Zekard・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第十九話

 葉の間からコンクリートの建物が見えていた。一見古い廃ビルのように見える大きな建物は、直接目には見えないながらも最大の警戒が払われているのがわかる。正面玄関の窓の隙間に、監視カメラが潜んでいるのは、かろうじて彼の目からみてもわかるほどだった。
 木の陰に潜みながら、ファンドラッドは後ろの男に目配せした。彼から取り上げた何本目かわからないシガレットをふかしながら彼はいった。
「お前はもういっていい。…一時間後にギルシア空港から飛ぶ飛行機のチケットだ。今日中に逃げれば、おそらく足取りはつかないだろうし。」
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
 心配そうな男に、ファンドラッドは軽い笑みを見せた。
「安心しなさい。これから、連中はそれどころじゃなくなるよ。脱走者の一人や二人、追いかけてる暇があると思うかね?」
 いや、これからそういう状況になる。
 ファンドラッドは、そういい、男が遠慮がちに後退するのを見る。さっさと逃げたほうが身のためだ。と、いうような視線を送ると、男は一瞬びくっとしたようだった。それから、急に振り向いて走り出した。かなり遠くに車を止めてある。そこまで見つからなければ、あの男は無事に逃げられるだろう。そして、ファンドラッドも別に彼の邪魔をする気はなかった。
 それにしても…と、ファンドラッドは思った。
「ずいぶん面倒なことになったものだ。」
 建物の前で、最後の煙草をふかしながら、ファンドラッドは考える。このまま戦い続ければ、彼自身も平穏ではいられない。平穏なのはいやだといっていたくせに、何もない日々がいとおしいという気持ちも湧いてくる。
(何をいまさら。…もう後にはひけないくせに。)
 彼はそういい、自分を冷笑する。
(それに、お前がのぞんだことだ。…こういう時、戦っている時だけが、私にとっては…)
 ファンドラッドは、灰を落とし、苦々しさと歓喜を同時に含むような笑みを浮かべた。
「…生きていることを実感できる瞬間じゃないか。」
 自分でいっておきながら、わずかに彼は顔をしかめた。立ち上る煙に視点をあわせながら、彼は星空を見た。
 月の明るい光を縫って、わずかに星が頼りなげに瞬く。無事でいられる保証はない。彼自身、自分でわかっている。敵がもし自分の秘密を知ったとしたら――
(何を恐れている?)
 彼は一歩足を進めた。ガラス玉に色をつけたような淡い青の瞳を閉じ、彼はおもむろに顔をあげた。月の光が明るい。ファンドラッドは、目をあけた。
「宿命を信じるわけじゃないが…逃れられないものだな。」
 そうつぶやく。手を離し、前にこぼれた最後のタバコがアスファルトで踏みしだかれた。ファンドラッドは、もう茂みから飛び出して、建物に向かっていた。
 月の光のもと、しかし、そこは木陰だ。ファンドラッドは、影の中に身を潜ませたまま、正面玄関から横の窓を割った。入り口にいた連中が、一斉に持っていた重火器のトリガーをひいたのがわかった。


 ジャックが散らかした資料が、床一面に散乱していた。さすがにちらかしすぎたかな、とばかり、ジャックは周りを眺めたが直す気などこれっぽっちもなかった。
「何の不正も怪しい記載もない決算報告書と、電話番号もメールアドレスも書いていない、イニシャルだけの連絡網ねえ。自分で書けって事だな、これは。なんか面白くねえな。」
 ジャックはぼそりと呟いて、持っていた紙をそのまま、はらりと床に落とした。
「これじゃ、なーんにも面白いことがないじゃないか。スクープにもならない。」
 誰にも話していないが、ジャックはジャーナリストになりたいと漠然と思っていた。その為に、何かと真似事のようなことをしたがるが、なかなかうまいねたにありつけないものである。いや、最もうまいねたにはありついたのだが、あれを公表することは自分の首をしめることになるのでできない。
