番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

ならず者航海記 番外編

豹の微笑

written by 渡来亜輝彦
「ハルシャッド船長の息子のゼルフィスってえのはあんたかい?」
 甲板の上であったアイズという男は、あまり好感のもてる男ではなかった。ゼルフィスが、今、彼の協力を得ようとしていないのであったら、おそらくここで殴り飛ばしてもおかしくない。
 アイズは、このナトレアード近海では、名の知れた海賊の親分だった。巷の噂では、裏で色々なところとつながっていて、それで好き勝手しているとかいう。悪事の方も色々と残酷な事をしているらしい。何となく、ゼルフィスにとっては、少し虫の好かないタイプの男なのである。
 ゼルフィスは、少しがっかりしたが、それでも目的を達成するには、この男に協力を仰ぐしかないので我慢した。
「ああ。お初にお目にかかるね。アイズさん。本来なら、もっとちゃんと挨拶をするべきなんだろうけど、今回は省かせてもらうぜ?」
 ゼルフィスは、けして必要以上に卑屈にはならなかった。颯爽とした印象の彼は、凛とした声でそういう。周りの連中がはっと息を呑んだのは、この態度を無礼だとみたのかもしれない。だが、当のアイズはやはりお頭はお頭だった。左右をなだめながら、彼はにやりとする。上から羽織った上着が、ばさばさとべとつく潮風に煽られた。
「なるほど。あんたの噂はきいてるぜ? 『疾風のゼルフィス』。太刀捌きの速さからそう呼ばれるんだってな。」
「いいや、まだまだ駆け出しの身だ。あんたに褒められるほどでもないさ。」
 ゼルフィスは答え、ちらりとエメラルドの目でアイズを見た。なかなか二枚目のアイズは、町にでればそこそこ女にもてるだろう。だが、どうしても、目に冷酷さがちらつく。
(ロクでもねえ野郎だな、噂以上だぜ。)
 ゼルフィスはそうおもいながら、アイズの次の言葉を待った。
 ゼルフィス自身は、まるで戦いの女神である「ファリアエイル」の像のような顔をしていた。
 金の巻き毛を肩でまとめて翻し、エメラルドのように輝く碧の瞳を持っている。上品で整った顔立ちは、一見すると気の強い女性にも見えかねない。どちらかというと、華奢なほうでもあるし、背も一八〇cmはない。彼は普通にみれば、美女の部類に入ったかもしれない。
 だが、その容貌には、どこか危険な野生の香りがした。若い豹のような、しなやかだが、実に凶暴な雰囲気である。線の細い彼の容貌から、優しさや穏やかさがほとんど感じられなく、「優男」という形容が出てこない。彼の性格と言動もその美貌と相反して、豪快な印象すら持たせるものでもあった。
「さすがは、ハルシャッド船長の息子だな。」
 アイズは笑って、頬の刀傷を引きつらせた。ハルシャッドは、ゼルフィスの父で、この界隈で鳴らした海賊だった。すでにハルシャッドはこの世にはおらず、彼の部下達も彼の死後ばらばらになってしまった。だから、ゼルフィスは今は手下も船もない渡り鳥といったところだったのである。
「用件が訊きたいんだが…。あんたのその用ってえのを済ませたら、オレに手下と船をくれて、それで独立させてくれるっってえのは、本当なのかい?」
 ゼルフィスが訊くと、アイズは冷たく笑った。なにか含むような笑みだった。
「あぁ、そうだ。ハルシャッドのせがれ殿にそんなからかいを言うわけがねえ。」
 そして、彼は後ろに向かって手をさし伸ばした。手下が、一枚の紙を彼の手に握らせる。
「なにも小難しい話じゃねえ…。あんたに一人、あの世に送って欲しい男がいるんだがな…。」
「なんだって?」
 ゼルフィスは片眉をすっとひそめた。
「オレはカタギにゃ手をださねえ主義だぜ。」
「大丈夫だ。相手も同業者だからな。」
 そういって、アイズは、ゼルフィスに一歩近づいた。
「『逆十字』って野郎を知ってるか?」
 アイズの目に複雑な負の感情が燃えるのがわかった。
「『逆十字』ってえと…」
 ゼルフィスは、笑みを引きつらせた。
「あんたの船に一人で飛び込んで好き勝手やったってえ命知らずだね?」
 彼がはっきりとそういったので、アイズの周りのものが却って怯えたが、アイズはまだ平常心を保っていた。
「ああ。その命知らずだ。」
