ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

 5-2.遠ざかる船
 
 ライーザは、弾かれたようにフォーダートの足元に崩れ落ちた。肩が震えているのは、泣いているからだろうか。彼女がようやく口にした言葉は、涙声で詰まっていた。
「ご、ごめんなさい!あたし…!あ、あたし……」
 フォーダートは、ライーザの肩に手を置こうとして、手が血だらけなのに気づいてやめた。代わりに、彼は優しい声でこういった。
「気にするな…。大丈夫だ。あんたのせいじゃないよ。オレがちょっと、ドジを踏んだってだけのことだからさ。」
「でも…。あたしが気をつけなかったから、あなたが…。」
 ライーザがうつむくので、フォーダートは更に続ける。
「今は、そんなことどうでもいいんだ。今、あんたがやらなきゃいけないのは、ここから逃げることだろう。あいつの行動を無駄にしちゃいけないぜ。」
 フォーダートは、血に汚れた右手を軽く差し上げた。彼らの左側の少し遠いコンテナの後ろにアルザスが隠れている。心配そうにこちらを伺っていたが、始まった銃撃に対して煙幕や小型の銃を振りかざし、今はこちらを伺う暇もない。どうにかこうにか敵を阻もうとしていた。
「あの馬鹿…あんたを助けるのに、一人で突っ込もうとしてやがったんだぜ。救いようのない馬鹿だが、悪い奴じゃない。馬鹿には悪い奴はいねえよ。な、わかるだろ?」
 フォーダートは笑って、ライーザをまっすぐ見つめながら言った。ライーザが、うなずくのを見て、フォーダートは続けた。
「だったら、わかるな?あいつと一緒にここから逃げろ。そうしなきゃ、あの馬鹿は永遠に救われねえぜ。」
「でも。」
 ライーザは、不意に不安になる。彼の話の中には彼自身のことは含まれていなかった。フォーダートは更に続けた。
「すぐに走れ。今なら、オレが援護してやれば必ず逃げ切れる。アルザスの所へ行くんだ。あいつの居るところからすぐの所に、確か乗ってきたボートがあるはずだ。まだ、上には引き上げてねえだろうから、うまくすれば逃げられる。下には誰も待機していないだろうしな。」
 それからフォーダートは少しだけ、苦しそうな息を吐いた。
「あなたはどうするの?」
 ライーザは不安そうに訊いた。フォーダートはゆっくりと首を振る。
「オレは大丈夫だ。……先に行きな。」
「そんな、駄目よ!」
 ライーザは心配そうな目をフォーダートに向けた。
「大丈夫だ。別に死ぬ訳じゃない。オレだってまだ死にたくはねえしな。」
 そういって笑ったときに、突然激痛が走ってフォーダートは危うく呻きそうになった。が、それを何とか歯を食いしばって止める。
「だ、大丈夫だっていってるだろう。昨日だって平気だったじゃないか。オレの事は構わなくていいぜ。」
「でも…」
 ためらうライーザに、フォーダートは苦痛をかみ殺しながらかなり強い口調で言った。
「いいから、早く行け!そろそろ、あいつだって限界だ。ひとりじゃ持ちこたえられねえ!」
 その言葉は思いの外、効果があったらしい。ライーザは、一瞬ためらったがすぐにうなずいた。
「わ、わかったわ…。でも、待って!…これを…!」
 ライーザは何かに気づくと、さあっと自分のしろいスカーフを解いた。それをフォーダートの左肩に巻きつける。フォーダートは、少し驚いて苦しげな声のまま言った。ライーザのスカーフはフォーダートやアルザスものとは違う。シルク製の高価そうなものだ。
「だ、駄目だ。汚れる…」
 フォーダートは、ためらいながら言った。だが、ライーザは今度は退かなかった。
「いいの。少し強く縛るから、我慢してね。」
 言ってからライーザは力を少し込める。傷に触れて、フォーダートは一瞬息を詰まらせたが、何も言わなかった。きつく結び目をつくり、ライーザはまだ少し狼狽した顔を見せ、自信なさげにたずねた。
「これ、ちょっとは…大丈夫?」
「…あ、あぁ…。助かったよ。ありがとな。」
 フォーダートは少し笑って見せた。応急処置をしてもらえるのは助かった。自分でやるよりはいい。もっとも、どれほど効果があるかはわからないが。
 フォーダートはもう一度いい、コンテナの壁に体を預けたまま立ち上がる。どうにか、上手くライーザに誤魔化しながら彼は言った。
「オレは後で行くから、大丈夫だ。さぁ行け!」
 ライーザは、軽くうなずき、それでも心配そうな目をしていたが、とうとう立ち上がった。フォーダートは、再び、銃を右手に構えると、レッダーの兵士に向けて威嚇射撃をした。
「今だ!行け!」
 こくりとうなずき、ライーザは走った。アルザスのいるところまでは走ればすぐである。飛び交う銃弾の間を縫うように走りなが、彼女はようやく対岸にたどり着き、アルザスの傍に倒れこんだ。
「ライーザ!」
 射程が短いので届かないながらに連射していたアルザスは、ライーザの無事な様子に喜んだ。
「良かった!無事みたいだな!」
「ダメ…。」
 ライーザが、彼女らしくもない小声で言った。
「え?ど、どうしたんだよ?どこか撃たれたのか?」
 アルザスは、フォーダートが撃たれたのには気づいていない。ライーザが、どこかやられたのかと、少しおろおろするように彼女の様子をうかがった。
「違うの。あたしじゃないの!あの人よ!」
 ライーザは、顔を上げて少し叫ぶように言った。
「え?」
「あたしをかばって、あの人、撃たれたの!血がいっぱい出て、…死んじゃったらどうしよう!あたしのせいよ!」
「な、もしかして…。フォーダートか…?」
 こくんとライーザはうなずく。
「どうしよう…。あの人、逃げろって言ったけど…あんなんじゃ…。」
 アルザスは、フォーダートの方をうかがった。激しく銃を撃ち返していたが、彼の左肩から広がった赤い染みは服の大半を染め上げている。
 それを見て、アルザスも顔色を失った。
 左肩を撃たれるなんてかなり危ないことじゃないだろうか。しかも、あの出血量は…。実際、流血の現場などそうそう見たこともないアルザスだが、誰が見てもフォーダートは重傷だった。
「あいつ、何ていってた?」
「横に、ボートがあるって…。」
 泣きそうな顔をして、ライーザが応える。アルザスは、どうしたものか、しばらくライーザとフォーダートを見比べた。