 ファンドラッドの「弱み」をつかんだけれども、それをそのまま発表できないジャックは、ほんの少しだけファンドラッドと記者としての自分の将来の間で板ばさみになっていた。きっと発表すれば、ちょっとは得になると思うのだが、それにしても、そうすれば、ファンドラッドは間違いなく破滅する。別に恨みはないし、そこまではしたくないのだが……。
「いっそ職業軍人のFさん、とかで公表しちゃおうかなあ。…いや、職業軍人てのはさすがにばれるよな。」
 などと、ぶつぶついいながら、ジャックは立ち上がった。狭い倉庫では、もうこれ以上、遊びようがない。
「あー、暇だ。そろそろ爺さん、迎えにきてくれないかなあ。」
 などと、口走ったとき、いきなりドアが開いた。慌てて居住まいを整え、入ってきた男にジャックは愛想笑いをした。散らかしたことをとがめられでもしたら大変だ。
 だが、急に後ろから少女がぱっと飛び出した。
「あ! ジャック君!」
 シェロルは驚いた様子で、ジャックを見ていた。ジャックが、いぶかしげに、しかし鋭く男を見ると、彼は軽く肩をすくめた。
「上からの命令だ。五分、時間をやるから、何かしゃべっておきな。」
「五分〜? けち臭いな!」
 ジャックは、二人まとめて始末される様子ではないので図に乗って文句をいう。その様子を男は憎らしげに見ていった。
「まったく、かわいげのないガキだ。…五分だ。」
 そういって、乱暴に出て行く。シェロルは、不安そうにそれを見てから、そろそろとジャックのほうに歩み寄ってきた。
「まったく、女の子にはもっとやさしくしろってえんだよな!」
 ジャックは去った男に小声でそうはき捨てた後、シェロルを迎えた。思いのほか、シェロルは落ち着いた様子だったが、驚いたまま、ジャックを見上げた。
「ジャック君もつかまってたの?」
「…あはは、ちょっとドジを踏んじまってだな。あ、でも爺さんは大丈夫だから、その内に助けにきてくれるよ。」
 自分の希望的観測であるので、ジャック自身、助けにきてくれるかどうか、いまいち自信はなかったが、ここはファンドラッドを信じることにする。
「そうね。閣下さんなら、きっと助けてにきてくれるわよね!」
 シェロルは、にっこりと笑ったが、すぐに不安げに目を伏せる。
「でもね、あたしが喋らないと、みんながどうかなるって脅されてるの。」
「喋らないと?」
 ジャックは、ふと気づいて、ポケットの中のウサギのぬいぐるみを握った。
「…それで、オレと五分喋らせてくれたの? あいつら?」
「そうなのかもしれないわ。『状況をみて、考えなさい』って言われたの。それで、きっと。あたしが喋らなきゃ、ジャック君…。でもね、お父さんの研究について話せって言われても、あたし、あの時、もっと小さかったから何も知らないの。」
 といって、シェロルが心配そうな目をする。ジャックはふうんとうなった。
「なるほど。卑怯な手ェ使いやがって。」
 独り言のように呟いて、それからジャックは思い切ってウサギのぬいぐるみをポケットから出した。もちろん、あの黒いカード状の物体は、ジャックの別のポケットの中に取り出してしまってある。
「あ! それ!」
 シェロルが、少しだけうれしそうな顔をする。
「落としただろ。オレ、拾っといたんだ!」
 ジャックは得意げな顔をして、シェロルにそれを渡した。シェロルは、顔をあげてはしゃいだ様子でジャックを見た。
「ありがとう! これ、とても大事なものなのよ。とても気に入ってるの!」
 ジャックは、少し声をひそめた。
「あのな、シェロル。ちょっと大事な話なんだ。声を小さくしてくれるか?」
「うん。わかったわ。」
 シェロルが頷いたのを確認して、ジャックはそっとシェロルにささやいた。
「このウサギ、誰にもらったんだ? 爺さん?」
「ううん。これは、誕生日の日にお友達にもらったのよ。」
