ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

第11話:羅針盤-1
 
 そうっとドアを開ける。フォーダートは足音を忍ばせて、部屋から出た。まだ少し頭は痛いが、とにかくここから早く逃げなければならなかった。
 あの悪魔が来る前に――。
「どこに行く。」
 後ろから不意に声をかけられ、フォーダートは飛びずさって後ろを向く。そこには、中年の男が元から目つきの悪い目をさらに悪くしたまま立っていた。すでに目が据わっているのだ。
「アレキサンドラ!」
 フォーダートは、反射的に背を壁につけた。
「や、やっぱり、てめえだったのか! このマッド医者!」
 医師、ウィリアム=アレキサンドラは、にんまりと微笑んだ。
「ふっふっふ。やはり貴様か。…久しぶりだな。」
 なんだか少し陰鬱な笑い声を立てながら、アレキサンドラは一歩フォーダートのほうににじり寄る。
「よくわかったな、完全に気絶してたくせに。」
「あんた、自分の怪しいオーラに気づいてねえのかよ、特徴訊けばすぐわかるわ!」
 それで逃げようとしていたんだから、とフォーダートは口には出さずに付け加えた。
「よ、寄るなよ! オレはもう大丈夫なんだから! あんたの手荒い治療なんて、絶対に受けねえからな!」
「顔色が悪い患者をほうっておくわけにもいかん! 医者のつとめだ!」
 ぎらんと、アレキサンドラの目が怪しく光った。また一歩にじり寄ってくる。
 アレキサンドラの手荒い療治は有名な話である。一度目はいいが、二度目の診療から患者がやってこなかったり、またはアレキサンドラの留守中にやってくることが多い。早い話、手荒い診察にびびった患者が逃げているのだ。だから、滅多にないチャンスなのである。割合に重傷な割りに、手荒くやっても平気そうな、このフォーダートは……。
「ええい、オレは治ったって言ってるだろうが! ちょっと頭痛いだけだ!」
「それは治ってないというのだ! マリアを呼ぶぞ、貴様!」
「ちょ、ちょっと待て!」
 アレクサンドラの脅迫に、フォーダートはさっと顔色を変えた。
「そ、そんな卑怯だぞ! あ、あの子は……」
「だったら、診察させろ!」
 アレクサンドラはすでに勝ち誇ったような笑みを見せている。フォーダートは唸った。マリアの前に姿をさらすのは、未だに気が引けていたのだ。
(気絶しとくんだった! あと二日ぐらい眠っておけばこんな事には!!)
 追い詰められ、フォーダートは心の中で丈夫な自分を少し呪った。


