番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

ZEKARD−ゼッカード- 番外編

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written by 渡来亜輝彦
 「爺さん、なあ爺さんってば!」
 返事をしない相手を恨めしげに見ながら、この家の居候で十二歳のジャックは回転椅子を回した。相手は本に見入って、こっちを向きもしないのだ。
 ジャックの視線の先にいる男は、薄いブルーの瞳を書物に落としたままだ。あれは、古本屋で買ってきたものだ。電子テキストで読めばいいのに、彼は妙なところでレトロな趣味に走る。
 このラグレン=ファンドラッドは、不思議な男だ。ジャックも傍で見てきているが、この男の本性はまるでつかめない。職業軍人で、階級は准将。もっともこの准将は、彼が降格されて准将になっているだけという話だから、本来はもっと上にいたのだろう。士官学校の教官の経験があるだとか、戦争のとき参謀として活躍したとかいわれるが、今は左遷された平和な片田舎の将軍である。年齢は一応六十八歳らしいが、確かな事は分からない。天涯孤独で身寄りが全くといっていいほどいないし、過去も嘘と真実が入り混じりすぎてよくわからない。
 すらりとした長身で、長い白いひげをたくわえ、同じく白くて長い髪の毛はオールバックにして肩の下まである。どちらかというと整った上品な顔立ちで、切れ長の目が時々少し鋭く感じられる。どんなに柔らかな物腰でも、彼が軍人だと感じさせるのは、額から右目の下にうっすらと刃物による傷があり、右目がそれによって失明しているということだろうか。常にその右側の目に、ファンドラッドはブルーのカラーグラスの片眼鏡をかけている。
 普段はコートの下に軍服といったいでたちが多いが、さすがに休日は軍服など着ない。だが、どちらにしろちょっと洒落た服装をしているし、たまに香水をふってることもある。時々、少しだけ煙草のにおいをさせている。
 部下が彼のことを「閣下」と呼ぶのは、そもそも階級からなのだろうが、そうしたいでたちや経歴のせいでついたあだ名といえなくもない。実際は、あだ名に近いだろう。
 そんなファンドラッドは、今日はコーヒーを飲みながら、古本屋で買ってきたハードカバーの古い推理小説を読みながら、けだるい日曜の昼下がりを過ごしている。
「呼んでるだろ! 返事ぐらいしろよ!」
 さすがに無視できなくなったのか、ファンドラッドは鬱陶しそうにジャックを横目で見た。
「うるさい子だな。…読書してるんだから静かにしてくれないかい?」
「だって、暇だし。」
「友達と遊びにいってきなさい。それに、私のことは爺さんと呼ぶなと何度言ったら…」
 ファンドラッドは言いかけてやめた。どうせ、撤回してもらえる事は無いのだろう。
「…全く、鬱陶しい奴だね、お前は。」
 頬杖をつき、ファンドラッドはため息混じりにそういった
「あんたの話が聞きたいんだけど。」
「面白くないから、テレビゲームでもしてなさい。」
「いいや、オレはあんたの昔話がききたいんだよな。」
 食い下がるジャックに、ファンドラッドは「は?」とばかりに聞き返す。
「…私の話?」
 ジャックは好奇心の強い子供である。自分でもそう思っているし、多分他人にも思われているだろう。そして、今一番興味があるのは、このファンドラッドのことについてなのだった。彼がどういう過去をもって、どういう生き方をしてきたか。そこが一番気になっている。だが、ファンドラッドは面倒だという理由からか、あまり話してくれない。
「たまには、昔話とかしてくれたっていいだろ?」
 ファンドラッドを見上げながら、ジャックはつまらなさそうな顔をした。それを見もせず、彼は切って捨てるように言う。
「絶対いやだね。」
「なんだ、その言い方。」
 ファンドラッドは、冷たい様子で答えた。
「お前のねだる話は私の女性関係とかそういう話ばかりだから嫌だ。…大体、私は、そんな不埒な男ではないんだぞ。」
「へー、じゃあ、なんか女性関係で苦い思い出が?」
