| 一覧
三等車は、そこそこに混んでいた。いっそのこと、二等車両にすればよかったかと思ったが、たまたま持ち合わせも少ないし、それにあまり不便もないだろうと思っていたが、若干三等車の方が冷える感じがした。 北の大地の春の訪れは恐ろしく遅いものである。それに、暦の上では春にはなっているが、二月はもっとも寒さの厳しい頃でもあるのだ。その日は、雪が降っていなかったが、車窓から見える景色は溶け残った雪で白かった。 故郷なら、そろそろ梅の花でも咲いている頃だろうか。ふと、そんなことを思いながら、秋二は空いている席を探していた。 店のある上海は、今はきな臭い雰囲気が漂っている。それもあったし、仕事でどうしても東北部にいく予定があった。これからは旅順の方に行く予定があったので、ここから汽車に乗ることにしていたのである。 このような時勢である。商売一つやるにしても、危険が伴うものだ。 彼は、座席を探してそのまま歩いていた。汽笛がぼーっと音を立てて鳴り、窓をびりびりと揺らす。がたん、と足元がゆれ始め、そのまま汽車が進み始めたことを知る。揺られながら座席を探していると、ふと、一人の男が目に留まった。 一人の青年将校が斜め前に座っていた。帝国陸軍の軍服を着ているところを見ると、恐らく日本人だと思うのだが、少々確信がない。 少なくとも、日本語が通用するだろうとは思うのだが、どうもその見かけが日本人らしくなかったのである。 東洋人といえば東洋人なのだが、そうではないといえばそうではない。やや青白い顔色と切れ長で鋭い瞳。だが、それにしても、どこか西洋の香りを感じさせる翳りがある。顔立ち自体は、随分と端正だが、暗い印象だけでなく、独特の冷たさを引きずるようなところがあった。いわゆる美青年ではあるのだが、彫像風で気安い甘さが全くない。その近づきがたい印象が、彼の着ている軍服によく合っていたし、その身分にも妙にあっていた。 軍刀をはずして脇に置いたまま、腕を組んで外を見ているようだった。周りは多少混みあっているので、相席は免れそうにない。それに、彼はこの少々奇妙な軍人のことが気にかかった。外套はしめず、肩にかけたままにしている。階級章がのぞいていたが、あれとこの年からすれば恐らくは少尉だろう。 近づきがたい雰囲気のせいかもしれないが、彼の前の席が空いていた。下手すると面倒なことになるかもしれないが、興味本位で彼はその席の前に歩いていって声をかける。 「少尉さん。こちらに座ってもいいでしょうか」 「ああ」 ちらりとこちらに視線を向けて、青年将校は頷いた。その視線といい、何となく軍人特有の威圧感のようなものをすでに備えていた。 どうも、と礼をいい、彼は青年将校の向かいの席に座った。 青年将校は外を見ていたようだった。秋二もそちらをみやる。雪でしろくなった街が、静かに遠ざかっていく。 「しかし、今日もまだ寒いですね。少尉さん」 ふと、彼はそう切り出してみた。無視されるかとおもったが、案外、青年将校は素直に返事を返してきた。 「そうだな」 彼はそう答える。 「北の地というのは、本当に随分春が遅い」 「ええ、全くです」 なぜか、ぽつりと感慨深げに呟いた将校の言葉に、秋二は頷いた。 「ああ、そうだ。少尉さんはどこまでいかれますか? 旅順まで行くつもりなのですが」 そうきくと、少々困惑気味の表情を浮かべる。青年将校は、こう答えた。 「たしかに私は帝国陸軍少尉だが、名を菅原という。呼び方は菅原で構わないが」 「菅原さん?」 「ああ」 正面から見ると、どうやら二十歳前後といったところだろうか。少尉らしいし、陸軍士官学校を出てからそうはたっていないだろう。やたらと大人びて見えるのは、顔立ちのせいか、少々影をひいたような雰囲気のせいかもしれない。どちらにしろ、本当は彼とは同じぐらいの年なのだろう。 「上海に向かうつもりなのだが、私だけ別の任務をおおせつかってな。それで、寄り道をしてきたのだが」 同じように素直に答えてくれる彼に、彼はほんの少しだけ親しげな言い方になった。 「ああ、それで、この列車に?」 「ああ。まあな。大連から海路で向かおうと思っている」 菅原は、そういって彼のほうを向いた。鋭い目だが、その目に秋二をおびえさせようという意思などはなさそうだった。若いのにも関わらず、この年にして古風な軍人といった印象が妙にする男である。陸軍の中でも、ここまで妙に古武士風な若者は珍しかろう。 「俺は上海で商売をやっていて、さっき商談を終えてきたばかりなんだ」 「なるほど。しかし、上海とは今は大変だな」 少し菅原は眉をひそめていた。それはそうだ。菅原が、上海に向かっている理由が、そもそも”そう”だからである。