 仕方なく、手荒い手当てを受け、フォーダートはまだぶつぶつといっていた。
「これで、しばらくは大丈夫だな。」
「オレは頭が痛いんだよ! なのに、あんたの治療なんか受けて、もっと痛くなったじゃねえか!」
 フォーダートはふてくされたように言った。実際は、包帯をかえて、鎮痛剤をもらったぐらいなのだが、アレクサンドラはわざとでなくても、十分作業が荒っぽいので、普通に手当てされるよりも、色々と痛い目に合わされるのだった。
「大体、頭痛いし、ふらふらするし…。」
「それは貧血だろうが。」
 さらりと答えられ、フォーダートはむっとする。アレクサンドラは、見かけよりもずいぶんと子供っぽい態度に出ているフォーダートを眺めながら、感慨深げに嘆息した。
「まさかまだ死に損なっているとはおもわなかった。総体的に運が悪いのに、悪運だけどうしてこんなに強いのか。奇跡的だな。」
「うるせえな、…ほっといてくれ。」
 すれた少年のような口をききながら、フォーダートは顔を背けた。そして、不意に思い出したのか、そうっと、少しだけ控えめにこう訊いた。
「ところで、…マリアは……」
「ああ、元気にしているが、この前の事でお前を思い出したらしくて元気がない。」
 貴様のせいだ。と、アレクサンドラの目が言っていた。フォーダートは仕方なくため息をつく。
「そんなこと言われても、今のオレなんかに会っても…。…オレがこんな堅気じゃねえ生き方してるなんて、あの子には…」
 柄にもなく、フォーダートは落ち込んだように言った。アレクサンドラはとっとと片付けながら、フォーダートのほうに目を向けた。
「会わせるとは言ってない。」
 アレクサンドラは、短く言った。
「お前の事は言っていない。ただ、生きてるかもしれんといってある。」
「じゃあ、すまねえ。当分そういうことにしておいてくれよ。」
 フォーダートは、頬杖をついたまま少しだけ寂しげにいった。アレクサンドラは別に何も言わなかった。ただ、ひたすら自分のかばんの中を整理している。
 まさか、こんなヤクザな生き方をしている姿を、あの純粋な娘に知られたくない。見栄かもしれないが、幻滅されるのだけはいやだった。
 何となくため息をついて、フォーダートは天井を見上げた。答えないということは、アレクサンドラもわかっているということだ。あれでも、アレクサンドラは、その辺りの心情を理解してくれているらしい。
 悪いやつではないのはわかっているし、一応恩人だとは思っているが、それでもフォーダートは基本的に、このアレクサンドラが苦手だ。嫌いという意味ではなく、こういう強引で、勢いだけで喋る男は、彼のよく知るある男を思い出させるからである。自分で振り切って出てきたはずなのに、どこかで後悔しているところがあるのだろうか。
(あのオヤジどうしてんのかなあ。)
 どうせ、変わらず元気なのだろうとは思うが、ふと彼も心配になることがある。自分より背の高い彼と、その横にいる冷たい美人の取り合わせを思い浮かべると、フォーダートはため息しかつけなくなるのだった。