 と、言いかけて、ジャックは思わず身を引いた。というのも、ファンドラッドがにわかにジャックを睨みつけたからである。現役の職業軍人のファンドラッドに睨まれては、さすがにジャックも怯えないわけにはいかない。
「ご、ごめんなさい。…もう言いません。」
 こんな外見のクセに、キザなことばかり言うくせに、女の人に優しいくせに、ファンドラッドは妙に堅くて、色恋絡みの話は一切お断りなのである。その辺が、ジャックにはよくわからない。ジャックはまだもしかしたら、と思っているが、ファンドラッドに怪しい行動はないし、本当は女性全般が苦手らしいので、本当にいないのかもしれない。
 ファンドラッドは、再び読書に戻った。
「僕の過去なんか面白くないよ。はっきりいって、何のためにもならないしね。」
 ファンドラッドは、ハードカバーの古い本から目を上げた。
(また「私」と「僕」が混在してるよ、この人は…)
 よくわからないが、ファンドラッドは一人称がこの二つの間でころころ変わる。ジャックがわかっているのは、ファンドラッドは切れると「私」になるらしいということぐらいで、そのからくりはよくわからない。
 ジャックのそんな思惑にも気づかず、ファンドラッドは頼むように言った。
「…そんなことやってる暇があったら、外にいって僕の煙草買ってきてくれないかなあ。もう切れちゃってね。外に出るのも億劫だし。…君はどうせ暇なんだろう?」
「面倒だから嫌だ。大体あんたの煙草って、この辺に売ってないだろ。」
「家の人の手伝いをするのは、小学生のお仕事じゃないのかい? あれなら、自転車で三十分いったところに置いてあるよ。…往復一時間、暇人にとっちゃいい運動じゃないのかい?」
「子供に対するいたわりが感じられない!」
「私から言わせれば、年長者をもっといたわって欲しいんだがね。」
 ファンドラッドは、ちらりと顔をあげた。コーヒーカップを惰性で口に運び、もうないことに気づいて苦笑いしてから、ファンドラッドは机に足を投げ出し、頭の後ろで手を組んだ。相変わらず目だけは開いた本の内容を追っている。ジャックはそうっとその本のタイトルを盗み見た。
 ――『シェッツ急行殺人事件』。
(また推理小説か。)
 よくあきもせずにミステリーばかり読めるものだとジャックは、少しだけ感心した。ジャックにとっては、文字のある本自体面倒なのに、これ以上頭を働かせるなんてとんでもないことなのだった。
「また推理小説かよ。いっとくがオレはそれのオチ知ってんだからな〜! あ、そうだ! あんたに教えてやろうか!」
 最高の嫌がらせを思いつき、ジャックは得意げな顔になる。
「その小説の犯人は…!」
 ジャックがひときわ大きな声で、その名を上げようとしたとき、いきなり顔の横に、何かがとんできて、バーンと大きな音をたてた。飛んできたのは、本だ。ファンドラッドの手から本が無くなっていることを確認するまでもなく、彼が投げたものである。
 真っ青になっているジャックに、やたら愛想よく微笑みながらファンドラッドはゆらりと立ち上がる。
「ジャック…。推理小説読んでて一番どきどきするのってどこだと思う? 君がそうだな〜って思うところでいいよ。さぁ、……答えろ。」
 最後の「答えろ」がそれまでと違って、軍人口調なのがとてつもなく恐ろしい。ジャックは、自然と背筋をピンと伸ばし、こわばった顔で笑みを浮かべた。
「は、はい。誰が犯人かな〜ってところを突き止めたり、トリックを見破ったりするところだと思います…。」
 そのまま近づいてくるファンドラッドは、ひきつった笑みをうかべたまま、ジャックの頭をがっとつかんだ。
「じゃあ、意味はわかってるかな〜。僕は推理小説を君みたいに後ろから読むのが堪えられない口なんだよ。…わかるかな〜、ジャック君。」
「ご、ごめんなさい。もうばらしたりしません。本とです!」
「そう? 君はいい子だねぇ…。これからもいい子でいるよね? ジャック…」
 最後にとどめでも刺しそうな目で睨まれて、ジャックは凍りついた。口調があれなだけに、ギャップもあってか恐さは絶頂である。
「だ、だから謝ってるだろ!」
「…信用できないが……まぁ、私も鬼じゃないからな。…じゃあ許してあげよう。」