 アイズの笑みも次第に引きつってきていた。
「アレは五年から六年前だったか。あの野郎は、オレの船に一人で乗り込んできやがった。なのに、オレの部下ときたらあの若造一人とめる事ができねえで、最後にゃあいつに金まで盗まれやがった…。オレのかいた恥ときたら、笑うにも笑えねえもんだったぜ。」
 アイズの苛立ちは相当なものだった。
「それで、オレは、あいつに深ーい怨みができたわけよ。…いつか意趣返しをしねえとな。」
「意趣返しねぇ。仕返しをする前に、あんたはずいぶんとその逆十字に賞金をかけていなさるようだけど。」
 ゼルフィスは、軽く微笑んでいった。
「あの野郎は、その全部をすり抜けやがったんだよ。」
 憤りがアイズの声を震わせていた。
 アイズのような男の心情は、いまいちゼルフィスにはわからない。だいたい、その逆十字とやらが憎いのなら、自分で行って自分で勝負すればいい。賞金をかけて追わせるなどというまどろっこしい上に、卑怯なことは彼の性には合わない。
 ゼルフィスの心の中には、彼に対するどこか冷ややかな気持ちが沸き起こっていた。
「で、あんたは、逆十字をどうしたいんだ?」
 ゼルフィスは訊いた。
「あぁ、そうだな。…あんたが直接手を下してあの世に送ってもいい。だが、どうせなら、生きたままオレの所へつれてきてもらうのが一番いい。…その方が、オレとしてもすっきりするんでな。」
「へぇ、いい趣味だな。」
 ゼルフィスが思わず口を滑らせた言葉に、アイズはひくっとこめかみを引きつらせた。さすがに癪に障ったのだろう。だが、ゼルフィスは、そのアイズには目もくれず、彼の持っている紙をひったくった。
「で、これが手がかりか?」
 ぱっと広げてみる。そこにあるのは、写真ではなかった。おそらく、写真が手に入らないのだろう。
「人相書きかい。」
 そこに描かれている男は、イメージにある逆十字とは少し違った。どんな凶悪な大男かと思っていたのだが、そこに描かれていたのは少し痩せた、少し理知的な印象の顔立ちの男だった。
 整った顔立ちに鋭い目、口ひげを生やしていて、そして額から右頬、鼻柱から耳の横まで、二本、傷が走っていた。それがちょうど交差して、形が逆十字にみえることからその名がついたのだろう。ゼルフィスのような繊細なつくりの顔ではないが、この絵を信じれば、逆十字はかなりの二枚目だといえるだろう。ただ、絵でもわかるようなこの不穏な空気は、彼の容貌から甘さを奪っているようだった。
 年頃は三十台前半か半ば。ゼルフィスよりは年上だろう。
「こいつが…逆十字…ね。」
 ゼルフィスはふいに微笑んだ。それから、アイズに向き直る。
「…ふん、つまりはそういうことかい?」
 ゼルフィスはいい、
「こいつを殺すか捕まえてくれば、オレは船をもらえる。」
「そういうことだ。オレの部下には、あんたのオヤジさんの元部下もいるからな。喜んであんたに協力するだろうぜ。」
 アイズの言葉を聴きながら、ゼルフィスはもう一度人相書きに目を走らせる。逆十字の鋭い目と目が合う。
「じゃあ、オレに任せてもらおう。」
 ゼルフィスはそういい、ぱっと身を翻す。鮮やかな身のこなしで、それだけでもゼルフィスの腕が知れた。
「これで用件は終りかい? アイズさん。」
「ああ。…あとはあんたの健闘を祈っているぜ。」
 ふ、とアイズは不気味に微笑む。ゼルフィスも不羈な笑みを返す。
「了解したぜ。アイズさん。」
 それじゃあ、といってゼルフィスは、もう振り返ろうともせず、すたすたと歩いていく。彼のほっそりした後姿が見えなくなってから、手下がざわめき、お互い話をし始めた。
「ずいぶんと礼儀知らずな野郎ですね。」
 アイズの横にいた部下がこぼす。
「女みてぇな顔しているくせに……」
「女みてえな? その言葉はあいつに限り正しくねえな。…意味がわかるか?」
 アイズは愚かな部下をせせら笑う。部下のほうはまだ要領を得ない顔つきをしていた。
「…よく思い出しな…。ハルシャッド船長には、跡取りになるようなガキがいたか? なんで、代替わりした途端にオレのところに部下がなだれ込んできたと思ってやがる。」
 手下がはっとしたとき、アイズは、軽く舌なめずりし、それにしても、と、ぼそりとつぶやいた。
「あのはねっかえりがあんな別嬪になるとは思わなかったぜ…。ゼルフィス。」
 
