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「早川さんの見た日常」

 寒い夜、早川峰雄三十五歳は、会社の飲み会の帰りに、夜道を一人歩いていた。
 どこにでもあるような風景だ。目の前には、電化製品から重機まで直せるという機島機械店がジャンク品の鉄くずの中に埋もれるように佇んでいる。その隣には、魔風医院とかかれた看板があり、早川は見慣れた風景に少し安心した。ほろ酔いでいい気分だ。そろそろ家に近いし、早川はほっと息をつく。空の星が綺麗だ。
 だが、次の瞬間、早川の顔つきは変わった。人の気配を感じたのだ。なんだとばかりに振り返ったとき、痩せ型で背の高い人物の人影が見えた。
「ひっ!」
 早川は恐怖の声を上げ、思わず腰を抜かす。
 相手の正体を見極めようとしたが、人物の着ているものも黒く、夜に溶け込むようだ。だが、闇になれた目は、わずかな外灯の光で相手の容貌を判別してくれた。
 その相手の顔には見覚えがあった。
「ま、魔風先生じゃないですか。こんな夜にどうしたんです。」
 男はほっとした面持ちで彼を見上げた。魔風医院の医師、魔風竜之介に違いない。どことなく上品な顔立ち、ヨーロッパ系なのかもしれないが、そっと青い目をしている。真っ白な長髪は、肩で束ねられ、髭もよく手入れされている。人格者で、頼りになり、地域医療に身を入れてきた。人格と顔からか、ファンも多く、この地区の主婦達は一度は彼にときめくといわれている。
 だが、このときの魔風は、このときの魔風はいつもとは違った。
「ぬうう、遅い! 何をしておるのだ! 機島ッ!」
 魔風はそう唸り、前を向いているばかりである。おそらく、早川に声をかけられていることすら気づいていない。
 いつも白衣を着て、にこにこ朗らかに微笑んでいる青い目をしたホトケサマのような魔風医師とは違い、彼は真っ黒なマントに身を包み、ホトケサマどころか、悪魔のような目で闇を見据えているのだった。
「ま、魔風せんせ…」
「よっしゃぁああああああッ!」
 突然、奇声が夜の闇を引き裂き、早川はびくうっと肩を震わせた。魔風はその獣じみた叫びの主を探して、闇に目を走らせる。
 ざっざっ、と戦争映画の行進のような不吉な靴音を立ててやってくる人影が反対側から見えていた。
「おおう! 爺、待たせたなッ!」
 ちょっとだみ声気味の、威勢のいい声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。早川は、作業着を着て、眼鏡をかけた男を思い出した。
「き、機島(きじま)さん?」
 予想通り、現れたのは機島源太郎だ。機島機械店の店主である彼は、町内会の顔役である。だが、魔風と同じく、今日の機島の様子は違った。眼鏡が狂気じみた目を更に狂気じみて見せている。何か重い荷物を背負っているようだったが、作業着に帽子に眼鏡の機島にぴったりな言葉は「マッドエンジニア」ぐらいである。そこには町内会の顔役の男の面影は一切無い。
「ふっ、遅かったな機島!」
 そのとき、魔風が動いた。魔風医師は、黒いマントをゆらりと広げた。吸血鬼の映画でこういう場面を見たことがある。と、早川はふいに思った。
「約束の時間に遅れるとは、機島! さてはムサシの戦法だなッ!」
 魔風は黒いマントを揺らしながら叫んだ。対する機島源太郎は、軽く肩をすくめた。
「はーん、なんでえ、巌流島の決闘でも見たのかよ! 流行だからって急に時代劇づきやがって!」
「やっかましい、むかしからサムライムービーは、欠かさず見ておるわっ! これも文化理解のためじゃ!」
「アホかッ! 映画はSFが一番だっ! 次が西部劇だ!」
「何を言う! 日本に来たからにはやはりサムライムービーだ! この西洋かぶれがっ! ヤンキーは大人しくニューヨークに帰れ!」
「カーッ! 外人にいわれたかねえぜ!」
 なにやらわけがわからなくなってきた。ただ、早川がわかったのは、この二人の趣向が違う事と、仲が悪いらしいということである。
 ううう、と犬のような唸りを上げていた機島は、ふっと笑った。
「でも、正直、俺は嬉しいぜ、爺。」
「ほう、何がだ?」
 魔風は、いつもとは違い、やや尊大な態度で言う。そうするとまるで別人のようだった。
「長年の決着が今日こそつくんだ。」
「そうだな…。わしも嬉しいぞ。貴様とは不倶戴天の仲だ。同じ世界で共生することなどできぬ。」
 魔風はにやりとする。
「この魔王ドリアドルス=マカーゼルの手をこれほど焼かせたのは主が始めてよ。褒めてつかわす。」
「ほめられてもうれしくねえ! 大体今日のはなんだ!!」
 尊大な魔風の言い方に切れたのか、それとも元からテンションが高いのか、機島は、びしいッと指をさした。
「てめえのおかしな儀式のせいで、俺のマイコンの測定器がくるったじゃねえか! どうしてくれんだあっ?」
「おかしくないわッ!」
 魔風医師は、黒いマントをばさあっと広げた。
「あれは、わしが二十年の歳月をかけて編み出した禁断の秘法ッ…」
 いささか大げさな動作で魔風は両手を広げる。
「空気清浄魔法! これで排ガスなんか恐くないだ!」
「ははーんッ! そんなあほなもん、二十年かけてあみだしてんじゃねーよっ! ボランティアづいてんじゃないぜえっ!」