 ファンドラッドは、乱暴に手を離すと再び椅子に戻った。それから、ため息を一つつくと、頬杖をつきながら、まだどきどきしているらしいジャックをあきれたような目で見た。
「要は、今日は暇すぎて死にそうだから何か刺激が欲しいんだね、君は?」
「刺激? うんまあ、そういえばそうかな。」
 ジャックがとりあえず頷くのを見て、ファンドラッドは起き上がった。
「じゃあ、賭けをしよう。」
 彼はにやりと笑った。それから、机の横にあるパソコンをこん、と叩く。
「そのパソコンの中には、私のたいっせつな個人データーが入っている。だが、何度かお前が私に無断で起動しようとして失敗しているように、これは私しかログインできないようにパスワードが設定してある。お前がそのパスワードを破ってログインできたら、見てもいい。」
「え! いいのかよ!」
 ジャックの目がきらりと光った。
「ああ、お前の見たがってるような、私の士官学校時代の写真なんかもハードに収めてある。それも見てもかまわないし、お前が望むなら、一つ、昔話をしてあげよう。」
「初恋の話がいい!」
「それしかないのか、貴様は!」
 思わず地が出、ファンドラッドは慌てて咳払いをした。それから、少し歯切れ悪く、こう繋げる。
「ま、まぁ、は……初恋ね…、か、考えておく。」
柄にもあわず、彼が少しだけ赤面しているのは、ジャックとしては妙に新鮮だった。案外純情なのだろうか。まさか…。
「よーし! それのった!」
 ファンドラッドは、途端にんまりと笑う。
「待て、世の中、片方だけリスクを負うってのはおかしいだろう? それじゃあ賭けにはならない。」
「えー、じゃあオレ、何を賭けるんだよ?」
「まけたら、私に煙草を買ってくるんだ。お前のお小遣いで。」
「ええー! あんた吸ってるの、すげえ高価なやつじゃないかよ!」
「…おや、最初から負ける気か? 情けないなあ、ジャック君。」
 ファンドラッドが横目で、にんまりと笑いながら言った。
「やってもみないで敗北宣言するほど、君は臆病だったのかなあ?」
 これは罠だ。
 ファンドラッドがわざと挑発してきているのは、明白だ。それはジャックもどこかでわかっているのである。だが、わかってはいるのだが、ここで断るとファンドラッドに馬鹿にされたような気がして我慢ならないのだった。
「…どうする? ジャック?」
「おー! のってやるよ!」
 ファンドラッドがにっと笑ったのがわかる。
「そう? じゃあ、勝負しようか?」
 これは罠にはまった。と、ジャックも思うが、ここではひけない。ファンドラッドはジャックを手招きして、座っていた椅子をディスプレイに向けると電源を入れた。それから立ち上がり、ジャックを座らせる。
「で、でも、パスワードって…」
 急に不安になって、ジャックはそうっとファンドラッドの顔色をうかがう。彼は、楽しそうにその様子を見ながら、涼しげに言った。
「一つある意味を成す言葉を入れればいいんだよ。」
「言葉って。でも…。」
 大量にあるじゃないか、と、早くも不満そうなジャックの前で、ファンドラッドは手を開いた。
「まぁ、焦らない。焦らない。…何もノーヒントで解けといってるわけじゃあない。僕は君にそこまで高望みしちゃいないさ。」
 そういって、ファンドラッドは得意げに笑う。馬鹿にされた気がしなくもないが、とけないのは仕方が無いのでジャックはだまっている。
「ヒント。その言葉は、私の嫌いな言葉だということ。」
「嫌いな言葉?」
 ジャックは反芻して変な顔をした。
「あんた、パスワードにそんなの入れてるの?」
「ふん、好きな言葉や好きな花、食べ物なんかをパスワードに使うと、すぐにばれるだろう? だから、あえてネガティブなものを選んだのさ。」
 そういって、ファンドラッドは少し首を傾けて微笑んだ。
「それから二つ目。その言葉は、私が嫌いなのみならず、絶対に言われたくない言葉だということ。」
「絶対に? …ってそんなの。」
「強力な悪口を考えればいいんだよ。…悪口は得意だろう?」
 ファンドラッドは、壁に向かって右手で頬杖をつきながらにやにやしている。ジャックはムッとして彼を睨んでみるが、相手のほうが上手である。
「とっても簡単な単語だよ。ま、頑張って探してくれたまえ。」
 簡単にわかるわけがない。
(はめやがったなあ〜〜!!)