 

 夕暮れの街は賑わっている。アイズとわかれて、近くの港町に来た、ゼルフィスは、市場でりんごを買い、それを持って宿に帰ろうとしていた。
「逆十字ねえ。…それにしても、どこにいるのやら…」
 一人、人込みの中をあるきながら、空に目をやると、暮れかけの空に一番星が輝いていた。金星だろう。
 潮の香のする風の吹く港町である。船乗り風の男も、またあまりよからざる印象の男も色々いるが、逆十字という男の姿は見当たらない。こんなたくさんの人の中から、目的の男をさがすのは、気の遠くなるような作業だった。
 そういえば、あれだけ特徴を持ちながら、逆十字自身は静かな海賊だった。堅気の人間は襲わないので、海上警察に手配されてもいない。アイズの事件で名を高めたが、その後は、現れたり去ったりで、まさに神出鬼没といえた。
 アイズの放った刺客たちが彼を倒せないでいるのは、逆十字の頭と腕がいいからだけでなく、彼の消息がいつもつかめないからもあるのだろう。
「仕方ねえな…。面倒な事は嫌いなんだがねえ、あた…」
 と独り言を言いかけて、ゼルフィスははっと口を押さえた。
「おっと、危ねえな。…どこで誰に聞かれてるんだかわかりゃしねえんだったっけ。」
 ふうとゼルフィスはため息をつく。喋り方一つ変えるのも面倒なものだった。もともと話していた一人称は、今は使ってはならない。まったくもって面倒だ。
「まったく、オヤジの野郎。どうせなら、ちゃんと説明してくれりゃよかったんだ。なまじっか隠すから、こんな事になるんだぜ。」
自分はどんな状況でも、手下達をまとめる自信があったのだが、その実力を発揮する機会がなかっただけだ。そもそも、そんじょそこらの乱暴者よりもよほど腕のたつゼルフィスは、正直言ってあの扱いは不満だった。
 路地の裏手を歩いていると、ゼルフィスの前から小さな女の子がたたたと歩いてきた。その後ろのほうから帽子を目深に被った黒い革のジャケットを羽織った男が歩いてきているが、おそらく親子などの関係はなさそうだ。
「あっ!」
 地面のタイルが飛び出ていたのか。少女は、何かにけつまづいて転んだ。ゼルフィスが、慌てて助けようとしたが、後ろから来た男のほうが早かった。
「大丈夫か?」
 ふらふらしていて、一見、柄のよくない男だったが、その態度は実に優しく、そして穏やかだった。少女は起き上がると、男にむかって微笑む。
「うん、ありがとう。」
「これからは気をつけろよ。」
「はーい。」
 あどけない返事を返し、少女は立ち上がる。どうやら大事が無いのを見て取り、ゼルフィスはほっとした。そのまま少女は駆け出す。ふと、男は少女を呼び止めた。
「あ、ちょっと待った。」
 そういうと、帽子の男は微笑みながら地面のキーホルダーを拾い上げた。
「これは、おじょうちゃんのだろ? なくしたら困るんじゃないのか?」
「あ、ありがとう! これ、お母さんにもらったものなの!」
 得意げに言う少女を見て、男は帽子の影で笑ったらしい。彼は、少女の頭を軽くなで、おかあさんのところに戻りな、と優しく言った。少女は、礼をもう一度言って大げさに頭を下げてから、すぐに走りだしていく。男は手を少し振って、それから歩き出した。
(へえ、意外といいやつじゃないか。この世知辛い世の中に感心だねえ。)
 ゼルフィスがそんな事を思っていると、男は、彼の横をすり抜けていく。そのとき、彼は男の顔を盗み見た。
(こいつ…!)
 はっとゼルフィスは、息を呑む。右目を挟んで走った傷跡が、帽子の間から見えたのだ。
 顔立ちは、やはり手配書で見たとおりだったが、実物はもっと複雑な印象があった。先ほど子供と話していたときと違い、彼はすでに無愛想で無口な印象のある男になっているので、顔立ち自体は、整っているにもかかわらず、全く甘さが感じられない。
 ちょうど、右側の顔に目を走らせると、帽子に隠れながらも、そのすさまじい傷跡が走っているのがわかる。少し引きつれた傷が交差している真上に、コバルトブルーの目が魔力を秘めた宝石のように輝いていた。深い海の色のような、吸い込まれそうな色だった。澄んでいるが、その目からは感情が感じられず、かえって得体の知れなさを実感させる。
