ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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  ならず者航海記番外編:スポークの中の青空


重い、彼にしては少し大きめの自転車をひきずりながら丘をのぼると、そこには広い広い草っ原がひろがっていた。何の事はない、見慣れた風景である。
 アルザスはぜえぜえ肩で息をしながら、よろりと一歩足を進めた。
「ったく、オレをなんだと思ってんだよ、あのオヤジ!」
 悪態をつき、そのまま倒れそうになる。アルザスがこんなに疲労困憊しているのは、自転車の異常な重さと坂のきつさ、あともう一つの要因は、おそらくアルザスの体力があまりないということだろう。だが、最後の一つは、まだ若いアルザスは認めたくなかった。どちらかというと小柄なアルザスだが、それだけに力のなさを突きつけられると哀しくなってしまうのだ。
(いいや、これは自転車のチェーンがおかしいんだ! 錆びてやがる!)
 アルザスは慌てて首を振り、すべては自転車が重くて古いせいだということにしておいた。
 自転車ごとぶっ倒れてやろうかと思ったが、これで自転車を倒してどこかの部品でも飛ばしたら悲惨だ。ただでさえ壊れかけなのにかついで持って帰らなければならなくなる。
「せぇ…のっと!」
 アルザスは仕方なく自転車のスタンドを立てると、その真下に倒れこむように寝転がった。息をおさめながら、空を見上げる。体力が回復してくると、何となく自分をこんな目に合わせた男に正直腹がたってきた。
「ちくしょう! あのオヤジ!」
 アルザスは口を尖らせて吐き捨てる。その手には出してくるよう頼まれた手紙が握られていた。街角のポストに出しにいくのではない。大事な手紙なので、隣町の局に出しにいくように言われたのだ。そのお使いに、アルザスは自転車を引きずってここまで来たのである。近道を使ったものの、整備不良の自転車も手伝ってあまり楽な行程ではなかった。
「自分でなんか乗り物乗ってきゃいいのに! 冒険家が手紙出しにいくのに歩くの嫌だってなんだそりゃ! 山道登ってる奴が何言ってんだよ!」
 当然、そこに文句を言うはずの相手はいない。もっとも、いてもきっとはぐらかされるのがオチである。
 アルザスの父のディアスは、世間では偉大な冒険家らしい。「らしい」というのは、そういう世間の評価だというのだが、アルザスには実感がないからである。いつもへらへらしていて、軽くて、しっかりものの妻の尻にひかれていて、口を開けば「それがロマンだからだ!」とか言ってどこぞの危険な場所に出かけていってしまう。アルザスからすれば、ディアスはそういうダメオヤジなのだった。
 どこかしら冷めてはいるが、世間の標準からすればそれでもかなり夢見がちな性質があるアルザスでも、父の行動にはついていけないところがあった。そんなにも、意味不明なロマンに酔えるような、ドリーマーではないアルザスである。尊敬していないといえば嘘になるが、心酔も対抗意識もあまり抱いていなかった。
 その分、偉大なる父の影に脅かされていないのは、もしかしたら幸せな事なのかもしれない。冒険家志望のアルザスであったが、少なくともプレッシャーを感じて父と同じ志を抱いたわけでもないのだ。単に興味が一致したというところなのかもしれない。
「どうしようもねえなあ。」
 アルザスは何となく苦笑いした。このままさぼっちまうか、とも思うが、さぼると父よりも母が怒るのが目に見えているので、アルザスはサボタージュする気にもならなかった。元空軍の軍人だったらしい母は、ある意味では父よりも恐い存在だ。
「アールザスー!」
 急にどこからか女の子の声が聞こえた。アルザスは声でそれが誰だかわかったので起き上がらなかった。
「アルザス! いるんじゃない!」
 やがて、金髪をポニーテールにまとめた少女が、やや不機嫌そうな顔でひょっこり視界に入ってきた。青い大きな目をしたライーザは、その顔のつくりの割には気が強い。