 ジャックは心の中で叫んだが、すでに時は遅かった。起動したコンピューターは、少し唸りをたてているし、ディスプレイはパスワードの認証画面を表している。
「制限時間は…どうしようかなあ。一時間で十分だろう?」
 ファンドラッドは、窓のさんに座っていつの間にか拾ったらしい本を再び広げている。
「一時間で終わるわけ無いだろ!」
「じゃあ、二時間だ。」
 ファンドラッドはからかうように言った。ジャックがふくれるのをみながら、ファンドラッドはこれ見よがしに笑う。
「わかったわかった。お前が降参するまでにしようか。なるべく早く降参してね。私も暇じゃないから。」
(覚えてろよ! くそ爺!)
 ジャックは、明らかに面白そうなファンドラッドにわからないように心の中でそっと吐き捨てる。すでに本を読み始めている。ジャックはあらためてディスプレイの中の、小さなスペースをにらみつけた。
「終わったら呼んでおくれ。」
 ファンドラッドが横から口を出す。ジャックはふっと不思議になってファンドラッドに訊いた。
「そういえば、なんで、傍にいるんだよ? 集中できないじゃないかよ。」
「お前が私を馬鹿にするような単語を入れないように監視するためだ。」
「自分がそういうキーワードをパスワードにしたんだろ!!」
 ジャックは不本意そうにファンドラッドをじっとりと見た。ファンドラッドは、推理小説ばかり追っていてジャックのほうを見ようともしない。
「まぁまぁ、そうそういうもんじゃないよ。お前がどうやって正解にたどり着くか見届けようと、いわばお前の成長度合いを見届けてあげようっていう心から出てるんだから。ねえ。」
 ぬけぬけというファンドラッドに、そろそろ怒りを覚えてきたジャックだが、反論すると恐いので結局黙って画面に向かった。
(絶対、見返してやる。見てろよ〜〜!)
 ジャックがカタカタとキーボードを打ち始めたとき、不意に電子音が鳴り響いた。ファンドラッドは、ポケットから電話を取り出すと、さっさとそれに出る。ファンドラッドに電話をかけてくるような人間は珍しいが、それだけに大体相手が読めるので、ジャックは余り気にしない。
「ん、…あぁ、私だが…。そうか…、わかったよ。じゃあ、すぐに行くから。」
 ファンドラッドは電話を切った。
「行くってどこ行くんだ?」
「ちょっと用事ができたんで、外に出てくるよ。」
「だったらついでに煙草買ってきたら。」
「それとこれとは別の話だ。賭けだからね。それに、どうせ行くところは、リュードル博士のところだし、方向が違う。」
 リュードルは、ファンドラッドの知り合いの科学者だ。ジャックもよく知らないが、ヘンな研究ばかりやっている人らしいことは確かである。興味津々に立ち上がってジャックは尋ねる。
「何の用だよ?」
「それは企業秘密。」
 冷たい言葉に不機嫌になるジャックを見て、ファンドラッドは言い直す。
「単に私のところに預けてた書類をもってこいとか言う事だよ。あの男、学問には完璧だが、どうも他のところには抜けてるからな。」
「ついでに弁当買ってこいとか言われそうだな。あのおっさん、ものぐさだもんな〜。」
「もう頼まれてる…。一時間ぐらいかかりそうだから、先にやっておいておくれ。」
「はーい。」
 ジャックは返事を返し、ファンドラッドがいないほうが気が楽だなどと思い始めていた。うーん、と頬杖をつきながら考えるジャックの横で、ファンドラッドはばたばたと用意をして、出かけようとしている。
「あ、そうだ。」
 扉から出ようとして、思い直したのか、ファンドラッドは不意にジャックのほうを見た。
「ちょっと不安だから、特別にもう一つヒントをあげる。その言葉をきくと僕はちょっと平常心を保てないぐらい嫌な気分になるんだよ。それほど、僕には危険な言葉だってこと。…じゃあね。せいぜい頑張りなさい。」