 シェロルは少し変な顔をした。
「今思い出したんだけれど、実はね、これをもらったときは変だったの。…もらったばかりでお父さんが、かわいいからちょっと貸してくれって。」
「貸してくれ?」
「そう。今度作るマスコットロボットのデザインの参考にしたいって、そのまま研究室に持っていったの。次の日、すぐに返してくれたんだけど。」
 ジャックは、ハッとしてシェロルに聞いた。
「…あのさ、それ、他の人には…」
「話してないわ。だって、軍隊でもこっちでも、このぬいぐるみについて訊かれてないから。訊かれたのは、両親にもらったものについてだったし、それに、今の今まで忘れていたの。」
 シェロルの話を聞いて、ジャックは納得したとばかりにうなずいた。
(そうか、じゃ、ゼッケルス博士はその時にシェロルのキーホルダーにあれを忍ばせたんだ。…確かに小さいし、爺さんですら気にとめてなかったもんなあ。)
 不意にシェロルが、ジャックの服の袖を引っ張った。不安そうに、彼女はジャックを見上げる。
「ジャック君。あたし、色々話してくれって言われたんだけど…。今の、話さないほうがいいよね? でも何を話したらいいか分からないし、もし話さなかったらジャック君…」
 シェロルが不安そうにジャックを見上げる。ジャックは、小さな声でこうささやいた。
「カンケーのないことを適当にしゃべってれば大丈夫だよ。」
「でも…。」
「大丈夫だって。少なくとも、オレは滅多なことじゃやられないし!」
 今のは見事に強がりだ。ジャックは、不安を押し殺すようにして更に言った。
「あいつらにやられるほど、弱い男じゃないもんな!」
「ジャック君は強いのね。」
 シェロルが尊敬さえ混じった眼差しでジャックを見た。そういう目で見られたのは初めてなので、ジャックは少し得意になる。
「そうだぜ! だから、シェロルちゃんも困ったらオレを頼ってくれよ!」
「うん! そうするわ!」
 シェロルがそういったとき、無情な音を立ててドアが開かれた。
「時間だ。」
 意外と几帳面なのか、男が時計の秒針を気にしながら入ってくる。そういって、シェロルの手をつかんだ。それが痛かったのか、シェロルは顔をしかめる。
「嫌がってんじゃねえか! もうちょっとぐらいいいだろ!」
 ジャックは男に飛びついたが、あっさりと振り払われた。ジャックの名をシェロルが呼んだが、男は無理やり彼女を連れ出そうとする。
「お前はしばらくそこでいろ!」
「オレだけなんで倉庫なんだよ!」
「お前はそこだ! 死にたくなければ黙ってろ!」
 ジャックの不平などに聞く耳をもたないで、男はそのままドアをぴしゃんと閉めた。また一人、狭い部屋に閉じ込められてしまい、ジャックは大きくため息をつく。そして、ふと、ポケットに手をやり、先ほどあったものがなくなっている事を思い出す。
「しまった!」
 ジャックは真っ青になった。
 シェロルにウサギを渡したままだ。実は最後に、返してもらう予定だったのだが、先ほど男がいきなり入ってきたので、タイミングを失ったのだった。
 あれがもし見つかれば、ウサギの背の破れ目から、そこに何かが隠されていたことが予想がつくだろう。そして、それがジャックが渡したものだとわかったら、きっと、ジャックが「あれ」をそれから取り出して今持っていることも……。
「じ、爺さん……」
 ジャックの声はわずかに震えていた。
「…オレ、今度こそマジでやばいかもしれないよ…」
 不安そうに天井を見上げても、外の様子すらわからなかった。ジャックは、その場に座り込むと、一条の希望だけをたよりにして待つしか他はなかった。

 
 部品が飛び散った。どうやら、相手は全身機械だったらしい。その数体と渡り合っていたファンドラッドは、その最後の一体の残骸を観察した。動く砲台のようなロボットで、カニのように平べったいボディをしていた。だが、大きさは人二人分ほどあり、熱線を放射する。
「…遠隔操作だな。」