「よう。」
「よう、じゃないわよ。何かっこつけてるわけ? なんかの映画の見すぎじゃないの?」
 厳しくやられて、アルザスはひじをついて頭を起こす。
「なんだよ? こんなとこまで追っかけてきて何のようだよ? オヤジの伝言ならもう受けねえぞ。手紙出すのやめたとかそういうのは! 意地でも出してきてやる。」
「何の意地張ってるの? 違うわよ。」
 ライーザはため息をついてアルザスの横に座った。しゃらりと髪の毛が流れて、風に揺れる。
「じゃあなんだよ?」
 アルザスは横目でライーザの横顔を眺めながら聞いた。
「おじさんにきいたらこっちにいるっていうじゃない。大切なもの出すのに、あんた一人じゃ不安だから、ついでについてきてあげたわよ。」
 何となく恩着せがましく言うのは彼女の常だ。姉貴風を吹かされるのも慣れたので、アルザスはいちいち気にしない事にしている。
「どうせ暇つぶしだろ。」
「ついてきてあげただけいいと思いなさいよ。」
 ライーザはそっけなく言う。そして、自転車を一見して、ふと眉をしかめた。
「なあに、この自転車。バカになってるんじゃないの?」
「かもなあ。整備不良ってのはやっぱいけねえよなあ。」
 アルザスは他人事のように言った。ライーザは肩をすくめると、持ってきていた手提げかばんから整備用の油を取り出し、アルザスの手に押し付けた。
「これでも使ったら?」
「なんだ、用意がいいんだな。」
「あんたと何年一緒にいると思ってんのよ。どうせ、忘れてると思ったのよ。」
「チェッ!」
 偉そうに言われて、少しだけ癇に障る。だが、言い返すとライーザに猛烈な反撃を食らうのがわかっているので、アルザスは舌打ちで済ませるのだった。
「そうやって整備してるといつでも快適に使えるのよ。あんたが怠けるから後で疲れるのよ。大体昔っからあんたはね…」
「わかってるよ!」
 ライーザの説教じみた話に生返事を返す。他にも幾つか説教をしてきそうだったので、アルザスは定期的に「ああ」や「うん」をまじえながら、油をさしてやったり、錆びを落としたりしていた。そうして、スポークの辺りの錆びを削り落としていたとき、アルザスは不意に自転車のスポークの間から青い空が見えるのに気づいた。丘の上は何も障害物がないので、スポークに区切られた雲の浮いた空が見えた。切られたケーキみたいな形の空は、そのままちぎりとってポケットに入れて持ち歩けそうにすらみえた。
「…だったわよね…、…覚えてる?」
 いきなり言われて、アルザスはやや大げさに慌ててライーザに顔を戻した。というのも、ぼーっとスポークを見ている間に油を差しすぎて指についてしまったからだ。そんなドジを知られてこれ以上からかわれるのは癪だった。
「何慌ててんのよ?」
「べ、別にっ!」
 首を振ると、ライーザは訝しげに彼を見たが、それ以上追求しなかった。
「覚えてるって聞いたのよ?」
「何が?」
「まだ言ってないわよ。いいわよ、別に!」
 ライーザは、不機嫌に顔を背けてしまった。どうやら、聞き逃してはいけないことを聞き逃したらしいのだが、アルザスにはライーザがどうして不機嫌なのかはよくわからない。
「で、整備できたの?」
「まぁな。」
 アルザスは自転車を動かしてみて、先ほどよりもかなり楽になったのを確かめて頷いた。これならどうにかなりそうだ。
「そう。じゃ、隣町まで丘を下ってけばいいのよね。あたしを乗せてってよ。」
 ええっとアルザスは非難の声をあげた。
「その言い方からすると、オレが漕ぐのか?」
「何言ってるのよ。こういうときはヤロウが漕ぐのが礼儀ってもんじゃない。」
 ライーザに当然のように言われ、アルザスは肩をすくめた。
「都合のいいときだけレディーファーストとか言いやがるよな。普段、女扱いしたら怒るくせに!」
「うるさいわね! そういうこと言ってると、あんた女の子に好かれないんだから!」
(お前みたいな男女も好きになる奴なんかいるもんか!)