「それだけ?」
 ジャックは期待した以上のヒントではなかったので、不満そうにいった。
「そう、それだけ。君は、割と勘がいいからそれだけでも当たるだろう? じゃあ、僕は行くからね。」
 最後の一言は嫌味たっぷりだった。とジャックは思う。出て行くファンドラッドの背を横目で見送りながら、ジャックはこっそりと笑いながらこう吐き捨てる。
「馴染みの女のところに行くんじゃないの?」
 ぼそりと小声でつぶやいたジャックの頭の真上を、ハードカバーの本が通り抜けて壁に当たってぶつかっていった。青ざめるジャックの前には、すでにファンドラッドが、ひきつった表情でたっていた。
「…ジャック君。今、なんていったのかもう一度いってごらん?」
「え、えーっと…」
 ジャックはいいよどみ、苦笑いしてごまかそうとした。
「…す、すみません。ちょっと口が滑りました。」
「へえ、この口が、ねえ。」
 ファンドラッドはにっこりと笑いながら、ジャックの頬を軽くひねった。それから、きらりと目を光らせると、急に語調を変えて言い放つ。
「私はな、そういう子供らしくもない下世話な発言は大嫌いなんだよ! どうしてお前はそういう! お前が行動を改めないようなら、もとの場所に帰すぞ!」
「ご、ごめんなさい、言いませんってば! 言わないよ!」
 居候の身は辛い。ジャックは必死でファンドラッドに許しを請う。
「だから、送り返すのだけは勘弁してよ! オレ、ここにいたいんだよ!」
 ファンドラッドは、ジャックがかわいそうになったのか、それともジャックにあきれたのか、手を離すと少しため息をつく。
「…本当に! …今回だけだぞ! じゃあ、大人しくしてろ!」
 ファンドラッドはそう言い放つと、扉を乱暴に閉めて出て行った。彼の足音が消えてから、ジャックはちょこんと椅子に座りなおして、今更ながらにぼそりと文句を言うのだった。
「なんだよ、あの爺! ちょっと機嫌悪くなるとこれだから! 煙草吸ってないもんだから、余計短気になってやがる! 大体、あの面でどうしてやたらと純情なんだよ、わけわかんねえ。」
 とりあえずの危機は脱した。あとは、この目の前の問題を片付けて、なんとしてでもあのファンドラッドを唸らせなければならない。腕を組んで考えて、ジャックはため息混じりにつぶやいた。
「あの爺が言われて嫌な言葉…。ありすぎてわかんねえな。」
 正直な感想をポツリと漏らす。
 あれでファンドラッドは、妙に繊細なところがある。それだけに、言われて嫌がったり、気にしたりしている言葉は、手の指だけでは事足りない。
 うーんとあごに手を当て考え、やはり基本的なものから行こうとジャックは決める。
「まずはやっぱり『女たらし』とかだな!」
 ためしにカタカタとキーボードを打って入力してみる。と、いきなり、警告文がばっとディスプレイに広がった。ジャックは慌てて再起動させた。
 どきどきしながら考えてみたが、先ほどの警告文はファンドラッド自身が作成して仕込んでおいたものらしい。一瞬だけしかみなかったが、『ジャック、キサマ!』から文章が始まっていたからまず間違いないだろう。
「…やべーな、ある意味核心つきすぎちまった! さすがに読まれてたか。」
 再び浮かび上がる画面を恐る恐る覗くと、もう異変は見受けられなかった。ほっとジャックは胸をなでおろした。
(今のはパスワードじゃなく本物の『NG』ワードだったってわけだ…。しかし、そんなんを用意してるとは、結構爺さん細かいな。)
 だが、基本的に一番嫌がりそうな「女たらし」がダメだとすると、一体なんだろう。関連で『色男』とか『女殺し』とかもまず無理なわけだ。
「どうしようかなあ。」
 ジャックは考えて、拾われずに壁にぶつかって落ちたままの哀れなハードカバーの推理小説を横目で見た。
