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※この話には知らずの地図編のネタバレが若干含まれます。

風の娘と風の青年



潮風に吹かれながら、一台のオートバイがカーブを曲がってきた。黒く塗った車体が爽やかな海岸の陽光に跳ね返る。乗っているのは、ヘルメットを被った背の高い人間で、顔が見えないが体格からして男だろう。
海岸線の崖を削って作ったような、岬に通じる道は、あまり舗装されていない。がたがたする道をしばらく進んだ後、彼はその一端でブレーキをかけて、ゆるやかにオートバイを止めた。
「あぁ、この辺でいいか。」
 男は、バイクに跨ったまま、ヘルメットを外した。やや前髪が長く、ともすれば目にかかるぐらいだ。深い綺麗なコバルトブルーの瞳が印象的だが、その右側の目を縦断して凄まじい刀傷が残っている。前髪が長いのは、本当はそれをあまり人目にさらさないためでもあった。目つきが鋭く、今日は黒い革のジャケットだからまだしも、普段のあのどこの馬の骨ともわからぬぼろぼろの船乗り風の服、それに傷跡とくれば、普通の人間は大概恐がる。おまけに、その傷が逆十字形であるので、さらに恐がられるのだった。
 通称、逆十字と呼ばれるフォーダートは、今日は何となく晴れない気分だった。その気持ちを晴らすために、こうしてオートバイを飛ばしてきたのだが、青い空を見ていても、そんなに気分は晴れなかった。
「くそっ、あいつら、オレのことなんだと思ってやがるんだよ!」
 フォーダートは面白くなさそうに言って、乱暴にヘルメットをハンドルに引っかける。がびがびに削れた崖には、柵のようなものがかろうじて設置されているだけだ。
「船の掃除だから出ていって、なんて、まるでオレが邪魔者みたいじゃねえか。」
 そもそも、あれは、オレの船なんだぞ。フォーダートはぶつぶつと文句を言いながら、淋しい気分になった。その寂しさやうっぷんと暇つぶしのため、こうしてバイクを飛ばして、一人寂しくツーリングしにきたわけであるが、やっぱり寂しさは募るばかりだ。
「…なんか、空しくなってきた。もっと、人の多いところに行けばよかったかな。」
 それで騒いだ方が、もっとよかったかもしれない。ため息をつきつつ、フォーダートは一旦バイクを降りた。そして、割と小高いこのカーブから下の街を見る。さして目立つものもない静かな街だが、こうして上から見るとなかなか綺麗なものだ。
「あれ?」
 ふとフォーダートは、違和感を覚えた。
「なんだ…。今、何か、こう……」
 違和感の正体は、わからない。ただ、それが俗に言う「嫌な予感」の一種であることをフォーダートは知っている。次に背筋に悪寒が走った。間違いない。何かよからぬことが起ころうとしている。
 フォーダートはそうっと左目の端で、背後を探ろうとした。何かがいる気配がしたからだ。と、端に影がいるのが見えた瞬間、相手は、突然猛獣のように襲いかかってきた。白銀の光が、フォーダートの瞳を掠める。
「逆十字ィ! お命ちょうだい!!」
 間一髪剣の切っ先をかわし、フォーダートは、懐の拳銃をさぐりながら、道路に転がった。そのまま起きあがって上を見上げる。
「チッ、惜しい! もうちょっとだったのに!」
 逆光をあびて相手はそう舌打ちをした。太陽の光を透ける巻き毛の金髪と、逆光の中でも爛々と輝くような凶暴なエメラルドの瞳。背はそれほど高いというほどでもなく、体格もよくはないが、それにしてもしなやかな動きをする。
「ゼルフィス!」
 フォーダートは、その人物の名を叫ぶ。
「よお、ま〜だ生きてたのか! あんたに死なれると困るからなあ、賞金ねらってるオレとしては。」
 ゼルフィスは、整った顔に不敵な笑みをのせる。そして、右手に持ったままの剣を弄んだ。相変わらずアイズがかけたフォーダートの賞金を狙っているらしい彼は、にんまりと笑った。