 ふらっとフォーダートがコンテナの影から飛び出したのは、そのときだった。
「ちょっと待ちな!休戦しようぜ!」
 といって、フォーダートはにやっとした。アルザスから見ても、明らかにその笑みはおかしな笑みだった。どこかが引きつっている。
 銃撃の音がやむ。フォーダートが皮袋とライターを掲げていたからだった。
 アルザスは、フォーダートの行動の意味を図りかねていた。いきなり、こんなところでどうしようというのだろう。しかし、一瞬だけ、フォーダートの目がこちらを向いた。行動の真意はわからない。しかし、その一端だけは掴むことはできた。
 ライーザの手を引いてそっと立ち上がる。
「何するの?」
「いつでも逃げ出せる体勢になっておくんだ。」
 そういって、彼は甲板の注目がフォーダートに集まっているうちに、縁の方にそろそろと近づいていった。
 フォーダートは、そのまま熱に浮かされたような目をしたままたっていた。実際、熱が出始めているのかもしれない。傍目には、正気を失っているようにすら見えそうだった。
「何をしようというんだ?」
 レッダーは、穏やかに尋ねた。
「それと引き換えに、命を助けてくれということか?」
 ふっとフォーダートが笑い声をもらした。
「相変わらず、あんたは甘い奴だぜ。オレは確かに根性なしだが、同時に大馬鹿でもあるんだぜ?」
 一瞬、フォーダートの瞳に危険な光が走った。ぱっとライターに火がついた。
 皮袋から紙切れを取り出して、フォーダートはそれにライターを近づける。油をたっぷり含んだ地図は、一瞬で燃え上がるに違いない。
「やめろ!貴様!気でも違ったのか!」
 大佐が叫ぶのももっともだった。それはフォーダートにとっても、最後の砦、切り札であるはずなのだ。それを自分からなくすなど考えられない行動である。
 だが、フォーダートは真剣そのものだった。静かな目だったが、それは狂気と背中合わせにも見えた。
「何やってるんだ!」
 アルザスは、小声でつぶやく。
 けがのせいで、どこかおかしくなったのだろうか。それとも……
 アルザスがそう疑ったとき、嘲笑うかのような笑みを見せ、彼はライターに火をつけた。
 ばっと火が地図に燃え広がる。それからフォーダートは手を離した。鉄の甲板で、それはすぐに灰になっていった。
 アルザスもレッダーもライーザも、それぞれがそれぞれの驚愕の表情を浮かべた。笑っているのはフォーダートだけだった。
 永年、人々が追い求めてきたという地図は今、この世から姿を消そうとしている。その瞬間、フォーダートは今まで見たこともないような、満足そうな笑みを見せていた。
「何をそんなに驚いてるんだ?紙が燃えるのは当たり前のことじゃねえのか?まさか、見たことがねえっていうんじゃねえだろうなぁ。」
 少しふらつくのか、フォーダートは近くの木箱に片手をかけ、薄く笑う。そしてそのまま、灰になった地図を足で踏みにじる。黒こげの灰は、ばらばらと湿気の含んだ中に少しだけ舞い上がった。
「おのれ!」
 レッダーが顔色を変えた。フォーダートは、一斉射撃が来る前に木箱をひっくり返して敵の目を欺きながらコンテナの陰に逃げ込んだ。
 地図の灰は空に吹き上げられ海に向かって飛んでいく。いずれ、波間に消えてしまうだろう。
「な、なんで…。何であんなこと……」
 アルザスはそれを目で追いながら、呆然とつぶやいた。少なからずショックを受けていた。あの地図がなくなったということにもだが、それをフォーダートが率先して燃やしたことにも。どうして、フォーダートは切り札を自分から燃やしたんだろう。やはり、正気を失っているのか。それ以外に理由は考えられなかった。
 そう思ったとき、フォーダートの声がした。だが、一斉射撃の音にかき消された。アルザスは、フォーダートの方を向いた。彼はこちらを見ていた。 
 フォーダートがもう一度何か叫んだ。声は銃声にかき消されて聞こえなかったが、口の動きで大体わかった。
 『先に逃げろ』
 と叫んだのだ。もしかしたらさっきの行動は、全部目を自分に向けるためのものだったのかもしれない。確かに彼の居る位置からは、すぐこちらに走ってこられなかった。途中で集中砲火を浴びる可能性があるし、大体、今のフォーダートは走れるかどうかも疑問だった。足下がふらついているのは、ここからでもわかった。
 アルザスは反射的に首を振った。
(こんな状態で置いてけるわけないだろ!)
 アルザスは少し憮然とした。人を見捨てて逃げるような男に見られたのが、少し悔しかったのである。
 いきなり、フォーダートの銃口がこちらを向いたと思ったら、近くの木箱が弾けた。アルザスは我に返ったように、フォーダートを見る。フォーダートは一瞬だけこちらを向いて、意味ありげににやりとした。
(ガキが、カッコつけるにはまだ早いぜ。)
 その笑みがそう言っているように見え、アルザスは唇を噛んだ。一瞬のためらいの後、アルザスは突然ライーザの肩を乱暴につかんで走り出した。
「どこいくの!やめて!アルザス!あの人が!」
「うるせえ!行くんだ!」
「嫌!嫌よ!あの人が死んじゃう!戻って!アルザス!」
 ライーザが抵抗しようとしたが、このときばかりはアルザスも力任せにライーザを引っ張った。ロープをたどって下の船に向かう。来た時に使った船には、中には人はいない。そこの操舵席につくと、アルザスは手早く発進した。
 ライーザが必死に叫んだ。
「やめて!待って!アルザス!!」
 だが、アルザスは聞こえないフリをした。思いっきり、スピードを出して船から遠ざかる。船の操縦は不慣れだっただけではなく、気分もあってか、その操縦はかなりあらっぽかった。
  甲板のフォーダートからも、それはわかった。
(それでいいんだよ。)
 フォーダートは笑った。急に力が抜ける気がして、フォーダートは倒れるように座り込んだ。同時に手にした銃の弾が空になっていた。フォーダートは軽く目を閉じた。
「そこまでだな。」
 横から、レッダー大佐の銃がすっと姿を現した。フォーダートは目を開けて大佐に視線を向け、ほんの少し皮肉めいた微笑を浮かべた。
「そうかもしれねえなぁ。」
 レッダーの顔がこわばるのがわかった。
 