「…あの小説の犯人、…バリード・グラフィス…」
 だが、やはりダメだ。パスワードが間違っています、とのメッセージが出る。
(そりゃそうだよなあ。爺さん犯人知らないんだもんな。)
 選択のまずさにジャックはひっそりと苦笑いした。
「…えーと、…キザ野郎…、隠れ天然ボケ、一人称統一しろ…。ダメだ、違うよなあ。もっとわかりやすい言葉なんだ。一言ですまないと。」
 そうだ。そんなぐらいでは、そもそもファンドラッドの逆鱗に触れる事はない。彼が一番言われていやな、…我を忘れるほどに嫌な言葉は何だろう。
 先ほど、ファンドラッドは「平常心を失くすほど」といった。それは決して誇張ではないと思う。
 なぜなら、ジャックは一度か二度、そういう場面に遭遇した事があるからだ。 
「…これ、あんまり精神衛生上よくないな〜。」
 ジャックはため息をついた。
 ファンドラッドが言われていやな言葉は本当は一つ知っている。前に、彼がそれを言われた時の様子だって覚えている。
 ファンドラッドは、相手を睨みつけるようにしながら、真っ青な顔で黙っていた。だが、一言も発しなかった。握った右手の拳が小刻みに震えているのが分かった。ジャックがいなければ、ファンドラッドが相手をどうしていたかわからない。あの時彼が反論もせずに押しとどまったのは、ジャックに怒りに我を忘れたような自分を見せたくなかったからだろう。
「多分、…あれだ…。間違いない。」
 ジャックは、あごをなでる。
「……きっと…あれだ…。」
 だが、その単語を口に出す勇気はなかった。今度は怒られるかもという心配からではなかった。純粋にファンドラッドが気の毒な気がしたのである。
 簡単な単語だから、打ってしまえばすぐなのに、ジャックはなかなかキーボードを押せない。Sというキーを一度打ち、すぐに消してしまう。目の前のディスプレイでは、カーソルが点滅しながらジャックを待っている。
「…そんな事…あんたにいえるわけないじゃないかよ…」
 ファンドラッドが、あの言葉をどれほど嫌っているか、ジャックはよく知っていた。どんなに「お前なんか絶対に送り返す」などとつめたいことは言っていても、ファンドラッドはジャックを追い出したりしない。彼が自分のことをどう思ってくれているのか、正確にはわからないけれど、少なくともジャックはファンドラッドのことは気に入っていた。
 その彼に、あんな言葉を突きつけるのは嫌だった。いくら賭けとはいえ、そんな言葉を使うなんて何となく自分が許せなくなりそうだった。
「…違うよな…。これはやっぱりやめとこう…」
 ジャックはため息をついて、別の言葉を考えだした。


 実際は、一時間もしなかったのかもしれない。ファンドラッドはあっさりと帰ってきた。スーパーの袋をもっているのが、いかにも不似合いだが、こう見えてファンドラッドは家事全般がかなり好きらしい。
 扉をあけて、ファンドラッドはいつもの調子で声をかける。
「解けたか、ジャッ…おっと!」
 いつもと違うのは、いきなりジャックが飛び出てきた事だ。そのまま、玄関の方に走っていくジャックを見て、ファンドラッドは慌てて呼び止める。
「こら、こらこら、どこへ行くんだ? ジャック。」
「…いや、その…オレ…色々と、あんたの悪口いったから…」
 一応廊下で止まりながら、ジャックは少しうつむいてぼそりといった。ファンドラッドは困惑しきった様子で、彼のほうに歩み寄る。
「…な、何もそんなに暗くならなくてもいいだろう? 私が悪い事したみたいじゃないか。だいたい、私がそうしろっていったんだから、そんなに気に病まなくても…」
 いきなりそう出られるとは思っていなかったので、ファンドラッドも歯切れが悪い。
「だ、大体、お前は、いつも私の悪口ばっかりいってるから平気だと思ったし…」
