問の大意が読み取れなかったようだ。
「じゃあ、具体的に訊くぜ。この写真の中央の小生意気なガキ…。あの逆十字に似てると思うか?」
 アルザスは写真の真中の少年を指差した。
「なにそれ?」
 ライーザは妙な顔をする。ぱちり、と瞬きしてからもう一度写真を見る。
「…どうかしら。目つきがちょっと違うような…、似てないってほどでもないような。でも、こんなにかわいらしい顔つきじゃないような…。」
 あごに手を当て、軽く唸るライーザにアルザスも唸った。
「うーん、やっぱりそうだよな。…ちょっと違うような気がするよな。悩むところだぜ。」
「何? あの人がこの子だってこと?」
 ライーザは少し目を丸くした。確かに、あの逆十字とこの少年のイメージは繋がらない。
「いいや、そういう断定的なことじゃないんだけど、…なーんか引っかかってさ。」
「アンヌさんか、キィスさんにに訊いたら? あの人の特徴言って…。」
「そりゃダメだ。ちょっと複雑な事情があるんだよ。なんだか、この子、行方不明らしいんだよ。でも、もしかしたら、死んでるかもしれなくって…いや、死んだ確率が高いらしくって…。でも、その死んでるかもしれないって事、あのオヤジは、アンヌさんにそのことを伝えてないらしくてさ…。」
「え、それって…つまり隠してるって事?」
 ライーザが言うと、アルザスは、唸りながら頭をかいた。
「キィスさんとしちゃ、不確定だから死んだことにしたくないってことで、アンヌさんを傷つけないようにしたつもりだと思うけど…。」
「じゃあ、あの二人の間でその話はタブーなのね。…でも、どうしてこの子とあの人が繋がるわけ?」
 ライーザは青い大きな目をしばたかせた。
「こいつも地図を追ってた。それから、外見的にも近いらしい。まあ、いろんな事情があるんだけど、さっき一番強烈なのをきいたんだ。こいつの名前…。」
「名前?」
 アルザスは黙って写真たてから写真を取り外した。写真の裏に日付と書付がある。ライーザは、それを覗き込んで読み上げた。
「『十二月八日撮影。フォーダート=デュルファン=テルダー……八歳』。」
 ハッとライーザは顔を上げる。
「これって!」
「『フォーダート』は、キィスさんがつけた名前。『デュルファン』は、アンヌさんがつけた名前。それから、子供のときの呼び名は『ダルト』。な、お前、あいつの日記拾ってたよな? それに、『D』ってイニシャルが書かれてただろ? あれってさ、『デュルファン』か『ダルト』の『D』じゃねえのかな。」
「ダルト…。」
 ライーザはつぶやいてあごに手を当てた。最初、地図が入っていた箱に『F』のイニシャルが刻まれていた事も、日記が『D』だった事も、すべて彼の仕業だとしたら納得がいった。
「それから、言ってたんだ。ヨハンさんによると、『ダルドラ』ってのは、『ダルト』の呼び名から悪い友達がつけたあだ名だって。あの二人が同一人物だとしたら、…あのおっさんがやたらと地図に固執してたり、遺跡の中を自由に移動できたのもちゃんとわかるんだよな。」
「でも、それじゃ、どうしてそんなに思い入れのつよい地図を、あの人燃やしちゃったりなんかしたのかしら…。あそこで燃やす必要は無かったはずよ?」
 ライーザに訊かれ、アルザスは腕を組んだ。
「それなんだよな…。そんだけいやな思い出があったのか、…それとも…」
「ちょっと待って! じゃあ、羅針盤もあの人が持ってるってことじゃないの?」
 ライーザに言われ、アルザスは顔をハッと上げた。


 
 
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©akihiko wataragi.2004
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