「うーん、さっきの動き、なかなかいいぜ。」
「あまり批評されたくないな。」
 フォーダートは、銃を握ったまま、相手を牽制するように訊いた。
「な、何しにきやがった! ここでやる気か?」
 ところが、急にゼルフィスは刀をおさめて笑った。
「いや、別に。通りすがりだし、今日は別にあんたと戦うつもりはないぜ。」
 けろりとしてゼルフィスはそう言う。はあ? と思わず大口をあけてぽかんとしてしまったフォーダートは、急き込んで訊いた。
「だったら、どうして…」
「いやあ、あまりにも無防備な背中だったからさ。うっかり斬り掛かりたくなるのは人情だろ?」
 ロクでもないことを言う。フォーダートは頭が痛くなってきて、思わず天を仰いだ。
「…お前が何を言っているのかすらオレには理解できねえんだが…念のために訊くぞ。じゃあ、どうしてこんなところにいるんだよ。」
 フォーダートはあきれ果てたように言ったが、実は本番は今からであった。ゼルフィスはけらけら笑いながら、こんなことを言い始めたのだ。
「路線バスで一つ前の停留所でおりちまって、そんでバスも来ないし、歩いて街に帰ろうと思ってな…。でも、あんたを見つけたからちょうどいいと思って…。それあるんだったら乗せてってくれよ。」
「……お、お前馬鹿なのか? それとも。」
「いいじゃねーか。それぐらい。けちけちすんなよ! どうせ、あんたが損すんのは、ガソリン代ぐらいだろ?」
「…オレはそういう問題を気にしてるんじゃ……まあいい!」
 フォーダートはため息をつきながら、やれやれと相手を見た。見かけは妖艶ですらある美青年といったところだが、中身の方は、本当に手に負えない奴である。
「オレが嫌だっていったらどうするつもりだ?」
「その場合はここであんたを始末して、強奪すればいい話だろ?」
 とんでもないことをぬかす奴だと思いながら、フォーダートは軽く青ざめる。全く厄介な奴に借りを作ったものだ。
「は…はっきり言い切りやがった…。ああ、わかったよ。乗せればいいんだろ、借りもあるしな。」
「おお、結構素直なとこあるじゃねえか。」
 そういって、ゼルフィスは、にやっと小悪魔風に笑う。そうしてみると、何となく年頃の女の子みたいだ。
(どういう奴なんだよ、こいつ。)
 助けて貰った覚えもあるので、フォーダートは、むげにもできない。そうでなければ、こんな横暴な奴は相手にしないのだが。
 とりあえず、乗せていけばいいのだ。フォーダートは、仕方なくゼルフィスを乗せることにする。
 ああ、とフォーダートは、座席の後ろに飛び乗るゼルフィスを見ながらぽつりと言った。
「野郎と二人乗りなんてぞっとしねえなあ…」
「悪いなあ。」
 悪びれずにゼルフィスは言って、軽くフォーダートの肩につ、かまる。エンジンを掛けながら、フォーダートは気づいたように、あ、と声を上げた。
「一応いっておくが、今度は、後ろ向いているからって、いきなり背中刺したりするなよ! そんなことしたら、命の保証はしねえぜ。ハンドル操作誤ったら崖からどぼんなんだからな。」
「そんな卑怯なことするわけねえだろ。いくら、あんたの首の賞金が欲しいからってさ。オレがやるなら、ずばっと正面からやってやるよ。」
 ゼルフィスは心外そうに言って、へへへと笑う。その無邪気さに、フォーダートは辟易とした。
「結局やるのかよ。」
 呆れたようにいながら、彼はオートバイを発進させる。
 よく物を錆びさせるという潮風のしょっぱい味が、顔に直接吹き付けてくる感じがする。
「なかなかはやいじゃねーか。」
「そりゃ、まだローン残ってるんだからな! 調子悪いと、オレは泣くしかねえだろ!」
「あはは、その前につぶれるかもなあ。」
「無茶苦茶な事言うな!」
