ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

10.INN『シルク』-3

 なんだか、ものすごく悪い夢を見たような気がする。だが、思い出せない。いや、もしかしたら、自分が自分を防衛するために忘れさせたのかもしれない。少なくとも彼はそう思うことにした。そのほうが幸せというものだ。
 フォーダートは、不意に唸りながら目を覚ました。視界に入るのは、古びた天井と電燈である。ゆれていないので船の上ではなさそうだ。窓の外から聞こえる強風と雨の叩きつける音が、少し耳についた。
 それで、フォーダートは、自分がまだ生きているらしい事を実感する。
(そうだよ、まだ嵐の中だったんだよな…)
 激痛はなかったが、頭が重くて起き上がる気がしなかったので、フォーダートは目だけをそっと動かした。
 傍らに誰かいる気がする。金色の髪の毛が見えた。その金髪の巻き毛の持ち主は、彼が寝ているベッドのすみに上半身をばったり倒して眠っているらしかった。その巻き毛の下の顔は、彫像のように整っている。
 次第に思考がはっきりするにしたがって、フォーダートは、今まで自分がどうしていたかを思い出した。
 確か、海に飛び込んで、それから、ある男と戦った。そう、その男の顔は――。
「お、お前っ! ゼルフィ…!」
 思わず起き上がりかけ、フォーダートは突然走った痛みに思わず、ぎゃあと声を上げた。中途半端に起き上がったまま、そこで痛みに堪えていると、その声に気づいたのか、ゼルフィスが起き上がってきた。
「あ、なんだ、目え覚めたのかよ?」
 さして面白そうでもなく、ゼルフィスは目をこすりながらあくびをした。
「あぁ、医者が言ってたぜ。しばらく絶対安静だってさ。…いきなり動いたら痛いだろうが、そりゃ。鎮痛剤でおさえてるだけなんだからよ。」
「…な、な、なんだそりゃ…」
 オレが知るか! と言いたげではあったが、フォーダートはそれ以上何も言う事ができず、ベッドに身をそうっともたせかけた。今度はそっとやったので、痛くなかった。だが、そんなことはどうでもいい。半ば呆然としながらフォーダートは、ゼルフィスを眺める。
 まったく悪びれる気配もないゼルフィスは、無邪気な顔をしてそこに座っていた。半ば警戒の目を向けるフォーダートに、ゼルフィスは不思議そうに見る。
「どうした?」
「ど、どうしたも…、こうしたも…」
 熱があるらしく、頭がふらふらする。フォーダートは、額の汗をぬぐいながら言った。まだ、息が少し荒い。
「お前、…オレを助けたのか?」
「あー、介抱したのはオレじゃないけどな。ここまで引きずってきたのはオレだよ。」
 ゼルフィスは、容姿に似合わない豪快さでからからと笑った。
「介抱してくれって言われたけど、暇でさあ。つい寝ちまったみたいだよ。あはははは。悪かったね!」
(オレは、馬鹿にされているのか、それとも…)
 フォーダートは、どういう反応を返したものか、わからなくなった。むっとしたままゼルフィスを見ていると、ゼルフィスはたっぷり時間を食ってからはようやく笑いを収め、それから立ち上がる。
「さっきは悪かったなあ。ちょっと調子に乗りすぎちまった。」
 ゼルフィスは、後ろ向きでそういって、振り返って続ける。
「あんたがあまりにも絶不調みたいだったから、今回の勝負はお預けにすることにしたんだ。だって、今のあんたを倒しても自慢できないだろ? だから、今回は生かしておくことにしたんだよ。」
「…それでオレを助けたのか?」
 なんと言うべきか、短絡的な理由だ。そういうなら最初から黙って逃がして欲しかった。何だか、この青年の話を聞いていると、すでに十分頭が痛いのにより痛くなってくる。どういう精神構造をしているのだろう。フォーダートには、理解の範疇を越えていた。だが、目の前の青年は、フォーダートの理解などには興味も何もない。
「それにさあ、オレは結構あんたが気に入ったからだな。…思ったより強いよ。」
 ゼルフィスは不意に何となく不穏な笑みを浮かべた。ふと、フォーダートの目も警戒を抱いて鋭くなる。その反応を見て、ゼルフィスは挑発するような口調で言った。
「今度は短剣なんてちゃちい武器じゃなく、あんたとは、ちゃんとした武器で、本気で決闘でもしたくなったからさ。」
 にっとゼルフィスは笑う。顔のつくりが女性的で繊細なだけ、悪戯小僧のようなその表情は、逆に印象が深かった。
「決闘……。どこかで立会人でもつけてか?」
「どうせ、オレとあんたは戦わなきゃいけねえって間柄だろ? オレはあんたの首がほしい! そうすりゃ、オレは船と部下をセットでいただける。願ってもない事だぜ。」
「どこのどいつから吹き込まれた? アイズか?」
 フォーダートは、きっとゼルフィスを睨んだ。ゼルフィスは微笑んだままだった。
「あの馬鹿のいうことをきいたって何の得にもなりゃしねえぜ。あの野郎、オレみたいな小物をしつこく五年も追い回してやがる。…もっと大きな獲物を追いかけりゃいいものを。」
「オレはあんたが小物だなんて思っちゃいねえ。それに、あんたに恥をかかされたってのがよほど腹が立ったんだろ? まぁ、あのオヤブンの性根が小物くさいのは、オレでもわかるけど。にしても、あんたの乗り込みが見事だったから、執念深く追われてるんじゃないのかい?」