 
 とうとう朝になった。
 アルザスとライーザは、ヨハンの用意してくれた朝食を食べ終え、ソファの上でくつろいでいた。そうしながら、これからどうするか、話し合っていたのだった。
 まずは逆十字だ。安否すらわからないし、それにあの軍艦の上で捕まっているかもしれない。どうやって調べたものか。
「まずは港に出てみる?」
 ライーザがそういったが、アルザスはうーんと唸った。
「でも、奴らの追っ手がうろうろしてたら、見つかるかもしれないぜ。」
「それもそうね。」
 ライーザはいい案がうかないらしく、ため息をついた。
「なんだかお困りのようね。」
 と、アンヌの声が聞こえた。上を向くと、相変わらず黒い服を着た無表情の女性が、ドーナツのようなものをお皿にのせてやってきていた。
「朝食は終わっているようだけど、ついでにどうかしら?」
「ありがとうございます。じゃいただきますね!」
 と、ライーザが礼をいい、そっと手を伸ばしかける。アルザスは、未だにこの無表情なアンヌに遠慮がちだが、ライーザは案外普通に接している。女性同士だからか、それとも憧れてしまっているからなのか、その辺りはよくわからない。
 と、不意に、玄関のほうでどたばたという物音が聞こえた。ライーザはドーナツを取るのをやめて、そちらに注意を向けた。アンヌも、物音がしたほうに顔を向けている。
「どうしたのかしら?」
 すべて見通しているような瞳のままのアンヌに、その台詞はいささかふさわしくなかった。アルザスは立ち上がり、たっと駆け出した。
「ちょっと扉のほう見てくる!」
「あっ、ちょっとあたしも!」
 ライーザも慌てて後を追った。
 玄関から死角になる位置にそっと身を潜める。玄関のほうに、誰かが立っているようだった。従業員達は、みな、警戒に満ちた顔をしていた。
「別に荒っぽいことをしにきたわけじゃないよ。」
 少しだけハスキーな高い声が聞こえた。
「周りで噂を聞いてね、それでちょっと聞きたい事があるんだよ。」
 そっと覗くと、そこにいたのは意外にも一人である。しかも、そんなに屈強な感じではない。どちらかというと女性的な容貌に、くるりと巻いた金髪の、一見した感じ、本当に女性ではないかと思うぐらいの美青年だった。
 ただ、そこにいるの青年の腰には、長い剣が吊り下げられているし、綺麗な顔立ちの中で、何か猛獣を思わせるような瞳が、野性的に輝いている。初対面のフォーダートほどではないのだが、何となく、不穏な感じの青年だった。特に、見た目とその目つきのギャップが激しいためだろう。
「オレは子供を捜してるんだ。二人、女の子と男の子だ。」
 まだ用心しているらしい目の前の男たちに微笑みかけながら、青年言った。
「知らないといえば?」
 ヨハンが、いつになく鋭い目をして彼に言った。青年は、軽い苦笑いをうかべた。
「そんなに警戒されてるとは思わなかったぜ。その二人に単に伝言があるだけだよ。」
 ヨハンと従業員達五人ほどが、そこでその青年を取り巻いている。目的が自分達だと知って、少なくともどきりとしたのだが、その青年の顔に全く見覚えがないので、アルザスもライーザも顔を思わず見合わせた。
「…なんだ、あいつ。」
「さあ、…でも、堅気って感じじゃないわよねえ。」
 それに何となく違和感のある青年だ。と、ライーザは直感的に思った。どんな違和感だといわれても、少し答えにくいのだが、確かに違和感がある。
「名前は名乗るよ。そのくらいの礼儀はあるしさ。まさか、ヨハン=シャーディのお宿に来る羽目になるとは思ってなかったんだよ。」
 青年はそういい、自分を示した。
「ゼルフィス=ハルシャッドってえのがオレの名前だ。うちのオヤジがテルダーの旦那さまとは懇意にさせてもらってたはずだけど。」
「ハルシャッド船長の…」
「ああ、あんた、「ヨハン=シャーディ」さんだね。お久しぶりといったほうがいいかな。といっても、あんたはオレの事を覚えておいでじゃないだろうねえ。」
「…ハルシャッド様のお坊ちゃんなら覚えていますが…」
 通り名ヨハン=シャーディを久々に言われ、やや戸惑いながらヨハンは彼を見た。お坊ちゃんといいながらも、ヨハンが言いよどんだのは、彼が当時の事をよく覚えているからである。だが、その戸惑いを気にせず、ゼルフィスはいった。
「逆十字ってやつから頼まれたんだ。危ないとおもったら、別にあんたが同伴してもいいんだぜ。」
 『逆十字』の名前が出て、思わずアルザスは飛び出した。ヨハンが少しためらうような顔をしたが、アルザスにつづいてライーザまでが玄関まで飛び出してきた。ヨハンは、後ろでアンヌがこれを見ている事を知っている。そのアンヌが止めないということは、そこそここの二人の安全が保証されているという事である。これ以上止めても仕方ないし、しばらく様子を見る事にした。
 そんな事とは知らないだろうゼルフィスは、飛び出してきた二人をじっと見た。
「逆十字っていったよな!」
「ああ、そうだよ。ああ、そうか、あんたがアルザスって子かい。オレはゼルフィス=ハルシャッド。逆十字からの伝言を預かってきたんだよ。」
 アルザスよりもかなり背の高いゼルフィスは腕組みをしたままそういった。顔だけはいくら女性みたいだといっても、そうして見下ろされるとかなり迫力がある。
「あんたが?」
「ああ、一応、証明になるようにって本人からもらってきたよ、これ。」
 そういってゼルフィスが差し出したのは、フォーダートが持ち歩いている短剣である。
「た、確かに。」
 アルザスは、この前、戦い方を教えてもらったときに、それを持たせてもらったので、そこに彼がわざと入れている傷の位置を把握していた。確かにそれは、フォーダートのものである。
「で、でも、あんたは――」
 信用できるのか、とアルザスは、口に出さずに疑わしげにゼルフィスを見上げる。
「おっと、一人前に疑うんだな。じゃあ、もう一つ証明のために伝言を。」
 ゼルフィスはにっと笑い、ライーザのほうを見た。
「あんたに言ってたよ。なんか、あのスカーフは色が落ちなくて使い物にならなくなったから、新しいのを買うからそれで許してくれって。」
 ライーザがはっと顔を上げた。確か、あのスカーフのことは、フォーダートとアルザスしか知らない。ゼルフィスは、少し首をかしげた。
「これでオレを信用する気になってくれたかい?」
「そうね。…わかったわ。ね、アルザスも。」
 ライーザが早々に判断を下して、横にいるアルザスに言う。そういわれてはアルザスもこれ以上疑えない。こくりと頷いた。
「じゃあ、オレと一緒に港に来てくれ。あいつは自分の船に帰ってるはずだよ。」
 ゼルフィスは笑いながらそういい、きびすを返した。そして、慌ててヨハン=シャーディの方を向くと、軽く礼をする。
「騒がせたね。…テルダーと奥さんに非礼をわびておいておくれ!」
 ヨハンはまだ少しだけ呆然としながら、しかし、慌てて頷いた。歩き始めたゼルフィスの後ろを、すでにアルザスとライーザが追いかけ始めていた。
 