「なんだとおう! 貴様みたいな奴が、この星を汚しきっておるのだ! わしが天下をとった暁には、真っ先に粛清してやる!」
「くそ魔法に粛清されてたまるかーっ! 天下を取るのは、スーパー天才科学者のオレ様じゃいっ! かかってきやがれ、迷信野郎!」
 突然、機島源太郎は、特大のバズーカを肩に構えた。すでにこの時点で銃刀法違反であるが、急な展開とご近所の人々のおかしなやり取りに戸惑っている気の毒な早川にそれを突っ込む勇気は無い。
 バズーカらしいものの発射口に、どう考えてもやばそうな、奇妙な光が溜まっていく。
(え、えすえふアニメでこんなのを見たことがあるぞ!)
 早川は、ふと考える。たしか、アニメではこれを食らった街が一つ滅んでいたような気がする。
「とにかく、これ以上俺様の神聖な実験を邪魔されちゃ困るんだ! 爺、貴様には消えてもらう!」
「ぬかせえッ! 消えるのは貴様だ機島アッ!」
 急に魔風は両手を広げ、片手で印をきり始めた。その指先からびしいっと稲妻が飛び始めた。あり得ない状況に、まともな早川は首を振った。
「あ、ありえない。ありえない。ありえなさすぎる!」
 そうだ、酒だ。早川はついにそう思って現実逃避し始めた。
「そ、そうだ。俺は酔ってこんな夢を見てるんだ。ははは〜、俺って何て想像力豊かなんだ!」
 だが、そう思ったところで恐怖は終わるわけが無い。早川の存在に気づいていない二人の男たちは、もてる自らの力を全て使って相手を倒そうとしていた。
「いくぜえ! 爺!」
「こちらこそだぁ! 機島あっ!」
 機島源太郎のバズーカのトリガーに指がかかる。魔風は、口の中で呪文の詠唱を続けている。早川は勘のするどい男ではないが、彼らのいる方から飛んでくる妙なエネルギーの圧力はわかっている。
 と、不意にもう一人の人影が懐中電灯を持って現れた。高校生ぐらいの少年のようだ。
「そこまでそこまで。深夜にぎゃんぎゃんうるさいんだよ、二人とも。」
 エネルギー飛び交う中に、少年は平気で割って入っていった。
「むっ、こ、工兵!」
 機島は彼を睨みつける。現実を見ていない早川だが、その少年の顔は何となく覚えていた。機島源太郎の息子で、確か高校生の工兵だ。
 彼はため息を深々とついて、父の腕を容赦なく引っ張った。
「爺もオヤジもやめとけよ。もう、恥ずかしいだろ。」
「邪魔するな工兵! 俺は奴の息の根をとめねばならんのだっ!」
「あー、寝言は寝てから夢の中でいってくれよ。」
 工兵はため息をついた。
「魔風の爺も早くかえらないとミナコに怒られるぞ。」
「ちょ、ちょ、待て! コーヘイ!」
 魔風は不満そうに言った。
「これは、うぬの父とわしの神聖な決闘なのだ。今やめるわけには行かぬ!」
「そうだ、工兵手ぇ離せ!」
 工兵は、肩をすくめる。
「今日で五百回目の決闘だろ。いい加減にしてくれよ。近隣住民に騒音で訴えられるぞ。ホント、いい加減にしろよな。」
 そういうと、工兵は、源太郎のポケットに入っていたハンダゴテを素早く掠め取った。あーっ、と源太郎が非難の声を上げる。そのまま、工兵は家の中に逃げ込んでいく。よほど大切なものなのか、青い顔をした源太郎は、工兵の後を追って走り始めた。
「うおーっ! 俺の聖なる七つ道具の一つ返せーッ!」
「き、機島!」
 置いていかれた魔風を、源太郎はちらりと睨んだ。
「爺っ! てめえとの勝負はおあずけだっ! 首を洗ってまっていろ!」
「それはこっちの台詞じゃーッ!」
 反射的に言い返したものの、源太郎の姿は自分の家のガレージの闇に消えていった。
 ぽつんと残された魔風は、仕方なくため息をついた。どことなく肩を落としているようにすら見える。気の毒になり、早川は先ほどの現実逃避を忘れて声をかけようとしたが、急に魔風の肩が震え始めたのをみて、びくりと手を引いた。泣いているのかと思ったが、そうではない。ふつふつと湧き上がる笑みを押し殺すようにしながら、しかし、急に魔風は叫んだ。
「今日も勝負はつかぬか! 待っておれ、機島! 次こそが貴様の最期だっ! ふはーっはっはっは!」
 ばさっ、とわざとらしいまでの音をたて、魔風はマントを翻した。そしてそのまま、高笑いをしながら、魔風医院の門をくぐっていく。
 高笑いがとうとう消え、機島家からも聞こえていたどたんばたんという物音が消えた。
「な、なんだよ、今の…」
 ははっと乾いた笑みを浮かべながら、早川は改めて自分の姿を見た。酔っていない。酔いなどとうに醒めている。だが、目の前の事実を信じたくなくて、早川は、わざとらしく笑い声をあげた。
「ああ、俺って最低だな。こんなに酔って、こんな幻をみるなんて! は、早く家に帰ろう。それがいい。」
 ふらふらふらとくだけた腰でどうにかこうにか歩きながら、早川はそこを逃げるように立ち去った。


 ――早川はその後、二度と、魔風医院の前を通らなかったという。





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背景:NOION様からお借りしました。
©akihiko wataragi
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