Zekard・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第十八話

 道をひた走る黒い自動車。一見ただのバンに見えるそれであるが、中には様々な武器が仕込んであった。
 操縦者は男である。メーターの緑の光で男の顔はほんのりと青みがかっていた。いや、理由はもしかしたらそれだけではないのかもしれない。男自身、そもそも真っ青に青ざめていたのである。
 男はぶつぶつとつぶやいていた。
「あいつは人間じゃない! あんなやつ…!」
 男は心の中の恐怖を吐き出すかのようにしゃべり続ける。
「なんて奴だ…。俺たちの仲間にはライカンスロープもサイボーグもいたって言うのに。なんだ、あいつ!」
 あの金髪の若造…ラグ=ギーファスとか名乗る青年が、最後の二人を相手にしているのを男は見ていた。今回は、いわゆる人体改造を受けた特殊な戦闘員が何人か加わっていた。それでずいぶんと安心していたのに、それを簡単にあの若造はねじ伏せてしまったのだ。
 その後のことはわからないし、連中がどうなったのかも知らない。男は恐怖に負けて、一人逃げ出してしまったのだった。
「あぁ、…もうだめだ。…ダメだダメだ!」
 こんなことになったのも、うっかり組織になんかにはいったせいだ。きっかけは些細なことだった。友人に誘われて何となく、彼はこの組織の活動に加わってしまったのだ。最初の理由はなんだったか。今となっては、どうしてここにいるのかもわからない。そうだとも、自分はもっと実直に生きていたはずじゃないか。どこで道を踏み外したものやら。
 今までの自分の行動を振り返りながら男は逃げる。仲間を見捨てて逃げたのだから、組織にも切り捨てられるかもしれない。
 と、そのとき、こんこん、と窓ガラスを叩く音がした。びくっとして、後ろを見る。だが、外に人がいる気配はない。ガラスの向こうは森と、それから明るい月だけである。
「な、なんだ、…空耳か。」
 ははは、と男は乾いた笑いをわざとらしくあげた。そうでもしないと、正気をたもっていられそうにない。
「そ、そうだよなあ。誰がこんなところに…」
 いいかけた男の耳に、がちゃりという音が聞こた。後ろからの風に髪の毛を遊ばれ、男は慌てて後ろを見た。
「うわあ!」
 鍵があいていたのか、後部のドアが開いていた。しかも、そこにコートを着た人間が風に激しく吹かれながら片足を車内にかけている。男は色を失った。
「無用心だねえ。鍵ぐらいかけたら?」
 そこにいるのは、片眼鏡こそかけていないが、紛れもなくあの男だった。翻っているしろい長い髪も、あの青い瞳も、上司から示された説明にあった、あの男のものである。
「ぎゃああああ!」
 思わず叫ぶと、ファンドラッドは鬱陶しそうな顔をする。
「あーうるさい子だねえ。あまり大声をあげるんじゃない。」
 ファンドラッドはぱたぱたと、手を振った。
「ジャックといい君達といい、まったく、士官学校の教官に逆戻りしたような気分だ。」
 ファンドラッドはぽつりといいながら、後部座席に腰掛けるとドアを閉めた。
「ど、ど、どうやってここに!」
 男が泣きそうな声で叫ぶように聞くと、ファンドラッドは風で乱れた髪の毛をなでつけて直しながら答えた。
「どうやってって? …そんな野暮な事はきくもんじゃないよ。…走ってきた、といったら驚くだろうな? ん?」
 ちら、と、ファンドラッドはからかうような笑みを見せる。
「…今のは嘘だがね。それにしても、ずいぶんな驚きようだな。失礼な…。何となく不愉快だな。」
 ファンドラッドは軽く肩をすくめ、車の中にあった上等の紙巻煙草(シガレット)の箱を無断でとると一本失敬した。
「君のか? ずいぶんと高いものを吸ってるんだな。健康によくなさそうだがねえ。」
 そういいながら、勝手にそれをくわえて自分のライターで火をつける。一回吸い込んで、ふうっとさもうまそうに煙を吐きながら、ファンドラッドは流し目で相手を見た。