秋二は、苦笑してそれをやりすごすようにした。 一瞬重い空気が流れた。その話題はいけないと思ったのか、今度は菅原の方から話しかけてきた。 「そうだ。先ほど、声をかける前、一瞬迷ったのではないか?」 「え?」 「俺の顔は、あまり日本人に見えないだろうからな」 菅原はいつのまにか、ほんの少しだけ親しげな口調になっていた。といっても、それは一人称が変わったこと以外、ほとんど常人には理解できない程度の変化ではあったが。 「いや、そんなことは」 さすがに首を振る秋二に、菅原は言った。 「俺は混血だ。……周りが一瞬惑うのも仕方がない」 「混血?」 ああ、と頷き、菅原は言った。 「俺の父の家は士族だったらしくてな。落ちぶれ果てているが、それでも、建前というものは生き残っていてな、母とは駆け落ち同然に結婚したという。だから、実家からは縁を切られている。父は軍人だったから、俺も陸軍の学校に入れたからな、それで経済的にはどうにかなったというわけだ」 「それで軍人に?」 「まあ、理由はそれだけでもないのだが。適性も軍人向けだしな、俺は」 菅原はため息をつくようにいって、ふと顔を上げた。秋二が何を知りたいのかということについて、菅原はすぐに思い至ったのだろう。 「俺の母のことだが、どこか知らないが欧州の出だったと聞いている。だが、俺が物心ついたときには母はすでにこの世にいなかった。だから、母のことは覚えていない。しかし、俺の顔をみればわかるとおり、やはり欧州の人間だったのだろうとはわかるのだが」 「そういえば、経済的にって、お父さんは……?」 「いや」 菅原は軽く首を振った。 「父は軍人だったが、とうの昔、シベリアで戦死しているからな。だが、それで、学校に行く金がどうにかなったのだから……、まあ、因果なものだが」 続けて、菅原はふといった。 「内地に帰っても、俺の心配をするものはいないし、知っている奴もほとんどいない。俺のことなど、急に消えてしまっても誰も気付かないだろうし、悲しむこともないだろう。だから、かえって気楽かもしれないが、こういう稼業をしていると」 菅原は、かすかに笑って話していたが、秋二の考え込むような様子をみて姿勢を正した。 「すまん。少々、下らぬことを話してしまったようだ」 「ああ、いや、そんなことはないと思うよ」 どうやら、菅原には当初そういうことを話すつもりがなかったようだった。どうして、そんなことを話してしまったのか、菅原にも少々わかりかねるようである。 彼が見た限りでも、菅原はそんなに簡単に身の上話を話すタイプでもないのだ。 「柄になく感傷的な気分になっていたのかもしれないな。この異国の雪景色をみていると」 弁解するように、少しだけ苦笑して菅原は言った。 「いや、それでも、戦闘になれば、最善を尽くすという気持ちはあるのだが」 「ああ、大丈夫だよ。菅原さん。そんな菅原さんが臆病だなんて思ってないから」 秋二は慌てていった。 「確かに大変そうだけれど、でも、まあ、しばらくたったらまた治まると思うんだけどね」 「ああ、そうあってほしいものだな、お互いに」 菅原はそういってから、少々気を遣うようなそぶりを見せた。一一般人の彼が、こういう政治的な話をしているのを聞かれると、よからぬことが起こるのではないかと思ったのかもしれない。 「でも、大変なのは菅原さん達だね」 慌ててそれをフォローするように秋二が言った。 「命をかけて戦うのは菅原さんたちなんだから」 「ああ、まあ、そうだが」 菅原は、そういわれて、意外にも少しだけ顔を曇らせた。 「俺個人としては、どうも、ここで戦うのに関してだけは、気が進まない」 「さっき、最善を尽くしてっていってたのと随分矛盾するんじゃないのかい、菅原さん」 「まあ、そういわれるとそうなのだがな」 菅原は苦く笑うと、脇においていた軍刀を一度足元に置いた。 「性格上、どうも市街戦は苦手でな」 「またなんで?」 「なんでといわれても、返答に困るが」 菅原は少々考えるような顔をした後、こちらに顔を向けた。 「関係の無いものを巻き込んでしまうかもしれないだろう。それに、俺は平原での白兵戦のほうが向いているらしいのだ。そもそも、射撃の才能はないのだし、むしろ正面から接近戦を挑んだほうがいい」 「ああ、それで」 彼は、視線を菅原が抱えている軍刀に向けた。 「それで、大切そうにそれを持っているわけだね」 軍刀を携帯すること自体は別に特殊なことではない。ただ、目の前の菅原何某が、妙にそれを大切に抱えている気が、彼を見た当初から何となくしたのである。菅原少尉は、思い出したように軍刀を引っ張りあげて、肩にかけた。 「菅原さん、それが使えるんだろう? それは凄いことじゃないか。