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Kissinnger Canvas 一発目の弾丸 ベンジャミン=キッシンジャーの家は、レイア孤児院のそばにある。ちょっと小洒落たかわいらしい色彩の家だ。キッシンジャーは、そこに一人で住んでいて、昼間は絵を描いているか、ぼんやりしているかのどちらかのようだ。 ショウ=ロビンソンは、十二歳の少年で、レイア孤児院にいるのだが、キッシンジャーの家には、毎日のように彼が遊びに来ている。主に授業をさぼるのが目的だが、キッシンジャーは別にシスターに言いつけたりしないから、ショウも彼のことが好きだ。キッシンジャーといえば、別に特別かわいがっている様子は見受けられないけれども、彼がやってくると、よくお菓子とお茶を出してくれる。家族のいないショウには、そこはひどく居心地のいい場所だった。 家の庭には花壇がきれいに並んでいるが、キッシンジャーがまめだから、というよりは、レイア孤児院の若いシスターの、シスター・メイが、ほったらかしすぎのキッシンジャーを見かねて、花壇に手を入れたせいである。メイがうるさくいうので、キッシンジャーも最近は手入れをしているようなので、彼の努力によって保たれている部分もないわけではない。 さて、肝心のベンジャミン=キッシンジャーという男について、少々話をしてみなければならない。彼の本名は、ベンジャミン=ジャック=キッシンジャーというらしい。六十を少々過ぎたぐらいのすらりとして背の高い上品な男で、引退してこちらに数年前から住んでいるいう話だが、それでも、彼が実際、いつのいつからそこに住んでいるのか、ちゃんと覚えている人はいない。おまけに、彼が一体何を仕事にしていたのか、知る人もいない。いろんな憶測が飛んでいるけれども、結局どれが真実なのやらもわからないのである。 キッシンジャーというと、ちょっと上品な割りに二枚目な顔立ちなのだが、なんと言っても、この男の特徴は、表情が薄いことだ。とはいえ、無愛想というわけでもない。いつも、うっすらと笑っているようで、けれども、にやけているわけでもない。無表情とはいえないが、表情のよみにくい、感情の起伏が見えない顔をしていた。 白髪になりきらない薄い色のやや巻き毛の金髪を首の後ろで赤いリボンでとめて、ベレー帽をかぶっているのは、きっと趣味が絵で、自称画家だからだろう、と周りは言う。品のいい眼鏡の後ろにのぞくまなざしは、やはり表情が読みにくい。 ともあれ、そういうキッシンジャーだから、相手をさせられるほうは結構苦労するのである。主に、彼が何を考えているのか知るために。 「キッシンジャーさん」 シスター・メイは、今、キッシンジャーの部屋の中にいた。ちらかってはいないキッシンジャーの部屋は、それなりに居心地のよさげな雰囲気が漂っている。ふかふかのソファに座って、茶を飲みながら、キッシンジャーは涼しげに彼女を迎えた。まだ二十半ばほどのシスター・メイとは、それこそ親と子ぐらいの差があるわけで、傍目からみると、父親に説教をする娘を彷彿とさせる風景でもある。 「やあ、シスター・メイ。いい天気だね」 キッシンジャーは、そういって相変わらずちょっとだけ笑う。 「天気はいいですから、キッシンジャーさん。そこの少年をひっぱりだしてくれませんか」 「それはひどいご挨拶じゃないか、シスター。ショウならいないよ」 「思いっきり目の前にいるのに、平然と大嘘つかないでください。キッシンジャーさん」 メイはやれやれと言いたげな顔になった。ショウは、と、言えば、キッシンジャーのそばのソファーで涼しげにジュースをすすっているではないか。目の前に見えているのに、「いないよ」などと大嘘をつけるキッシンジャーの神経は、相変わらずよくわからない。なにせ、表情の薄い男だから、本気なのか冗談なのか、それすらもよくわからないのだ。 「だって、私は義理堅い男だからね。ミスタアとの約束をやぶるわけにはいかないもの」 「そうだよな。ベンはさすがだよ」 ショウはそういって、キッシンジャーを見上げてにっこりと笑った。ミスタアというのは、キッシンジャーがショウを呼ぶ言い方だ。ミスターと大人扱いしているようで、妙な発音でいうのは、きっと小僧呼ばわりされているのと同じなのだろう。 