「……味もなかなか上等。…さすが『本物』は違うな。周囲の健康に気を使ってる私には久々の味だよ、全く。」
「な、何のようだ。」
 震えながら聞く男に、ファンドラッドは別に脅すような口調でもなく、まるでタクシーの運転手にでもいうように、煙草はくわえたままで言った。 
「…君達のアジトまで連れて行ってもらいたいんだがねぇ?」
「な、な、なにわけのわからねえ事を…」
「うまく口が回っていないな。もっと落ち着いたらどうだ? 君も一服するかといいたいところだが、そんな余裕もなさそうだな。」
 ファンドラッドは、足を組んだ。
「何も無理な事を頼んでるんじゃあないだろう?」
「無理な事だろうが!」
 男がやけ気味に叫ぶのを見て、ファンドラッドは肩をすくめる。
「君は物分りがいいほうだろう? 違うのかい? 僕は君が物分りが一番よさそうだからこうやって話を持ちかけに来たんだよ?」
 ファンドラッドは、煙草を指に取った。
「き、貴様、…どういう…」
 傍目にも真っ青になったまま、男はファンドラッドのほうをうかがう。わざと不安そうに首をかしげて、ファンドラッドは言った。
「私のほうばかり見てたら危ないだろう? 崖だぞ。」
「うわあっ!」
 慌てて前を向いた男は、反射的にハンドルを切った。ファンドラッドの言ったとおり、もう少しでガードレールに接触するところだった。このスピードでぶつかれば、間違いなく崖下まで直行してしまう。
 危険を回避して、脂汗をかいている男に、ファンドラッドは煙草をふかしながら言った。
「ははは、僕としゃべるときは、前を向いたままでかまわないよ。気になるのならバックミラーでも見たまえ。なぁに、後ろから撃つなんて無粋な真似はしないさ。」
「…く…。」
「で、君は、僕をアジトに連れて行ってくれるのかな?」
 ファンドラッドは、一見のんびりとした口調で言う。
「…まさか、「断る」なんて無粋な事はいわないだろうね。君は物分りがいいんだから。」
 実質的に脅しているのだが、こういうときのファンドラッドは信じられないほど愛想がいい。むしろ、女性に言い寄るときのような口調だった。だが、それは所詮うわべだけの事である。
 男は、バックミラーにうつるファンドラッドの目が、油断なくこちらをみているのに気づいていた。冷たいブルーの瞳は、口調とは裏腹に、精密な機械のように男の動きをくまなく監視しているように見える。
 ファンドラッドは、少し目を細める。
「よーく考えてごらん。君一人が死んだところで、組織は何もしてくれやしないよ。それに、見たところ、そんなに忠誠心があるようにはみえないし。」
「う、うるさい…。お前を案内なんかしてみろ、オレの方が…」
「おや、敵前逃亡は罪にならないのかい、君の組織?」
 ファンドラッドはしなだれかかるように、前の席に身を寄せた。
「君のやったことは、立派に敵前逃亡だろ? 君だけは仲間がやられたのを見て、すぐに逃げたよねえ? 私を案内しても消されるかもしれないが、もしかしたら、あの時点で下手すると…」
「う、うるさいっ!」
 ファンドラッドは、震える男に誘惑するような声色でささやきかける。
「取引しないか? お互いが幸せになる方法で。」
 いやに甘い声だ。それが却って恐ろしくて、男は怯えきった目でバックミラーをうかがう。ファンドラッドはちょうど煙をふーっと、ゆっくりと吐き出したところだった。薄水色の目が、暗い中で妙に光って見える。
「…君の命も自由も保証してあげよう。だから、僕を連れて行ってくれないか?」
「い、命と自由を保証? そ、そんなこといって、オレを騙すつもりだろ?」
「疑うのかい? 嫌だな。人間素直なほうが好かれやすいって言うだろう? 君はどう思う?」
 とん、と肩に手をかけられて、男は飛び上がった。ファンドラッドは、それに興味がないと言いたげに、のんびりとした口調でこう続けた。
「今すぐ地獄に直行するのと、道案内して何とか助かるのと、その両方をはかりにかけてごらん。どちらが君にとって得なのか、損なのか……」