 ゼルフィスにいわれ、フォーダートは少し唸る。
「…そんな、褒められたもんじゃねえ。」
 あの乗り込みは、そんなに見事なものではなかった。若さと焦りに任せて、無茶をやった結果なのである。彼にとっては、「若気の至り」に区分される無茶であり、思い出すと少し苦々しいものであった。今の彼ならば、あんな事を絶対にやらない。もっとうまく事を運ぶだろう。それこそ、アイズのような執念深い男など狙わない。
 結果的に彼は、それで一躍有名になったが、あれは余りにもまずいやり口だった。その結果が、このように命を狙われる始末である。五年も追いまわされていれば、フォーダートはいい加減、そういう生活に嫌気が差してきていたのだった。
「そうかい? ま、あんたがそういうならそうなのかもな。」
 ゼルフィスは、素直にフォーダートの言葉を受けて笑う。
「でも、オレにとってあんたが、特別な敵ってのは、変わらないんだぜ。それに、オレには一番それが近道なんだもんな。それに、ある意味では――趣味。」
「趣味ぃ?」
 フォーダートは、素っ頓狂な声をあげた。
「そ。あんたみたいな強い男と戦うのって楽しいだろ。あんたも、この楽しみがわかるよな!」
 少年とも少女ともつかない、不思議な表情で、ゼルフィスは明るく言った。言っている内容は不穏だが、彼の目は夢見るようにきらきらしている。そんなに生き生きした目で見つめられると、フォーダートは、まさか「強い人間とはできるだけ当りたくない」などということを言い出せなくなり、曖昧に頷くような返事をした。
「そうだろ? だから、オレはあんたをしばらく狙わせてもらうぜ!」
 すぱっと気持ちよく宣言し、ゼルフィスは腰に手を当てた。こんな爽やかに宣戦布告されたのは初めてで、フォーダートは悪夢でも見ているような気分になってきた。
 いいや、もしかしたら、先ほど見ていた悪夢とやらは、これのシミュレーションみたいなものだったのかもしれない。
(ガキの喧嘩じゃあるまいし…、命のやり取りってこんな緊迫感のないもんだったか? オレ、なんて奴と話してんだろう……。)
 痛む頭に手をやって、フォーダートは深くため息をついて、どうでもよさそうな目で言った。
「…話はわかった。勝手にオレの首でも何でも狙うがいいぜ。」
 もう一度、深々と息を吐き、彼は少しいいにくそうに切り出した。
「だがな…」
 ゼルフィスはいぶかしげな顔をする。
「…オレがお前に助けられたことに変わりはないみたいだな。オレは、素直に命をやる気なんかねえが、お前にはいつか借りを返さなきゃならないようだ。」
「借り?」
 反芻し、ゼルフィスはくすっと笑った。何となく小悪魔を思い起こさせるいたずらぽい表情だった。
「借りだなんて、あんた古風だな! あはははは!」
「な、何がおかしいんだ!」
 笑われたことに少なからず腹を立てると、ゼルフィスは不意に笑いをやめて、それから、ベッドの上に腰掛けて、フォーダートの顔をじっと覗き込んだ。不意にゼルフィスのエメラルドのような綺麗な瞳と目が合って、フォーダートは少し動揺する。にっと笑って、彼はいう。
「あんた、律義なんだね。気に入ったよ。」
「い、いや、それは…借りたものは返すのが…」
 ゼルフィスに見つめられて、フォーダートは何となくしどろもどろになった。
「じゃあ、期待しないで待ってるよ。」
 また例の笑みだ。そういう時、ゼルフィスは、女性のような表情をする。
 フォーダートは、胸の奥に何か小さく火が燃えたような感覚を覚えてはっきりとあせった。
(何だ、この感覚は…)
 フォーダートは、脂汗をかいている額に更に冷や汗を流していた。
(…なんで、こんな…これって俗に言う「ときめき」って奴じゃないのか!)
 ゼルフィスが、なにかべらべらしゃべり始めたのにも気づかず、フォーダートはぶつぶつと考える。
(こいつは男じゃねーか! なんでそんないけないときめきをオレが! 貧血と熱のせいで、勘違いしてるんだよな! そうだろ、オレ! )
 少なくとも、フォーダートはそういう趣味はない。だが、この感情は、どういう風にとればよいのか。しかも、相手は今から命のやり取りをしようという宿敵といってもいい存在である。
 フォーダートがうなりながら考えていた時、ゼルフィスは義理についての自分の考えを語っていて、ちょうどこういいかけたときだった。
「…助けてもらったら、助けてやらなきゃな。別にオヤジがいってたからじゃねえ。ただ、「あたし」も…」
 言ってしまって、ゼルフィスは慌てて、口をつぐんだ。だが、フォーダートはそれどころではなく、何かを必死に考えている。話を聞いていないらしいことを知って、ゼルフィスはほっと胸をなでおろした。
 まさか、自分の正体を宿敵に知られるわけにもいかない。
 ――ハルシャッドの一人息子の正体が、よもや…
(こんな律義な奴だったら、もし正体を知ったら、まともに勝負してくれないかもしれないじゃないか。)
 油断できない。フォーダートには、絶対に教えてはいけない。彼の目的が阻害されてしまう。
(大体、こういうタイプってえのは、女って分かった途端に剣を引きやがる。紳士的なのは関心だが、「あたし」にも世間の尺度を当てはめてもらっちゃ困るんだよな。…まったく、気にくわねえったらありゃしないぜ。)
 ゼルフィスは、悩めるフォーダートの胸中など知らず、そんなことを思っていた。