今は、すっかり、剣術がうまい人が減っているってきいたよ」 「まあな。これが使えなければ、俺はとうに落第していたかもしれないが」 「それじゃあ、それに関しては菅原さんは優秀なんだね」 菅原の顔には、自嘲的な笑みがうすく広がった。 「今更、剣術が少々出来るぐらいでは、何の役にも立ちはしない。生憎と、今は鉄と火薬を両方使えないと、とても役に立ちそうもない。俺は、だから、戦士としてはいい戦士ではないのだ」 「そんなことないと思うけどな」 気を遣われていることがわかったのか、菅原はほんの少しだけ困ったように視線を彷徨わせた。彼なりに、照れているのかもしれない。少しだけ戸惑った後、菅原はそっと笑みを浮かべた。含み笑いのようにも見えるが、それは感情表現の苦手な彼の精一杯の表情らしかった。 「そういってくれるならば、俺も少しは救いがあるな」 それからは、その話題から離れて、店の話などをした。彼が扱っている、異国の商品のはなしや、その仕入れの話などをすると、菅原はわずかに興味深そうな顔をして、話を聞いていた。 その様子を見ていると、年相応の若者という感じがして、妙にほほえましい気がした。 よく考えれば菅原には思えば、少々不憫なところがあるのかもしれない。少年の頃から軍隊詰めで育った彼は、あまり世間のことを知らないようだった。それでだろうか。同年代の彼の話しを、随分興味深そうにきいていた。 彼にとっては、遠い異国の情緒を伝える店の品物が、実物以上に魅惑的に思えたのかもしれない。 やがて、菅原の目的の駅についた。旅順まではもう少しあるので、秋二はまだ乗っていくつもりである。 ホームに下りた後でも、菅原は律儀に窓越しに挨拶にやってきていた。 「それでは、菅原さん。また」 秋二は笑っていった。 「よければ、上海の店にも立ち寄ってください。また落ち着いてからになると思うけど」 「ああ、そうだな。しばらくそこにいるだろうし、休暇がとれたらそうしてみよう」 菅原は、そういうとにやりと笑うと、そのまま、手袋をはめた手で軍帽をきっちりと被りなおした。地味な色に映える赤い色が、若い彼の雰囲気に妙に合った様子だった。 彼はそのまま、外套を翻して歩いていった。それは妙に絵になる、軍人らしい歩き方だった。 そのまま、菅原少尉は、雪で白い街に消えていった。 そして、結局、秋二が菅原少尉を見たのはそれが最後になった。 その後、彼が上海に戻った時に人をやって調べさせたところ、菅原智明という二十すぎの少尉の戦死が確認された。おそらく、あの少尉は菅原智明という名前だったのだろう。 きいたところによると、菅原少尉は、周りを敵兵に囲まれ、銃弾の嵐の中、敵の放った手榴弾の爆発に巻き込まれて死んだという。勇壮な最期だったという噂だ。 「……剣術じゃあ、鉄と火薬には敵わないってそういうことかい、菅原さん」 だが、菅原が本当に死んだのかどうかは、今に至るまでよくわかっていないらしい。菅原智明少尉の死体も遺留品も何も残っていなかったという。爆風で飛ばされたと考えてもよいのかもしれないが、それにしても何も残らないのもおかしな話だ。ただ、混戦の中、爆音と共に消えた彼のことを、戦死とあつかっても何の不思議もないことである。いや、それが当然のことだろう。 『俺のことなど、急に消えてしまっても誰も気付かないだろうし、悲しむこともないだろう』 そういっていた菅原少尉の言葉が、不意に脳裏に蘇る。 そろそろ、暦の上では夏といわれる季節に入っていた。落ち着きを取り戻した上海の街だったが、以前とはどこか違う。それでも、また平然とした顔をしてやってくる日常に、一抹の危機感を忘れそうになる。 雪が溶け、太陽の光で白い町並みに、ふと菅原少尉の姿がよぎった。相変わらずの軍服に軍帽をきっちり被った彼は、ふとこちらを振り返ってにやりと笑った気がした。 (ああ、そういう風に消えてしまってくれていたらいいんだよなあ。どこか、違う世界にでも) そういうほうが、よっぽど救いがあるじゃないか。 秋二はそう思いながら、しかし、何故かほんの少し安堵したような気持ちになった。そんな不条理な、と思いながら、安堵してしまったその理由は、よくわからない。 菅原智明少尉の本当の生死は、いつまでたってもわからない。でも彼の場合だけは、そのほうがきっといいのである。彼にとっても、菅原にとっても――。 special thanks...かとりせんこ。様 一覧 背景:自然いっぱいの素材集様からお借りしました。 |
| 広告 | [PR] 花 紅葉めぐり わけあり商品 ヒートテック | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |