Zekard・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003



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  ケイン候補生のご相談


  
 やばいやばいやばい……
 士官学校一年目のケイン=サヴァンは、早くも危機に立たされていた。今は後期の終わり頃、つまり、学生にとってはテスト期間がそろそろ終わる頃であり、本気で成績の心配をしなければならない時期である。
 学校の中庭には緑の多い休憩所が設けられている。ケインにとっては、いちゃつくカップルで満たされているときに、それに絡みながら歩く場所でもあるのだが、今回は珍しくカップルも、中庭で休む学生も少なかった。それは、彼にとってはいいことだ。なにせ、今、ケインは、木陰で一人煙草を吸っている男に頭を下げている途中なのだから。
 木陰にすわるのは、白い髪の紳士風の男で、額から右の目の下まで、薄く切り傷が走っている。そのせいで視力が失われているらしいのだが、その上に青いカラーの入った片眼鏡をはめていて、実際はよくわからない。
 士官学校の教官の中でも、やや変わり種の彼の事は結構有名だ。柔らかな物腰の割に、少しを近づけさせないような、冷たい雰囲気を備えている為、彼に近寄る学生はあまりいないようだ。ケインは普段は、そうも思わないし、そんなに恐くもないのだが、今日はかなり恐い存在だと言えるかもしれない。
「……さて、私に直々の相談事とは何かな?」
 早くも、真っ黒い笑みを浮かべている彼の教官のラグレン=ファンドラッドは、限界寸前だ。もちろん、彼はケインが、何を頼みに来たのか予想できているのである。だから、こんな境界線が見えそうな笑みを浮かべているわけで。
「あ。あのう、教官は、教養の外国語Uの担当をなさっておられましたよね」
「そう、君が最初の一回しかでなかったあれだね」
 にんまりと微笑んで、ファンドラッドは、妙に震える手つきで煙草をくわえて火をつけた。ジジジ、と不気味に焦げる煙草の音が、ケインの恐怖をさらに駆り立てる。
(ま、負けるなオレ……! な、なぁに、相手は仮にも教官さ、殺されはしないって!)
 ケインは素早くもみ手しながら、しゃがみ込んだ。
「あの〜、教官って、こう、風流をご理解される方だとご存じあげておりましたが」
「敬語の使い方から学んだほうがいいんじゃないのかい、リトルケイン」
 一言目から反撃をくらい、やや戦意をぐらつかせたケインだが、いやいやと首を振る。ここで負けるわけにはいかないのだ。もし、留年でもしたら、今まで問題も起こしているし、うっかり一年目にこれを口実に退学させられたらまずい。
「すんません。それは後日あらためますといたしまして、実はですね……」
「要するに、外国語Uの単位を落とすと、年間で足りなくなることが判明したのだね」
「そ、そういうことです」
 ファンドラッドは、にんまりと笑ったまま、表情を変えない。煙草の煙だけが静かにあがっていく。
「ということは……」
 ケインにとっては、相当長かった沈黙を破り、ファンドラッドは口を開く。指を動かしたついでに、煙が揺らいでケインの顔にかかりそうになる。
「……率直に言うと、君は一度しか出ていない授業の単位が欲しくて、僕に泣きつきに来た訳かな?」
「ええっとぉ……そのお……」
「しかも、そのたった一回の授業の三分の二を眠って過ごした君が、単位取得を主張したがっているのだね?」
「いやあ、そういうこともありましたっけ?」
 真面目に出ただけでも勘弁してほしい。だが、ファンドラッドの笑顔は、相当ひきつっている。これは、下手をするとまずい。いや、もう後にはひけない。 
「実にいい度胸しているなあ」
「い、いやあ、度胸がないやつは、士官候補生なんてやってられないっすよ。オレって、大物になるかも、なんて言われたりして……」
「へえ〜、そう」
 ファンドラッドは、深く煙を吸って吐き出し、色つきの片眼鏡をかけた方の瞳で、睨むように彼を見る。いや、彼はそちらの目が見えていないらしいので、そう見えるだけなのだろうが、ばっちり睨まれたような気がして、ケインは背筋を伸ばした。やれやれ、と、ゆったりと身を動かしたファンドラッドは、少し優しげに微笑んだ。
「ケイン、君、この学校やめて、どこかの星で傭兵でもやったらどうかね。その方が確実に、君の将来の為に……」
「そそそ、そんなあっ! すみませんすみません!」
 告げられる冷淡な言葉に、慌てて頭を下げる。
「お願いです。わかってるでしょ、教官。オレ、ここを追いだされたら、街の不良決定ですよ! オレが将来、マフィアの幹部かなんかになってもいいっていうんですか!」
「……その方が出世できていいじゃないか。多分、そっちのが給料がいいんじゃない」
「教官が、オレを悪の道に引きずり込もうとする! いいんですか! そういうこというと、オレは本気に……!」
 ケインがどれだけ盛り上げても、今度はファンドラッドは、完全に無視して、一人で煙草をたしなむばかり。ううう、と唸り、ケインはため息をついて、ふてくされたように横に座り込んだ。
「チェッ、相変わらずですね、教官は!」
「……ちゃんと勉強しない君が悪いんだよ」
「講義があればさぼりたくなるのが人情じゃないですか」
 仏頂面でそんなことをいいながら、何か口の中でぶつぶつと言っている。聞こえないが、それが自分への文句だということをしっているファンドラッドは、にやにやと笑った。
「でも、私は比較的、君の面倒は見てきたつもりだよ? 君が喧嘩で補導されたりすると、迎えにいったのは私じゃないか」
「そりゃーそーですけどー」
「何か不満でもあるのかな?」
 ケイン=サヴァンは、身よりらしい身寄りがない。一応、遠い親戚のものが後見になっているが、かといって必要以上に彼に関わらないし、関わりたがらない。だから、何かあるたびに、ファンドラッドが面倒を見ていた、という事情があるのだった。
 ケインは、観念したように肩をすくめた。
「わかりましたよお。諦めます」
 ケインは、がくりと肩を落としながら言った。これで、きっと、留年決定だ。だとしたら、お金もないし、このまま退学になってしまうのだろう。あああと、ため息をつきつつ、ケインはファンドラッドを見た。
「……でも、教官って……」
 ケインは、言おうか言うまいか迷いつつ、しかし、どうせ学校をやめるなら、このクソジジイとも会うこともないのだろうし、と思って、今ぐらいしか言う機会もないだろうとも思う。
「この際はっきり言っておきますけど、良くわかんない人ですよね」
「何が?」
「何がって、気が短いんだか、長いんだかわかんないし」
 言いながら、ケインは今日もそうだよな、と口を尖らせる。
「何か、ガキみたいな事で腹たてたり、急に冷静になったり……、なんだか年齢が読めないんすよね」
 あっ、と声を上げて、ケインは慌てて口を押さえた。明らかにファンドラッドが黙り込んだのだ。
「べ、別にオレ、悪口で言ってる訳じゃないんすよ。ただ、ちょっと……その、教官は、他の人とはちょっとお変わりになっている感じでいらっしゃるので」
 ファンドラッドは、黙ってケインを見ていた。その表情があまり読めないのでケインはそろそろ不安になってきた。
(いかん、やっぱり、怒ってるんじゃねえか! 退学前に、雷が落ちるのかよ! ……オレ、もしかしてまずいことばかりしてる?)
 ケインがさあーっと青ざめたとき、いきなり、ファンドラッドはにんまりと微笑んだ。びくうっと首をすくめるが、ファンドラッドはそれ以上は何も言わず、煙草をくわえて煙を吐くばかりだ。
「まあ、君の窮状はよくわかった」
 ふとファンドラッドがいい、慌ててケインは居住まいを正した。
「はい。切羽詰まっております」
 ファンドラッドは、急ににやりとして、おもむろに煙草を口から離した。
「ああ、そういえば、買ってくるのを忘れたなあ」
「は?」
 いきなり言われて、ケインはきょとんと彼を見る。ファンドラッドは、煙草を挟んだ指を軽く振った。動きにつられて煙がゆらゆらと不規則にぶれる。
「これ一本で終わりだったといったんだ。困ったなあ、買いに行くのは面倒だなあ」
「あ、あのう〜」
 ケインは、そろうっと顔をあげた。
「……あの、それ、わたくしめがお使いにいってきましょうか?」
「そうだねえ。……君がおごってくれるのかい?」
「はい、もちろんです」
 ファンドラッドは、にっこりと微笑んだ。
「だったら、そうだね、君にも何かいいことがあるかもしれないな」
「いい、こと、と言いますと具体的には?」
 ケインがそうっと顔を寄せる。ファンドラッドはすっとぼけた顔で言った。
「そうだね、あの講義落としたなあと思っていたら、評価ぎりぎりで助かったりすることも……」
「あるんですかあっ!」
「さあ、僕は占い師じゃないから、未来のことは断言できないさ」
 ファンドラッドはそういって、近寄ってくるケインを反対の手ではらった。ケインは、慌てて立ち上がると、びしりと敬礼した。
「いかせていただきますっ!」
「あ、言っておくが、一番高いのだから」
「了解!」
 頭で財布にいくら入っていたか計算しつつ、ケインは慌てて走っていく。足は速いケインの姿は、どんどん遠ざかって小さくなっていく。それを見やり、ファンドラッドは、煙草をくわえ直してくすりと笑う。
「単純な奴だ。……それと、聞き忘れていったんじゃないか」
 角を曲がって姿をけしたケインを見やり、彼がすでにそれをきいていないのを承知で、わざとファンドラッドは少し大きな声で言った。
「……ただし、問題集三百問の課題をやりきればの話だが……というのを付け加えるつもりだったんだが」
 ファンドラッドは、楽しそうに、空に上がる煙を見ていた。


 その年、ケインはどうにかこうにか、ぎりぎりの成績で進級することができた。休んでばかりの彼が、どうして進級できたのかということについては、よく噂になったが、結局真実がどうであったのかは知られていない。



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©akihiko wataragi
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