 ファンドラッドは、ロボットの中の受信機らしいものをみて言った。つまりは、ラジコンと同じだ。遠隔操作式のロボットなら、かなり高性能なものができていた。これは、そこまで高性能とは言いがたいが、数で出られると強敵である。
 事実、ファンドラッドもいくらかダメージを負っていた。左手をかばうようにしているし、顔の右側を押さえていた。そっと手を離し、ファンドラッドは左手の様子を確かめた。
 左手の指には、金属製らしい装甲が皮膚の下からのぞいている。さっき、熱線がかすったときにやられたものだろう。
 感覚はまだあるし、動きも悪くない。ファンドラッドは、黒い手袋を出してそれをはめた。
「…ギルバルトは何をしてるんだ。…ちゃっかり足止めをくらって…」
 彼はため息をつきながらいった。
(どうせあいつは暴れたいだけだしな。)
 わかっていることを追求しても仕方がないので、彼はきびすを返して先に進むことにした。ジャックのいるところだけはわかる。まずは、ジャックを助ければ、シェロルについても知っているかもしれない。
「下か…」
 前にエレベーターが見える。そこにさっと駆け寄り、ファンドラッドは扉を無理にこじ開けた。突然、風が吹き上がり、彼の髪を揺らす。エレベーターホールから吹き上がってくるものだ。暗い闇が下に広がっているが、ぎぃぎぃと音を立てているケーブルの動きが、どうやら下に向かっているらしい事を伝えている。
「…派手にやるのは好みじゃないんだが…」
 ファンドラッドはいい、少しだけ笑みを浮かべる。ある種の凶暴さを抑えたような、独特の微笑だった。
 そうして、彼はエレベーターホールの闇に身を躍らせる。コートと髪が、空中で広がった。
 どん、と何か天井で音が鳴った。狭いエレベーターの中にいた二人の戦闘員は、お互い顔を見合わせる。
「何だ?」
 さぁ、ともう一人が答えようとしたとき、天井の一番薄い部分の板が、強い力で歪んだ。がしゃあんとライトが割れ、暗闇が訪れる。天井を踏み抜いた足とともに、何者かがそこから降りてきた。悲鳴と物音が交錯する中、エレベーターは揺れながら下降する。
 ようやく、エレベーターがそのまま目的の階についた途端、扉が無理に力でこじ開けられるように急速に開いた。そこから、するりと間をすり抜けるように、ファンドラッドはコートをなびかせて飛び出した。中では二人の戦闘員が、床にぐったりと伸びている。
「いたぞ!」
 背後で誰かが叫んだ。弾丸の雨が後ろから飛んでくるが、ファンドラッドは知らぬ顔でまっすぐに走る。
「チッ! しつこい連中だ。」
 ファンドラッドは舌打ちし、そのままダッと走った。後ろから戦闘員が追いかけてくるが、彼には追いつけず、逆に距離を離されるばかりである。最短コースを選びながら、ファンドラッドはすっとコーナーを曲がった。
 そこは階段だった。前方から走ってくる完全武装した五人ほどの戦闘員と出くわす。慌てて彼らが銃を構えたが、ファンドラッドはそのまま手すりに手をかけた。
「お先に失礼!」
 ファンドラッドは、にやりとするとこちらに向かってくる戦闘員をかわして、階段の手前の手すりを飛び越え、そのまま、下の階の踊り場まで飛び降りた。かなり高いにも関わらず、綺麗に着地し、そのまま素早く下へと姿を消す。
「しまった!」
 小隊長らしい男が舌打ちする。 
「…あの年の人間の動きじゃありませんよ。あれ…。」
 若い戦闘員が横で言った。
「やはり、生身じゃねえな。あの男。」
 誰かが後ろで言う。
「生身じゃないのは俺達も同じだろうが。」
 ヘルメットを深く被った、どこか獣じみた男がそういって冷酷な笑みを浮かべた。
「今度こそ本当の地獄に叩き落してやる!」
 そういって彼らもまたあとに続く。
 階段の下から、ファンドラッドのものらしい、高い靴音が聞こえていた。


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