第二話
「優しい人だと良いんだけれどなあ。」
まだ十歳になったばかりぐらいのシェロルは、不安と期待の中でそっと足を駅のホームに下ろした。大陸を突き抜ける超高速列車の流線型の車体が見える。駅員代わりのアンドロイドがぎこちなくアナウンスをしていた。人間そっくりのアンドロイドは、星と星とを渡る船が出来ても、尚成功していないらしく、こういういかにも機械らしいアンドロイドが主流である。
シェロルは辺りを見回した。駅のホームで待っているといった。
(ロートンおじさんが言うには、確かおじいさんだって言ったけど)
シェロルは、迷った。出迎えに来ているものには老人が多かった。一体誰なのだろう。
身内のいなかったシェロルを引き取ってくれたのは、ロートン=ゼッケルスという遠縁の軍人だった。とても優しい人で彼の優しい妻と一緒に彼女の面倒を良く見てくれたのだが、今回栄転してしまって宇宙ステーションのほうに赴任する事になってしまった。とてもいいポストについたらしく、ロートンがその時、小躍りして喜んでいたのを覚えている。だが、問題が生じた。どうも、シェロルは連れて行けないらしいのだ。彼とその妻の分しか、宇宙へ行くためのパスポートが降りなかった。理由がなにやらあるらしかったが、ロートンとその妻があまりにも申し訳なさそうにしているので、シェロルは訊かなかった。そのロートンが、言ったのだ。
『私の元上司の将軍が、君を預かってくれる事になったんだよ。七十前ぐらいの人だ。』
悪い人ではない。とロートンは付け加えた。だが、優しいとも言わなかったので、シェロルは不安だった。
「将軍さんなら、きっと恐い顔の人よね…。確か、名前はファンドラッドさん。」
シェロルはそう思い、恐い顔の人を探す事にしたが、該当しそうな人が居なかった。途方にくれて、彼女はおろおろと立ち尽くした。
(もしかしたら、来てくれないのかもしれない。)
送っていこうかというロートンの言葉を振り切って、一人で来た事が急に後悔された。
その時、ふと目の前に影が落ちた。
「失礼。」
顔を上げると随分背の高い人が立っていた。しろいヒゲとまっしろな髪の毛が目に付く。
「マドモアゼル・シェロル・ゼッケルスはあなたかな?」
目の前にいたのは七十前ぐらいに見えるおしゃれな紳士風の男だった。長くてしろい長髪を肩ほどに伸ばし、綺麗に整えてある。男の右目には、深い青のカラーグラスで作られた片眼鏡がはまっていた。いわゆる整った顔つきで、随分と上品に見えた。背が高く、すらりとしていて、背はしゃんと伸びている。しろい長いヒゲも丁寧に手入れされていて、まるで何か物語の中の登場人物のようにも思えた。
ただ、あまりにも想像していた人間とかけ離れすぎていて、シェロルは彼が笑いながら「マドモアゼル・シェロル・ゼッケルスはあなたかな?」と訊いたとき、本当に驚いてしまった。まさか、自分を迎えに来た軍人の老人というのが、こんな風な紳士風だとは思っていなかった。
「あ、あなたが?」
というと、ファンドラッドはにこりと微笑んだ。
「…お初にお目にかかります。」
と、まずはじめる。
「私は、ラグレン=ファンドラッドと申します。以後、お見知りおきを。」
男は、古風なお辞儀の上、気障にいうと、彼女の右手をとって手のひらにそっと口付けのまねをする。シェロルは初めての体験に、ちょっと照れたり、妙にうっとりとした気分になってしまいながら、相手を観察してみた。どうやら、本当にこの人がファンドラッドらしい。
「ファンドラッドさん。…は、はじめまして。シェロル=ゼッケルスです。」
小説か何かで読んだ、昔風の礼をするのに、シェロルは着ていたスカートの端をちょっとだけつまんだ。それをみて、ファンドラッドは満足そうに微笑む。
「…なかなか礼儀を心得ているねえ、シェロル。」
そういうとファンドラッドは、シェロルのスーツケースを受け取った。そして、手をさっと差し伸べる。
「さぁ、おいで。私がエスコートしよう。」
にっと彼は笑った。
「はい。」
シェロルは応えると、ファンドラッドの後をついて歩いていった。
ファンドラッドはさっと自動車のドアを開け、シェロルを招き入れる。彼女を助手席に座らせると、自分は運転席に座ってすばやくエンジンをかけた。年甲斐もなく、スポーツモデルのやけにカッコいい車は、この男の趣味の一つに車があるらしい事を示している。