 
 キィスは、朝から港の船が気になって少し調べに行っていたようだ。幸い船は無事で、安堵の表情で彼が戻った頃には、すでにアルザスとライーザは、ゼルフィスについていった後であった。
「なんだ、あのガキ共はもう出発したのか?」
 ヨハンにおおまかな話はきいていたのであろう。ゼルフィスの事が気にかかるのか、キィスは釈然としない顔をしていた。そのまま、アンヌと反対側のテーブルに着き、ヨハンが運んできたコーヒーを口にする。湯気が立つカップからは、いいにおいが漂い、朝からせわしなく動いてきた彼に少し安らぎを与えてくれた。
「あとで挨拶にくると言ってましたよ。」
 アンヌは答え、同じコーヒーをゆっくりとのんでいる。
「ハルシャッド船長の息子と名乗る方が連れて行ったようですわね。」
「ああ、ヨハンからきいたが…息子か…。」
 キィスが怪訝な顔をした。
「ハルシャッドには、男の子がうまれなかったはずだがな。」
 キィスはそういいながら、髪の毛を軽くかきまぜた。
「…隠し子がいたんじゃありませんか?」
 アンヌがとんでもないことをふっという。
「そういうタイプではなかったと思ったが…」
 キィスはぶつくさと呟く。生真面目な彼には、まさか先ほどの不穏なアンヌの発言が、彼女なりのジョークの一つだとは思わなかったようだ。
「……あいつの子どもは、確か女の子が一人だけだったはずだったがな。果たしてその息子という男、信頼できるのか?」
 ぽつりと言ったキィスの言葉をきき、なぜかアンヌはうっすらと微笑を浮かべた。
「どうした?」
 キィスは首をかしげる。アンヌは、いいえ、とつぶやき、それからこういった。
「…船に女というのは、いつの時代でも嫌われるものでしょう…。私も、あの頃は、男物の軍服をきていたものでしたわね。」
 言われてキィスは、大戦時代、アンヌが男装して戦っていた事を思い出した。確かに、海に出るものにとって女性が船にのることはあまり好かれない。アンヌの場合は、おそらく、荒くれ共を統率する意味もあったのだろうが、古来から女海賊というのは女性であることを隠しながら船に乗る。見た目からは区別がつかないのが普通である。
「海の上の娘は、いつの時代も苦労するものよ。…ハルシャッド船長の子供なら、けして卑怯な真似はしないでしょう。だから、私は安心してあの子たちを行かせたのよ。」
 それをきいて、驚いた様子のキィスを尻目に、アンヌは意味ありげにうっすらと、ほんの少しだけ微笑を唇に乗せた。


 
 
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©akihiko wataragi.2004
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