「オレ、追い出すとか言わないよな?」
 さすがに不安になったのか訊いてくるジャックに、これはちょっとやりすぎたか、とばかりにファンドラッドは苦い顔をした。
(そんなに悪趣味だったかな…あの賭け…。僕としては軽いゲームのつもりで…)
 などといいわけじみた事をおろおろと考えたが、とりあえずフォローしてやらないとジャックがかわいそうなので、ファンドラッドは慌てていった。
「君みたいな奴を現状のまま社会に出すとえらいことになるし…、しばらくはおいてやるって何度も言ってるだろう?」
「そうか…。よかった。」
 いつもと違う様子に少し調子を狂わされながら、ファンドラッドはジャックの様子をうかがう。
「でも、なんだか、ずっと悪口考えてるのって、すげー気分重くなるんだな…。初めて知った。」
 ため息まじりに言うジャックに、渡りに船を得たような気がしてファンドラッドはほっとする。
「それは、一つの成長だね。うん、いい機会だったよ。」
 話がようやくまとまったところで、「で」、とファンドラッドは、思い切って話を変えた。
「解けたの? あれ。」
「…ぜ、全然。」
 ファンドラッドは、少しだけにっと笑った。
「じゃあ、種明かしをしようか。」
 ファンドラッドは、にやりとしてディスプレイに向かった。それから、パスワードを入れるスペースを一瞥すると、キーボードを打つ。
 N-O-S-M-O-K-I-N-G
「のーすもーきんぐ? は! ノースモーキング! 禁煙?」
 ジャックはあっけにとられたような顔をした。
 今まで落ち込んでいたのはどこへやら、一瞬にしてさっきの反省など吹っ飛んで、ファンドラッドに対する恨みつらみが頭をもたげてきた。そんなジャックに気づいてかどうか、ファンドラッドは、すでにいつもの調子に戻りながらべらべらと喋り始めた。
「どうもアレがないと落ち着かないんだよ。今、一番言われると辛いのが禁煙。喫煙者は肩身が狭いんだよね。まあ、仕方のないことだが…で…」
 ファンドラッドは、猫のように寝そべりながら流し目でジャックを見た。すっかりジャックは元のジャックに戻っていて、ファンドラッドに怒りのまなざしを向けている。それをみて、安心したファンドラッドは勝利宣言をすることにするのだった。
「…お前の負けだ。私に煙草を買って来い。あぁ、銘柄はここに書いてあるから。あとこれ委任状ね。一応未成年だし、あそこは顔見知りだけど、証明が要るだろうから。」
「ひ、卑怯だぞ! そんなもっと精神的ダメージの強いものだと思って…」
「馬鹿が。そんな精神的にダメージのある言葉を、毎回コンピューターを起動するたび、入力するなんてことを私がするはずないだろう? なんで、起動の度に精神ぼろぼろにならなきゃならん。」
 ファンドラッドは憮然とし、それから片方で頬杖をついた。ジャックは、不満この上ないといった顔で、彼を睨んだ、
「言われると平常心保てなくなさそうだっていったじゃんか!」
「ああそうだ。煙のことを引き合いに出されると、ちょっと平常心保てないほど、煙草が欲しくなるからな。」
「この中毒野郎! 卑怯者! 嘘つきっ!」
「はーん、心が痛まないね。そんな事いわれても。」
 ファンドラッドはちらりと、少し癖のある視線を投げかけてきた。
「さて、一度言い出したことは撤回しないのが君の美学だよな?」
 ジャックは、うっとつまり、悔しそうに相手を見てから扉のほうに歩き出した。素直にそのまま出て行くのかとファンドラッドが思ったとき、ジャックは不意に振り返って最後の反抗を試みる。
「今はな〜! ガキに煙草買いにいかせちゃいけねえんだぞ!」
「ふん、普段悪事ばっかりやってる奴が何を言う。今更いい子ぶるんじゃないよ。委任状持ってるから大丈夫だろう?」