「あのねえ、キッシンジャーさん。ショウに余計な事を教えないでください」 「余計なことではないよ。信義とは、人間には大切なものさ」 さすがに口先ではかなわない。メイは、肩をすくめて、ショウを招いた。 「でも、今日だけは戻ってもらわないと困るのよ」 「なんで? 何かあったの?」 ショウはきょとんとした。メイは困った顔をする。 「この近くの少年院から一人少年が脱走したんですって。刃物をもって逃げているらしくて、だから、ショウには、うちにいてもらわないと困るのよ。私も先生たちから怒られてしまうから、今日だけはかばうわけにはいかないの」 メイにいわれて、ショウは、ええっと非難の声をあげた。 「ベンの家なら安全だよ。こっちにいたいんだけどなあ」 「だめ。キッシンジャーさんにだって予定があるの」 キッシンジャーには一言も予定などきいていないくせに、メイはそう決め付けて、ショウを無理やり連れ出した。しぶしぶ手を引かれるショウに、キッシンジャーは軽く手を振る。 「それじゃあ、ショウ。またおいで。エスケープとサボタージュには、いつだってスリルが大切だものね」 「キッシンジャーさん、そういうことを軽々しく言わないように」 メイは眉をひそめたが、キッシンジャーには、そんなささいなことでは相変わらず効果がないようだった。 二人がいってしまってから、ふと何かおもいついたようにキッシンジャーは腰をあげ、コーヒーを注いで、自分のアトリエ兼寝室に入っていった。かわいらしい家ということは、キッシンジャーの家は、それほど広いわけではないので、寝るのも油のにおいのする場所ということになってしまった。とはいえ、キッシンジャーは、リビングに毛布を持ち込んで寝ていたりもするので、別に彼本人が困ることはない。 描きかけの絵がのぞくアトリエに、コーヒーを持ち込んで、キッシンジャーはのんびりと一口すすってからそれを机の上に置いた。パレットの上には、この前使ったらしい絵の具が色々と残っている。絵の具の中には、鉱物の色が溶け込んでいる。時にちょっと有害そうな名前のついた美しい色が、無造作に転がっていて、ショウはそれがとてもきれいだといっていた。 それほど新しくないイーゼルには、風景をかきかけたキャンバスがかかっていた。空の青が真っ先に塗られていて、他はまだ白い。今の状態では、何の絵なのだかよくわからない。キッシンジャーの絵がうまいかどうかはよくわからない。ショウあたりにいわせると、まあまあだというし、メイあたりはどうでもよさそうな顔をしている。そもそも、芸術に興味がないらしい。 「さてと、たまにはまじめに……」 手を払いながら、筆をとろうとして、ふとキッシンジャーは首をかしげた。人の気配がしたような気がしたのだ。しかし、ショウが戻ってきたのではない。ショウなら、もっと元気よく入ってくるし、文句をいいながら入ってくるシスター・メイでもない。だとしたら……。 きい、とドアが緩む音とともに、誰かが中に入ってくる。 「私は来るものは、部屋の入り口ぐらいまでなら拒まない主義だから、鍵は開けっ放しなんだけれども」 キッシンジャーは、物静かに言った。相変わらず抑揚のない声に、焦りはない。 「そういう物騒なものを持ってくる来客は想定していなかったよ。これは困ったね」 キッシンジャーの目の端には、侵入者が持つ刃物の光がきらめいていた。いいや、刃物ではない。彼はナイフを持っていたが、今はそれをベルトに引っ掛けていた。キッシンジャーは、何気なく振り返った。 視線の先に、まだ二十歳には遠い少年がたっている。大人びたという感覚とはちがう、大人ぶった雰囲気と、荒んだ空気が漂ってはいたが、その奥からはあどけない未熟さがちらちらと垣間見えていた。 「金を出せ。持ってるんだろ!」 少年は開口一番そういった。興奮しているのか、それとも、走ってきたためか、息遣いが荒い。顔色もよくないし、疲れ果てたようにげっそりとしていた。けれども、少年の手には、黒い鋼鉄の輝きが合った。 「おや、それをどこで見つけたんだい? なくして困っていたんだよ」 キッシンジャーは、言った。そこにあるのは、キッシンジャーが、護身用にリビングの机の引き出しにおいてある銃だ。少年が探したのかと思ったが、そうでもないのだろう。そういえば、先ほど、雑誌を持ってくるときに、引き出しを開けっ放しにしておいたのを思い出した。 