「あなたは、…軍人さんだって聞いたけど」
シェロルは、目をぱちくりさせながら訊いた。
「まぁね。そうじゃないというと、うそになるねえ。」
くすくす笑いながら、ファンドラッドはハンドルを切る。
「そうは、見えないわ。まるで、貴族の人みたい。」
「そうかね?あぁ、それはほめ言葉かなあ?マドモアゼル・シェロル?」
ファンドラッドはそういいながら、片眼鏡をわずかにずらす。少しだけ、ガラスの奥の瞳に光が映されていないのがわかる。わずかに細い切り傷のあとが見られるので、そのために失明したのかもしれない。
「うん、とっても素敵だと思うわ。でも、軍人さんも普段はこんな格好をするのね。ずっと軍服だと思ってたの。」
「ちゃんと制服も着てるけどねえ、今日は非番なんだ。あぁ、正確にいうと、毎日一回顔を出せば、もう非番も同然で……。プライベートじゃ、あんな堅苦しい服は着ない主義なんだよ。なんていうか、僕の好みのデザインじゃなくてね。」
「ファンドラッドさんはとてもおしゃれなのね。」
「嬉しい事をいってくれるね。マドモアゼル・シェロル。」
ぬけぬけというファンドラッドの横顔をまじまじ見つめながら、助手席のシェロルは柔らかに微笑んだ。
「……よかった。」
「?」
予測がつかなかったので、ファンドラッドは首を少しかしげ、シェロルの目をのぞく。
「うん。ファンドラッドさんがとてもいい人みたいで良かったって思ったの。」
「そうかい。お気に召すといいがね、僕の事。」
根性が曲がっていると周りから言われるファンドラッドだが、自覚しているだけにこうも純粋に言われると少し戸惑ってしまうものである。あったのかどうかわからなかった良心だが、このときばかりは少し痛いような気がする。
はっと、思い出したようにシェロルは顔を上げた。
「…ねぇ、…あたしは、あなたの事をなんて呼べばいいのかしら。“ファンドラッドさん”は、やっぱり一緒に暮らすのにおかしいかしら。名前で呼んだほうが良い?」
「そうだなぁ、好きなように呼べばいいけどね。ファンドラッドは呼びにくいだろう?」
「…ごめんなさい。そんなつもりじゃないのに。」
シェロルが申し訳なさそうな顔をするので、ファンドラッドは優しく微笑む。
「いいんだよ。何を隠そう、僕が一番長い名前に苦労してるんだから。普通に呼んでも良いよ。」
「普通?って…おじさんとかお爺さんとか?…でも、ファンドラッドさんってなんだか、おじさんとかお爺さんって呼んじゃいけないような気がするわ。だって、そういう感じじゃないんだもの。」
「あはは。それはありがとう。僕も、そういう風に言われるのは好きじゃなくてね。まだ、心は青年のつもりだから。」
冗談なのか本気なのか、ファンドラッドはそういいながら尋ねる。
「それで、じゃあ、ファーストネームで呼ぶかね?」
「そうね。じゃあ、ラグレンさん…。」
「あぁ、でも何かひねりにかけるかな?あまりおもしろくない。」
ファンドラッドはふむと片手でヒゲを撫でた。
「じゃあ、閣下でいいよ。」
ファンドラッドは穏やかに微笑んだ。
「閣下?」
「…と、ゼッケルス君、あぁ、君のおじさんからは言われてるんだがね。…あ、こう見えても僕は准将なんだよ。うっかり、上司のスキャンダルをすっぱ抜いちまったものだから、一気に左遷されちゃったがね。君も口には気をつけたほうがいいなあ。口は災いの元というからね。」
ファンドラッドの長い髪の毛が微かに揺れた。爽やかな風のような香りがする。香水でも使っているのかもしれない。
「うん。そうするわ…。えっと、閣下…さん…。」
シェロルは何気なく“さん”をつけてしまった。思わず間違えたので、シェロルは恥ずかしそうにするが、ファンドラッドは、逆に穏やかに微笑んだ。
「…あはは、その言い方はあだ名っぽくていいねえ。じゃあ、僕の事はそう呼ぶことにしようか。気に入ったよ、マドモアゼル・シェロル。」
「うん。わかったわ。じゃあ、そうよぶね。」
シェロルが満足そうに微笑むのをみて、ファンドラッドは、少々ゼッケルス少佐に対する評価を改めた。
(ぼけっとしているくせに、しっかりいい子に育ててるじゃないか。まぁ、半分は、嫁さんが良かったんだな…。仲人した甲斐があるってもんだよ。)