 そう後ろに怒鳴っておいて、フォーダートはため息をついた。そういえば、昔こんな無茶苦茶な子供にあったような気がする。もっとも、アレは女の子だったので、多分ゼルフィスとは無関係な気がするが……。
 
 
 あれは、十七年ほど前のことだ。つまり、まだフォーダートは、十歳で、正真正銘の子供だった。
 あの時、ある港町で、どこそこの海賊とキィスが会談するとかいう話になっていたのだ。その相手がどこの誰であるか、フォーダートは思い出せないが、とにかく、キィスがいつにもまして、堅苦しい詰め襟のきっちりした服を来ていたのを覚えている。軍人でもないのに、キィスはしろの詰め襟の海軍の軍服風の服が落ち着くらしく、大体そういう格好をしていた。
 本当は、来るな、とは言われていたのだが、好奇心旺盛だったフォーダートは、何の話をするのか気になってこそこそと後をつけてきていた。
 キィスの相手もがっしりした男だが、軍人風で若いキィスより、もう少しくだけた感じの男のようにみえた。あと、年もいくらか上のようだ。
 まだ時間があるので、店の表のほうでキィスは立っている。相手は時間まで、まだ部下と話があるらしく、キィスに断りを入れてから部下と何か打ち合わせをしていた。
「なぁなぁ、あいつ有名?」
 いつの間にかそうっとキィスの横に忍んできていたフォーダートは、背の高いキィスを見上げながら訊いた。
「ああ、それは有名に決まっているだろう。相手は、何しろハルシャ……む?」
 そこまで、キィスはそう反射的に応えたが、最後まで口にする前にフォーダートの存在に気づいたらしかった。そして、彼の方を大きな目で見た。堅物のキィスだが、顔はそう悪くない。大きな目は睨んでいるようには見えるし、にこりともしない無愛想だが、軍閥出身のことも考えて、割と若い頃はもてたのではないかとフォーダートは踏んでいた。ただ、この堅物で軍人堅気で、半分機械でできているんじゃないかと思うほどかくかくした父が、どれほど恋愛感情を理解するかは、彼にはわからない。また機械的で今度は感情があるやらないやらわからない、あの冷たいアンヌと結婚した理由も、彼には全然わからない。
「ダルト、貴様いつからそこにいた。」
「え、いつからってさっきからだけど。」
 ふと、キィスは、足下にいる少年の頭をつかむ。
「お前はそんなところに立ってるんじゃない! あっちで待っていろ!」
「な、なんだよ、ちょっと覗いただけなのに。」
「お前のような口の軽い小僧にきかせられんわ!」
 キィスは、海軍の将校らしいしっかりとした発声でそう言うと、彼の頭を乱暴に離した。そんな血のつながらない父の様子を恨めしげに見ながらフォーダート少年は、てくてくと店の裏側の方に歩いていった。そこで会見の様子を覗くぐらいなら怒られないだろう。
「ったく、子供扱いしてえ。キィスの馬鹿。」
 キィスがヴァッシス語訛りからつけられた愛称である「ダルト」で呼ばれていた彼は、そうぽつりといって樽の上に座った。
「オレだって、もう十歳なんだし、いいじゃないか。」
 ぶつぶつといって、片膝を抱えていると、ふと目の前に子供が現れた。といっても、フォーダートも子供なわけであるか、そんな子供の彼よりも更に年下の子のようだった。五歳か、六歳かそのぐらいの子供だ。男の子かも知れないが、金髪の見事な巻き毛は肩の辺りでひとまとめにされている。
「お前は誰だ?」
「お前? あのなあ、オレの方が年上なんだぞ。その年上に向かって、お前ってのはひどいんじゃねえか?」
 フォーダートは大人ぶって言った。男の子かと思ったが、よくみると多分女の子だ。ぱっちりしたエメラルドの瞳が印象的で、金髪のまつげがそれを縁取っている。表情こそ男勝りだが、まだ小さい彼女は、子供のフォーダートから見てもかなり危なっかしい存在に見えた。一体何をしでかすかわからないように思えたのだ。
「それ、剣か?」