 しれっとした態度に、ジャックは先ほど自分が真剣にあれこれ悩んでいた事が、ばかばかしくなった。こんな極悪な奴にどうして気を使ってしまったのだろうか。
「畜生! 心配したオレが馬鹿だった!」
「やっぱり自他共に認める馬鹿なわけだ。さぁ、いってらっしゃいジャック君。」
 ジャックは、精一杯悔しそうな表情を浮かべると、勢いつけてきびすを返した。
「絶対、復讐してやる〜〜!」
「やれるもんならやってごらん。」
 ファンドラッドは悠々と椅子にもたれかかりながらそんな事を言う。その表情に隙が無く、ジャックは渋々この場での負けを認めてしまった。
「覚えてろ〜〜!」
 ジャックは、言い捨てると、尻尾をまいて逃げ出すように扉から出て行く。それを勝ち誇ったまなざしで見送りながら、ファンドラッドは推理小説の本を手に取って膝の上で広げ、更に懐からシガレットケースを取り出した。
「…あいつがいると気になって最後の一本の煙草もすえない。」
 ファンドラッドはそういうと、シガレットケースから最後の一本を取り出して口にくわえ、ライターで火をつけた。ゆっくりたつ煙を見ながらファンドラッドはため息混じりにつぶやく。
「全く、あいつは私が気を使ってる事すら分かってない。」
 これでも、普段はジャックに副流煙をすわさないように気を使っているファンドラッドである。その辺りが、彼には理解されていないような気がするのだ。
「…でも、あの単語はいれてみなかったわけだ。ジャック。」
 煙をゆったりと吐きながら、ファンドラッドはつぶやいた。
「せっかく、チャンスをあげたのに…馬鹿な子だね。」
 パスワードは二つ設定していた。一つは彼が日常的に使うためのパスワード。もう一つは、中に入っている彼の過去に関するデータを引き出すためのパスワード…。本来の正解は「禁煙」などではない。
 ――お前みたいなスクラップに人の心なんかわかるわけがないんだ! この屑!
 ファンドラッドは、ジャックといるときにとある男から言われた言葉を思い出す。
「…そうだよ、ジャック。…答えは『S-C-R-A-P』でいいんだ。」
 ファンドラッドは、少し寂しげにため息をつきながらつぶやいた。それから、少し考え込みながら煙草をふかす。
「でも、遠慮したわけじゃないだろうし…、忘れてたのかね、あの子は…。それとも、遠慮するなんて良心が残ってたのかな…。」
 そうつぶやきながら天井を見ていると、ふいに次のような疑問が頭をよぎった。
 自分はもしかしてジャックを試していたのだろうか。ジャックが、それをパスワードに使わない事を期待していたのではないだろうか。
 ――それであえてあの言葉を使って賭けをした?
(まさか…)
 ファンドラッドは、苦笑を浮かべ、たち上る紫煙を見た。
「冗談じゃない。」
 彼は立ち上がり、窓の外を見る。ジャックは、外に出て近くに落ちていた空き缶を蹴っていた。まだ怒り収まらずといったところである。
「…仕方ない。」
 ファンドラッドはそれを横目でみながら楽しそうに笑った。
「今日の夕飯はあの馬鹿の好きなものにでもしてやるか。」
本編情報
作品名 ZEKARD−ゼッカード-
作者名 渡来亜輝彦
掲載サイト 幻想の冒険者達
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / 連載中
紹介 左遷された軍人のファンドラッドは、別件で少年と少女を同時に預かる事になってしまう。ところが、少女がある秘密を握っているその日から狙われる羽目に。ファンドラッドはジャックとそれを調べる事になるのだが…。
 謎の青年や組織の出現に、ファンドラッド自身の謎。少女が握る「Z-E-K-A-R-D]の秘密とは?

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