「ああ、整理整頓は大切だな」 キッシンジャーの、まるで少年など目に入っていないかのような態度に、彼はむっとした。 「何言ってる! てめえ、オレのいってることがわかんねえのか?」 「いっていることというと?」 「だから、金を出せっていっているだろう!」 ああ、そうか。と、一人納得したように、キッシンジャーはゆったりといった。妙にワンテンポはずしてくる相手に、少年は眉をひそめる。 「なるほどね。行き詰って金が入用になったっていうわけかい? ……けれども、私はけちじゃないけど、お金は好きなほうだから、そういう要求にはやすやすとはこたえられないな」 「つべこべ言うな! 金を出せっていってるだろう!」 少年は、憤りに任せて、銃を構える。撃鉄は起きているし、どうも撃ち方ぐらいは知っているらしい。キッシンジャーは、筆をキャンバスの横に置いた。 「それは命令かね?」 「当たり前だ!」 そうか。と、キッシンジャーは、何も考えていないかのような口をきく。だが、その次に彼が発したのは、明らかに挑発の意図を含んでいた。 「そういう生易しい言い方をするときは、Please(お願いします)をつけるべきだよ。何せ命令されているように聞こえないものだから」 「てめえ……!」 少年は思わずカッとした。銃のトリガーにかかった指がぴくんと動いた。 「オレを何だと思ってる?」 「Pleaseは?」 静かなキッシンジャーに、なぜかむやみに気おされる形で、少年は歯をむき出しながら叫んだ。 「てめえ、撃つっていってるだろう! 状況わかってるのかよ!」 「へえ、そうかい。それじゃあ、撃てるものなら……」 キッシンジャーは、一瞬の後、静かにつぶやいてわずかに微笑んだ。不気味に時が止まった気がした。 「撃てるものなら遠慮なくどうぞ」 少年の顔から血の気が一気にひいて、瞬間目の前が真っ赤になったような気がした。自然と構えなおした銃のトリガーをひこうと、指が勝手に動こうとする。 だが、少年は、銃を撃つ直前で思わず指を止めた。キッシンジャーと目が合ったのだ。緑の瞳はこちらを見ていたが、その眼鏡の向こうの瞳が先ほどとはまるで違う色をたたえているようで、ぎくりとした。緑色に彩られた虹彩が、すっと目を細めたときに、金色に光った気がした。一気に血の気が失せる。トリガーにかけた指が腕ごとだらりと力を抜かれて、下がる。冷や汗をかいて、うなるような少年に、キッシンジャーは近寄る。 すっと自然な動作でキッシンジャーが手を差し出すと、彼は思わずそれを手渡してしまった。とたん、キッシンジャーの指がすばやく動いて拳銃が回った。はっと気づいたときには、銃口が少年のほうを向いていた。 「おい、何をす……」 キッシンジャーは、少年の青ざめた顔をちらりとみやったが容赦する様子もない。そのまま、引き金を引いた。 パーンという、人生を決定付けるには軽すぎる銃声と、妙な違和感の後、 少年の髪の毛や肌に、何かがくっついてきた。思わず目を開けてそれを払いのけようとして、少年は驚いて目を見開いた。 「……か、紙ふぶき」 目の前には、色とりどりの紙ふぶきがばらばらと舞っている。銃口は煙を吹いていたが、おもちゃの火薬のにおいがした。キッシンジャーは、相変わらず、笑っているのかいないのかわからない笑みを浮かべた。 「賭け事で、大切なのは、ブラフだよ、坊や。学校じゃあ習わないだろうがね」 そのまま、彼は銃を少年の手に返すと、ふわりと身を翻して、遠ざかる。 「いっておくけれど、さっき、別に君をねらったわけじゃあないよ。照準はずらしておいたの、わからなかったみたいだから一応ね。私、そこまで外道じゃないから。で、まだ使うつもりかい?」 はっとして、少年は銃を投げ出した。そして、そのまま、振り返って走り出す。ドアを乱暴にあけ、大きな音をたてて去っていく少年の背を見送りながら、キッシンジャーは、のんびりと拳銃を拾って、ひょいとリボルバーの中を確認して、一言言った。 「ああ、やっぱりね。……危うく死ぬところだったじゃないか」 そういいながら、彼の言葉には一切の戦慄はなかった。 一覧 > → 画像:tricot様からお借りしました。 |
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