Zekard・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第三話

 ファンドラッドは、葉巻に火をつけながらサインしたての書類を机の端っこに寄せた。タバコというのも色々ある。二十世紀からあれほど健康にどうのと言われてきたのもあり、今はすっかり害のないタバコもどきがタバコとして扱われていた。ファンドラッドが吸っている葉巻もそんな「タバコもどき」の一つだった。彼の場合は、周りの健康に気遣ったものだったが、無味無臭に近いし、タバコの要素をなしていたものはほとんど入っていないので、雰囲気しか味わえない。しかし、どうせ小道具としてそれを使っているファンドラッドにとっては、煙が出るだけで十分である。
ドアがノックされる。
「入って良いよ。」
 ぼけっと応えると、がちゃりとドアが開いて女性士官が紙袋を抱えて現れた。この地方は本当に平和だ。訓練や演習のある時ならまだしも、何もないときの仕事などほとんどない。なので、勤務中に多少の怠慢は許される。というより、司令官が許しているのだから、もう、それは仕方がない事なのだ。
「閣下。…頼まれてきたものを買ってきましたが。」
 女性士官が、戸惑い気味に紙袋を渡した。その紙袋は、街で少し評判のケーキ屋のレース柄のかわいらしい模様が入っていた。
「プリン・ア・ラ・モードは売り切れでしたから、ティラミスで。」
「あぁ、ありがとう。それでいいよ。ケイテッドくん。」
 もともとわけのわからない上官が、この前からもっとわけのわからない方向に走りつつあるのを彼女らは知っていた。やたら頼まれるものが少女趣味なのだ。ぬいぐるみや人形、挙句の果てにはかわいいワンピース…。それを大事そうに抱えて家に帰る当の司令官は、独身でしかも天涯孤独の身であるらしく、プロフィールの家族欄に何も書かれていない。女性と付き合っている気配もなければ、孫も子どももいるはずがない。そもそも、彼の住まいは、軍の基地内にある宿舎であり、そんな事をすれば一発でわかるのだ。
 それに、この将軍に暖かい家族がいるとは、思いたくないのである。それが不似合いなほどに不気味、でもあるのだった。何とも得体が知れないし、そんな日常から何となくかけ離れたイメージがある。
(左遷されてとうとうおかしくなったのかしら。)
 彼女が疑うのも仕方がない。ただ、彼自身は相変わらず妙に気抜けした顔で、書類にサインをして職務をさっさと終わらせるのみなのである。今も、そう、葉巻を気障にふかしながら、妙に暇そうな顔をしているだけ。
噂によると中央では名前の通った、危ないぐらいの切れ者だったらしい。それが、こんな閑職に堕ちたのだから、相当ストレスもたまっているに違いないと思われた。もっとも、本人はあくびをして執務室に定時刻までいれば、すぐにささーっと帰ってしまう。それから何をしているのか、ケイテッドは一切知らなかった。何か危ない趣味にでも走っているのだろうか、この閣下。
「ケイテッド君。」
 ぎくりとケイテッドは、肩をすくめた。当のファンドラッドが不可思議そうに彼女を覗き込んでいる。
「どうしたのかね?」
「あ!はい!申し訳ございません!ぼーっとしてしまいまして!」
 ケイテッドは苦笑と冷や汗を交えながら、首を慌てて振った。
「いや、それはいいんだが。」
 ファンドラッドは立ち上がり、近くの冷蔵庫にそっとケーキの袋を入れた。
「あ、そんな事は私が…!」
 ケイテッドは、先程の事もあり、どうにも気まずく思ってそう声をかけてみると、案外気のいいところもあるファンドラッドは、笑って首を振った。
「気にする事はないさ。君にはお使いを頼んじゃったしね。」
 ああそうだ。とファンドラッドは思い出したように付け加え、くわえていた葉巻を指に挟んだ。
「…そういえば、例の『ゼッカード』というものはどういうことなのかな?」
「ゼッカード?」
「ZEKARD…だったかな。最近、巷で…といっても一部の裏世界だが、有名なあれだ。軍部にも警察から協力要請が来ているだろう?…軍内部にそれを扱っているものがいないかどうか、調査しろといってきた。」
 ケイテッドがわずかに顔色を変えた。
「ご存知だったんですか?」
「きみが隠したわけじゃないだろう?別に責めはしないさ。」
 ふと、ファンドラッドの見える方の左目が冴えたような気がした。
「僕には言うなと上部から命令されてるんだろう?ふん、どうせそんな事ぐらいお見通しさ。」
 そういって、ファンドラッドは、頬杖をついた。左目が、猛禽のような光をたたえて細められる。いきなり、何か瞳の後ろに殺気のようなものが見えたような気がして、ケイテッドは震え上がった。
「も、申し訳ありません!」
ケイテッドが頭を下げ、軽く肩を震わせる。自分に視線が向けられているわけではないが、恐ろしかったのだ。この准将が。
 ファンドラッドは、いきなり相好を崩し、右手を振った。
「あぁ、謝らなくていいんだけどね。上官の命令には絶対だろう?僕も経験があるからな。まぁ、仕方がないさ。平和も四半世紀つづいたぐらいから、軍人は徐々にだらけてくるもんでね。」
 ファンドラッドは、再び葉巻を口にくわえた。
「戦争中は、やや暴走することもあるし、平和になったらだらけすぎる。どっちもどっちだね。上層部の腐敗なんて、今更聞き飽きた話だろう?驚く事も何もありゃしない。それに踊らされるのは常に下っ端だ。…仕方ないよ。顔をあげなさい。ケイテッド。」
恐る恐る顔を上げたが、当のファンドラッドは別に怒ってもいなかった。
「話しを戻そう。しかし、警察も軍も、ゼッカードが何なのかよくわかっちゃいない。あるものは新しいクスリだといい、あるものは、コンピュータウィルスのプログラムだという。そう、わかっていないんだ。そこで…」
 にこりとファンドラッドは不可解な微笑を向ける。
「ケイテッド君。…僕にその情報を調べてくれないかい?」
「じょ、情報をですか?」
 こくりとファンドラッドはうなずく。右手で頬杖をつきながら、うっすらと微笑んでいる。何を考えているのか予想がつかない。
「あぁ、安心しなさい。もし、上に咎められたなら、僕に脅されたといえばいいよ。」
「は、はぁ。し、しかし、どうやって調べれば…」
「何でもいいよ。……少しのヒントでもいいから、じわじわ調べておくれ。」
 一体何を考えているのだろう。
 だが、この男の心の中など見えるはずもない。想像してわかるようなものなら、一々困りはしないのだ。ここまで乗りかかった船なら、逃げようも無い。ケイテッドはうなずいた。
「わかりました。」
「うん。…まぁ、そんな恐い顔する事も無い。なにもわかんなかったらそれでいいよ。…これはね、半分、僕の…そうだね、趣味のようなものだからさ。」
 ファンドラッド自身は、妙に陽気にそういうが、ケイテッドはそんな彼の陽気さがうわべだけのもののような気がして、何かぞっとした。
 おりよく、その時ノックが響いた。
「いいよ。」
 ファンドラッドがいつものように言うと、がちゃりとドアが開き、少し冴えない感じの青年が現れた。
「…閣下。お客さんが来ていらっしゃいますが?」
「…男性、女性?どっちかね?嫌な奴なら会わないよ。」
 青年は妙な顔をした。
「女性ですよ、むしろ、女の子です。学校帰りに拠ったとか言ってますが…いたずらでしょうか?」
「早く言え!」
 珍しくファンドラッドは怒鳴ると、慌てて立ち上がった。葉巻をあっさりと灰皿に押し付けると、高級そうなそれを見返りもしない。やたら高い音のなる軍靴をせわしなく響かせながら、ファンドラッドは歩いていく。
「シェロル=ゼッケルスと名乗っていなかったか?」
「はい、そのようには…」
 目を丸くしながら、ファンドラッドについて歩く。
「今度から私の執務室に直接通しなさい。」
 不機嫌なのは珍しい。焦る将軍など滅多に見た事がなかった。
 待合室のベンチに少女が座っていた。ファンドラッドを見かけると、少女は彼のほうを見て、花のように笑ってこちらに走ってくる。
 ファンドラッドは急に表情をかえて穏やかに微笑んだ。
「やぁ、シェロル。今日は早かったね。」
「うん。ごめんなさい。お仕事中に。」
 元からやけににやついている男であるが、ファンドラッドは異様に優しい微笑を浮かべた。不気味そうに部下が遠巻きに眺めている事ぐらい、ファンドラッドは気づいているようだったが……。
「…でも、今日は、どうしてもお話があって。」
「何かな?」
「あのね、明日学校で写生会があるの。でも、絵の具がなくて。…あたしが、自分で買いに行こうと思ったんだけど、お金もなくて…。」
「何だ、そんな事かい?あぁ、大丈夫。後で一緒に買いに行こうね。どうせ、今日の仕事はあと少しで終わりだ。お姉さん達に遊んでもらいなさい。」
 などと適当な事を言って、ファンドラッドは後ろからついてきていたケイテッドを振り返る。
「か、閣下。私は仕事が…」
 明らかにこまっているケイテッドを見て、ファンドラッドは笑いながら言った。
「じゃあ、ほかに誰かいるだろう?頼むよ。」
 適当な、あまりにも無責任にファンドラッドはそういって、ぽんとシェロルの頭をなでる。
「いい子にしていなさい。シェロル。」
「はい。閣下さん。」
 にこりと純粋に微笑み、シェロルは大きくうなずいた。