「ああ、そうだよ。だって、オレ、キィス=テルダーの息子だもん。これから強くなって、オヤジの後をつぐんだ〜!」
 腰にある小さな短剣を叩いて、フォーダートは誇らしげに言う。すると、女の子は突然にやりとした。幼い癖に、なぜか野性的な危険をはらんだ笑みだった。少し驚いたフォーダートが彼女に魅入っている間に、女の子はいった。
「だったら、あたしと勝負しないか?」
「はぁ。なんで、オレがお前みたいなガキと。」 
 生意気にも彼はちょっと肩をすくめてみせる。
「大体、お前女の子だろ。女とは喧嘩しないんだ。」
「何でだ?」
「何でも…って、女の子には手を出しちゃいけないってアンヌさんもキィスもいってたから。」
 フォーダートがそういって、なだめて逃げようとしたとき、一人の男がこちらに歩いてきていた。
「ああ、こんなところにいた。」
 先ほどキィスが話そうとしていた相手の部下だろうか。あまり見覚えのない男だった。
「駄目だよ、こんなところにいちゃ。」
「あたし、こいつと喧嘩するの!」
「な、何言ってるんだよ!」
 とんでもないことを言い出す女の子だとフォーダートは幼心に思った。
「ごめんな、坊ちゃん。この子はちょっと乱暴で、あいて…!」
 抱き上げてそのまま連れて行こうとする男は、女の子にけりを浴びせられていた。かわいそうだなあと思いながら、フォーダートはとりあえず手を振る。
「お前、今度あったらあたしと勝負しろよな!」
 まだ女の子はそんなことを言っている。フォーダートは、きょとんとしながら彼女を見送った。
 世界は広い。恐い女は、アンヌが最強だからもういないと思っていたが、ここに別のタイプの恐い女がいた。
「うわ…世の中って恐いんだな…」
 フォーダートは幼いながらに、世の中の広さを何となく思い知ったのである。



 そういえば、そういうこともあったっけ。
 そう思いながら、ふとフォーダートは、どこで降りるか正確に訊いておくのを忘れたことを思い出した。街とは言え、どこまで行く気なのだろう。
 フォーダートはゼルフィスにそのままで声を掛けた。
「おい、ゼルフィス、どこまで行くんだよ!」
 返事はない。
「ゼルフィス?」
 そうっと背後に目をやると、ゼルフィスは、がっしりとフォーダートにつかまったまま眠っていた。そもそも、自分が命を狙っている相手の背中にもたれかかって眠るとは、ますますもって何を考えているのかわからない。結構がっしり捕まっているので、今のところ、落ちる心配はなさそうだが、この状況は少し困る。
「あぁぁ、ったく、どうしようもねえなあ。」
 フォーダートは額に手をやりながらため息をつく。
「野郎とこういうシチュエーションになっても、全然嬉しくねえんだよな。」
 だが、相手が野郎でなく娘でも困るし、照れる。いや、そちらの方がもっと困るかもしれない。
 しかし、と、ふと後ろを見ながらフォーダートは思う。巻き毛の金髪にエメラルドグリーンの瞳。このとんでもない青年、あの時のとんでもない凶暴な少女に似てないだろうか。
 もしかして、このゼルフィスは……
 フォーダートは、ふと頬を赤らめ、それがわかったのか首を振った。
「何をわけのわからねえ……! こいつが女の子なわけねえだろ!」
 まっすぐに道を走りながら、フォーダートはため息をつく。
「まあ、…まさか…なあ。」
 ぐっすりと遠慮なく眠るゼルフィスは、まだ目を覚まさない。なんとなく扱いに困りながら、仕方なくフォーダートは街への道をスピードを少し緩めて進むことになるのであった。


 未だ、彼がゼルフィスの真実に気づくことはない。



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©akihiko wataragi
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