 ライーザの罵声がやたらと耳についた。
「なんで逃げたのよ!アルザスの馬鹿!なんであの人を見捨てたのよ!どうしてよ!!」
 アルザスも必死だった。船の操縦法は一応頭に叩き込んでいる。だが、こんな時化の中、高い波の中で船を動かすなど初めてだった。手馴れたフォーダートとは違う。一瞬のスキが、転覆のきっかけにもなりかねない。
「きいてるの!」
「うるさいっていってるだろ!」
 アルザスはライーザに怒鳴りつけた。
「あいつが逃げろって言ったんだ!あそこにいたって、オレは何の役にもたたねえんだよ!」
 アルザスは怒ったように応えた。
「あいつはな、オレ達がいたら気が散るっていってたんだよ!こっちに向かって一発撃っただろ!オレ達は足手まといでしかないんだ!」
「だからって!じゃあ、あんたはあの人が死んでもいいって言うの!?」
 ライーザは、アルザスの肩を精一杯ゆすった。アルザスは、顔をこわばらせてライーザから視線を外したままで答えない。
「戻ってよ!」
 ライーザは叫んだ。
「お願いだから、戻って!アルザス!」
 きっと、アルザスはライーザの方を向いた。
「戻れるわけないだろ!今は海は大時化だ!オレの腕で港につけるかどうかも怪しいのに!戻るぐらいならこのまま転覆させるぞ!」
 アルザスは突き放すようにきつい口調で言った。ライーザが手を離して、少しアルザスから離れる。呆然としたような顔をしていた。アルザスは少し穏やかな口調で言った。ライーザにさすがに言い過ぎたと思ったのだ。
「オレだって……できれば、役に立ちたかったけど。無理なんだよ。逃げなきゃ、余計にあいつの足かせになるんだよ!オレたちは!」
 ライーザの目から大粒の涙がこぼれた。
「そんなことっ…わかってたわ。わかってたわよ!でも…。」
 アルザスは、ライーザが泣くのを久しぶりに見たような気がした。本当は戻りたかった。あんなところから、無事に逃げてこられるわけがない。アルザスもわかっていた。だから、余計に辛かった。
「大丈夫だ。…大丈夫だって…。」
 アルザスは、ライーザというよりは自分を納得させているようにぶつぶつつぶやいた。
「大丈夫だ。あいつが簡単に死ぬもんか……。」
 それは半分以上、祈りに似たものだったかもしれない。

 
 
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