 幸い今ならまだ路地裏だ。人はいない。反射的に壁に隠れながら、ゼルフィスはある誘惑に駆られる。今がチャンスだ。だが…
(闇討ちは趣味じゃないしな。)
 ゼルフィスは、腰の短剣に手を触れるのをやめた。しかし、そのとき、不意に逆十字らしい男の鋭い声が聞こえたのである。
「誰だ!」
 逆十字は、同時に素早く振り返った。こちらを振り返ったときには、すでに短剣を引き抜いている。最初、逆十字の声が自分に向けられたものかとゼルフィスは思ったが、それは違った。物陰から、黒い人影が飛び出していったのである。
「はん、誰に頼まれたか知らねえが、街の中で狙ってくるとはご苦労なこった!」
 逆十字は、切れ味のいい口調で言った。刺客らしい影は、にじり寄るように彼のほうに進む。
(誰だ! 先約入ってる獲物に手ぇ出しやがってっ!)
 ゼルフィスは、壁に隠れながら思わず叫びだしそうになっていた。ここで先を越されたら、あの話も全部つぶれてしまう。そうこうしている間に、刺客が少し震える声でこういった。
「オレは、あんたさえ殺せば、船と金が手に入るんだ!」
 どうやら、アイズは複数の人間にゼルフィスと同じような取引をしたらしい。
(あの野郎…!)
 ロクでもない男だ。つくづくゼルフィスはそう思う。
「くだらねぇなぁ。またあの執念深い女たらしのやつか。…いい加減してほしいぜ。」
 逆十字のほうは、刺客の様子とはまるで違った。疲れたようにため息をついているが、その様子はとても余裕に感じられた。彼は、半ば棒立ちだった。しかし、その身辺には先ほどまでにはない感覚がぴりりと張り詰めていた。けして、逆十字は油断をしているわけではないらしいのだ。
「狭いところでやっても埒があかねえ! ついてきな!」
 逆十字は言うと、さっと身を翻した。だあっと走り出した彼に、慌てて刺客はついていく。
 ゼルフィスは壁から身を乗り出したが、ついていくわけにも行かず仕方なくそこで立ち止まる。
(先に手を打たれたらどうしたもんか…)
 と、彼が思ったとき、ふらっと誰かが帰ってくる気配がした。慌てて身を隠すゼルフィスが顔をあげると、逆十字は軽い足取りで戻ってきていた。
「へっ! オレに簡単に巻かれるようじゃあ先が見えてるぜ。街中見当違いなところを探してな!」
 逆十字は、吐き捨てると再びふらっと歩き始めた。
「あいつ…」
 しゃり、とゼルフィスは、持っていたりんごを噛んだ。
 (思った以上にできるじゃねえか。)
 ふっと、彼は笑う。とんでもなくおもしろいものを見つけた、というように。好敵手を見つけた豹のような笑みだった。 
「おもしれぇ。…俄然、やる気になったぜ。」
 ふん、と鼻を鳴らし、ゼルフィスはそこから歩み去った。今日、このまま帰る事にしよう。楽しみは、取っておくに限る。
 ――それに、あの獲物はほうっておいても、誰にも狩られやしないさ。


 やがて来る彼との戦いに期待して、ゼルフィスはもう一言だけつぶやく。今度は自分に禁じていた本来の本当の自分の喋り方で。
「あんたを打ち負かすのは『あたし』だよ。期待してるぜ、逆十字。」
本編情報
作品名 ならず者航海記
作者名 渡来亜輝彦
掲載サイト 幻想の冒険者達
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / 連載中
紹介 ひょんなことから伝説の地図を手に入れた冒険家の息子アルザスとはねっかえり娘のライーザ。
ところが、その地図を持つことにより、海賊や軍から終われる羽目に。地図の謎を解きながら進む二人の前に現れるのは、「逆十字」と呼ばれる顔に傷のある男。
果たして彼は敵か味方か…。

SF的な要素を含む冒険活劇。
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