 男は、喉を鳴らした。まるで悪魔と取引を交わしているような気分だ。
「う、嘘はつかないんだよな…」
 真っ青になりながらもう一度確認する。ファンドラッドはくすりと笑った。
「ああ。嘘はつかないよ。…君が約束さえ守ってくれたら。」
 それから、後部座席へともたれかかってこういった。
「しばらく時間をあげよう。ゆっくりと考えたまえ。」
 山道にはもう人気はない。助けを呼ぶわけにもいかない。承知すれば組織に殺される。だが、断ればこの場でこの男に殺される。男が少しでも長生きするためには、この悪魔の取引に乗らなければならなかった。
 沈黙が続く。ファンドラッドは後部座席で、余裕の表情で喫煙している。紫の煙を透かすようにして、そ知らぬ顔で――まるで先ほどの取引など忘れたような顔で、窓ガラスを通して月を眺めている。
 わからない奴だ、と男は思った。冷酷なのか、優しいのか、無謀なのか、慎重なのか。おおよそ見当などつきようがない。先ほどの言葉が嘘なのか本当なのかもわからない。ただ、ファンドラッドがすぐに彼に危害を加えるような気はしなかった。どこかしら不均衡な感じがして、危険ではあるものの、見境がないような感じはしなかった。ひとまず、信頼はできそうである。それにすがるしかなかった。
 男は、ごくりとつばを飲み込み、それからもう一度ファンドラッドの様子を覗き込んだ。やがて、彼は決心したように前を向いた。
「…わ、わかったよ。あんたを信じよう。」
 男は、震える口で何とかそう告げた。ファンドラッドはにっこりと微笑んだ。
「賢明な判断だ。」
 ファンドラッドは、一本目の煙草を吸い終わって灰皿でつぶし、いつの間にか二本目をくわえていた。


 司令室では、レフトを初めとして、オペレーターたちがじりじりとしながらディスプレイを見つめていた。画面には倒れた戦闘員と、もはや原型をとどめていない乗り物が散乱していた。飛び散るガラス片の道路の上に、すでにラグの姿は見当たらない。
「…全滅のようです。あのラグ=ギーファスの姿は見当たりません。」
 オペレーターの沈んだ声に、レフトはため息をつく。
「もういい。監視所はどうなっている?」
「はっ、それが…」
 オペレーターは、言いにくそうにレフトの顔色を伺った。
「かまわないから言ってみろ。」
「第一監視所は、ギルバルト=クラッダーズによって突破されたようです。すでに第二監視所から増援要請がでています。」
 レフトは、うむと唸る。渋い顔をしたものの、彼は冷静に指示を下した。
「仕方がない。予想外のこともあるが、クラスBの戦闘集団を召集して投入しろ。」
「了解しました!」
 女性が答え、すぐに行動に取り掛かる。
(何者だ。…あんなにあっさりと突破するとは…)
 レフトはあごをなでる。いくら相手が工作員だったとはいえ、特殊戦闘員を簡単に伸してしまうなど考えられない事である。
(ドレンダールさまに報告しておくか…)
 レフトがそう思い歩き出した瞬間、突然別の通信士が、声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 上のものに聞く!」
 彼は、インカムを外してレフトのほうを向いた。
「レフト様!」
「どうした?」
 レフトは慌てて、部下のほうにむかった。繊細そうな通信士は、何事かレフトに小声でささやく。
「…わかった、つなげろ。」
 レフトに言われ、通信士はこの部屋のスピーカーへと繋げるボタンを押した。
『…つながったかな? 通信士君…? ああ、繋がったらしい。やあ、諸君、お初にお目にかかる。』
 これ以上、ふざけた声は無いようなファンドラッドのおどけた声がスピーカーから響く。
『私はラグレン=ファンドラッドだ。…職業はプライベートなので勘弁してもらうよ。もっとも、君達は知ってるんだろうがね。』
「どこからの通信だ?」
 レフトは、そっと通信士に尋ねた。
「逆探知をしていますが、どうやらラグ=ギーファスに襲撃した部隊の車内の無線からのようですが…」