 そろそろ、嵐はおさまりかけていた。今はいつごろかわからなかったが、フォーダートが、我に返って時計を見たとき、すでに短針は数字の二を指している。深夜だ。
 ようやく長い葛藤から解放され、フォーダートは自分の状況をもう一度思い出した。昨日一体何があって、どうなったか。
(そういえば、…あいつら、無事だろうか。)
 フォーダートは、ようやくアルザスとライーザの二人の事を考えた。
(多分、大丈夫だろうけど…、ちゃんと宿でも取ってるのかな。)
 野宿などということは、多分ありえないが、思い出すとフォーダートは今までろくろく気にかけてやっていなかったのが不思議なぐらい、心配になってきた。
 とはいえ、ろくに動けもしないし、もしサーペントやアイズの他の手下に見つかりでもしたら、それこそ命取りになる。
「じゃ、養生しなよ。オレは自分の部屋で寝てくるから!」
 ゼルフィスが、ちょうどそういいながら、深夜とも思えぬ足取りでズカズカ部屋から出て行くところだった。
「ゼルフィス。」
 フォーダートは、部屋を去りかけた青年に呼びかけた。
「何だ?」
「…また借りを重ねるようで、気が引けるんだが…、明日の朝、ちょっと頼まれてくれないか?」
 フォーダートの少し心配そうな目を見て、ゼルフィスは首を軽くかしげた。それから、にやりとする。
「いいぜ。…ただし、あんたの恋女房とかに、あんたを殺さないように説得させるとかはだめだからな。」
 ゼルフィスの悪趣味なからかいなのはよくわかっているが、フォーダートは不機嫌になった。
「そんな、情けねえ手はつかわねえよ。大体……」
 といいかけて、フォーダートは言うのをやめた。途中で言葉を切られたからか、少し首を傾げた純粋そうな表情のゼルフィスを、横目でにらむようにしながら、フォーダートは心の中ではき捨てる。
(…大体、そんなもんいるか…!)


 
 
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