「さて、残りの仕事を仕上げなくちゃな。」
 ファンドラッドは自分で言いながら、少しうんざりとした気分になった。どうせサインを書くだけのことなのだ。単純な作業は、妙に頭を疲れさせる。自動サインマシーンなどがあったらいいのに、と途方も無い事を思いつきながら、それでもシェロルをあまり待たせてはいけないなあと考える。
「お孫さんですか?」
 と青年が聞いたので、ファンドラッドは笑いながら彼を小突いた。
「おいおい、私に伴侶が居ない事を知ってるんだろう?」
 その目の奥の何かが隠れていたので部下はびくうと肩を震わせる。
「も、申し訳ありません!」
「謝る事じゃないさ。…孫でもなければ娘でも、おっと、隠し子とか隠し孫でもないぞ。私の元部下の娘を預かっているんだ。」
「そうなんですか?」
 少しほっとして、青年はため息をつく。
「じゃあ、あの、最近のお使いで頼まれたものは……」
「当たり前だろう?…あの子のものを買ったに決まってるじゃないか。それとも、ミスター・ジャクソン。…まさか、僕が何か危ない事でもし始めたんじゃないかと疑った口じゃないだろうねえ。」
 にやりと笑いながら、少し睨むように青年を見てやると、彼は怯えて首をすくめた。
「…め、め、滅相も無い。」
「それならいいけどねぇ。」
 ファンドラッドは、今度は心底愉快そうに微笑みながら青年を眺めた。世の中には単純な人間が何と多い事だろうとファンドラッドは思った。
(いいねぇ、退屈しなくってすむよ。)
 ジャクソンは、まだ動揺しているらしく、その動きが妙にかくかくしていた。
「ジャクソン君。まるで、アンドロイドみたいだねえ。」
 笑いながら、ファンドラッドはそんなことを言ってやった。



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©akihiko wataragi






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