 精一杯の反撃を心の中で試みると、アルザスはぶっきらぼうに、乗れよ! とライーザに言った。ライーザは、ありがと、というと悪びれもせずに荷台に横のりした。アルザスはため息混じりにハンドルを掴むと、下り坂をゆっくりと進みだす。スピードが乗ったところでひょっとサドルに飛び乗って、ブレーキを利かせながらもそこそこのスピードで草原を下っていく。
「ちょっとスピード出しすぎなんじゃない! あたしを巻き込まないでよね!」
 背中でライーザがきつく言った。
「後ろに乗ってる時点で一蓮托生だろうが!」
「気をつけろって言ってるのよ!」
「ああ、うるせえな! わざとこけるぞ!」
「やってごらんなさいよ!」
 実際こける気はないので、アルザスは不毛ないい争いを避けた。
 そのまま自転車は坂を転がるように降りていく。風を切ると、耳元でひゅうひゅうとそれが流れるのが心地よかった。
「さっき、あたしがいったの、あんた聞いてなかったでしょ?」
 不意に風にまじってライーザの声が聞こえた。
「ああん! なんだよ?」
「あたし、ほら、学校に上がるまで海の上にいたじゃない。」
「だよな。会って話したあと、その後すぐにどっかいっちまって…」
 アルザスはライーザに言われてふと当時を思い出す。ライーザの父とディアスが腐れ縁友達だったことから、二人は引き合わされたのだが、ある程度仲良くなったとき、ライーザはまた船で両親と共に海の旅に戻ってしまった。彼らが再び再会したのは、小学校に通うようになって、それもしばらくしてからだったような気がする。
「そうそう、その日の事覚えてるって言ったのよ?」
「何が?」
「自転車!」
 ライーザは、アルザスの答えを待っているのが面倒だとばかりにそう告げた。
「あたし、あの時ぎりぎりまであんたに、また航海するって言ってなかったわよね。そしたら、なんだか怒っちゃって…帰る前日に喧嘩になったでしょ?」
「そういや、そうだっけ。」
 アルザスはあんまりよく覚えていない。ライーザは少しだけ不満そうに言った。
「そうよ。とうとう見送りにも来なくて、ごめんなさいもいえないわ、喧嘩の決着もつかないわで、あたし結構落ち込んでたのよね。」
「喧嘩の決着って…お前つける気だったのかよ。」
 アルザスが恐ろしげにいうと、ライーザはくすくすっと笑った。
「さぁね。…結局船は出ちゃうし、あんたは見送りにこないし、あたし結構寂しかったのよ?」
「あれ? でも、オレ、なんか見送ったような覚えがあるぜ?」
 アルザスは、浮かび上がる記憶に首をひねった。
「どういうことだ?」
「だから、自転車っていってるでしょ?」
 ライーザが言うが、アルザスは首をひねってばかりである。
「仕方ないわね。…思い出してよ、あんた、最後に自転車無茶苦茶漕ぎながら堤防走ってきて見送りにぎりぎり間に合ったんじゃな…ってちょっと!」
 アルザスが動揺したのか、ハンドルが大きくゆれ、ライーザは慌ててアルザスの肩にしがみついた。当のアルザスは、何とかバランスを取ると、まだ驚いた顔のままライーザに聞いた。
「な、なんだそれっ! オレ、そんなことしたかよ?」
「これだから。」
 ライーザは肩をすくめる。
「まったく、それで、あんたが謝ってくれて、また来いっていってくれたから、あたしはここに戻ってきた……っていういい話で締めくくろうと思ったのに!」
「えっ、お前オレが謝ったから戻ってきたのかよ?」
 そういえば、ライーザのところの会社は都会にあるのだ。寮生活という手もあるので、何もこんな田舎町の学校に通う必要はあまりない。
「さぁね。お父さん達にとってここなら安心できたからでしょ。」
 ライーザは、そっけなく否定する。アルザスは、先ほどの自転車の話を自分が覚えていたら、この答えがどうなったのだろうかと少し気になった。
「そ、そうか…。あれ? でも自転車? オレ、なんか嫌な思い出があるような。」
 アルザスは、ようやく記憶の断片を探し当てたのか、不意に頬に手をやった。なにか、そういえば余り思い出したくないことがそこに引っかかっているような気がするのだ。
 突然、ライーザが笑い出した。
「な、なんだよ?」
 バカにされたような気がして、アルザスはムッとして聞いた。
「そこは笑うところだもの! じゃ、あんた、あの後の事は覚えてるんだ。」
「何がだよ?」
 アルザスは少し振り返ってライーザを見た。ライーザは、かわいらしい顔に、少し小悪魔的な笑みを浮かべながら言った。
「あんた、堤防走って船に追いついて、あたしと話した直後、その勢いで堤防から自転車ごと海にダイブしたのよ。ものすっごい間抜けな声上げてたの覚えてるわよ!」
「な、何い!」
「あのダイナミックで間抜けな光景は忘れないわ。あははは」
 と、突然笑っていたライーザの顔が引き締まった。こちら向きのアルザスの顔を無理やり前に向かせると、何するんだと訴えるアルザスを無視して叫んだ。
「前! ブレーキブレーキ!」
「うおわっ!」
 いつの間にやら坂は中腹を通り過ぎていて、前に大きめの石がごろんと転がっていた。このまま乗り上げたら、今度は草の海にダイブしてしまう。海の水と違って笑われるだけではすまないかもしれない。アルザスは急なハンドル操作でそれを避けると、バランスをどうにかこうにか保った。
 一難さってそのまま坂を下りていく自転車の後ろから、ライーザが、
「あんたって何年たっても同じよね! 前見てないんだもの!」
 と、彼を厳しく非難する声が聞こえてきた。そのまま、やがて二人乗りの自転車は、坂を下って風の中隣町への道に入っていく。


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©akihiko wataragi.2004
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