 通信士が報告している間も、スピーカーから声は流れ続けた。
『時間がない。不躾だが一方的にしゃべらせていただこう。そこにお姫様と小汚い従者がいるんだろう? 二人とも迎えにいくから、着飾っておいておくれ。もちろん、大切に扱ってくれているんだろう? なにしろ、お姫様なんだから。』
 そこから、急にファンドラッドは声を下げ、暗く威圧感のある口調になった。
『…誰でもいいが、上役が聞いてるんだろうな? そういう想定で私はしゃべっている。一度しか言わないからよく聞け…。取り引きの話だ。』
 レフトは、声に聞き入りながら、何か背筋がぞくりとするのがわかった。
『シェロルを探したって、モノは出てきやしないさ。…私が持っているんだからな。いい加減、あの子から聞き出すのは諦めろ……』
 嘲笑うような音が、かすかに混じる。
『諦めの悪い奴は嫌われるぞ…。それにな、…使いのものにいっておいただろう? 私は取り引きは現金取引しかしない主義だ。二人を少しでも傷つけてみろ…、私はアレを粉砕して、ただの黒い粉にする。それから、貴様らもだ…』
 声だけにも関わらず、そこには冷え冷えとした冷徹な視線が感じられる。
『最後に一つ確認しておこう。』
 ファンドラッドの声が、ひときわ沈んだ。
『私は、別に貴様らがどう行動しようが、本来私の知ったことじゃない。私は正義の味方を気取るつもりはないんでな。貴様らを取り締まるのは私の役目でもない。むしろ、私が手をだしてはいけないのかもしれないがな。……ただ、ことがあの子たちに向かうのならば話は別だ。だから、あの子達に危害を加えでもしたら、私は一生かけて、貴様らを地獄の果てまで追い詰める。それだけのことだ。私を攻撃するのなら別にかまわないが、あの二人に指一本触れるんじゃない…。いいな…。』
 それから、ファンドラッドの声は、突然元のように明るくなった。ふざけたような、明るく弾けた声である。逆にそれが、彼の言葉を余計皮肉に聞かせた。
『…まぁ、堅い話はこれで終わろうか。もし、それ以外の方法がお好みなら、こっちにも考えがあるよ。僕から奪いとるって言う方法だがね。そうだ! 二人に手を出さない代わりに、全力で私を殺しに来てもいいよ。今までみたいな中途半端じゃ無理だというのは言わなくてもわかってるだろうからね。…それじゃあ、後々お目にかかろうか。どんな展開になるかは、僕は分からないが、また会えるのが楽しみだよ、諸君。』
 ぷつん、と通信が切れた。
「切れました。」
 通信士はいい、スピーカーへの接続を切った。
 首を洗って待っていろ、とはファンドラッドは言わなかったが、その語調からはそうした挑発が感じられた。突然、室内は静まり返り、まるで雷でも落ちたように誰も動かない。冷たい思い沈黙が、室内の空気をよどませる。
 どれだけたったかはわからないがしばらくして、ようやく呪縛がとけたかのように、レフトが口を開いた。
「…仕方があるまい。ドレンダール様に指示を仰ぐ。あの方の心労を増やしたくはないのだが。」
 それから、彼はつけたした。
「奴はここに来る。……守りを固めろ。」
「はっ!」
 通信士は敬礼し、あわてて持ち場について早速接続をはじめた。
 レフトはため息をつく。
(本当に何者だ。あの男は…。いいや、あの男たち、は…)
 ラグレン=ファンドラッドにラグ=ギーファス…。そして、ギルバルト=クラッダーズ…。特に前者二人は、正体があまりにもつかめない。二人の関係も、二人の能力も経歴もである。
「油断をするな。…奴は、こちらを冷静に注視している。付け入る隙をつくるな!」
 レフトは、静かにそういってから、司令室を後にした。後ろに、警備員らしい男が従った。
(なんとかしなければならない。特に、ラグレン=ファンドラッドを…)
 レフトは、廊下の突き当りを睨みつけながら、心の中で打開策を模索していた。


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