ならず者航海記・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 四章:嵐の夜

 5-1.遠ざかる船
 
「どきなさい!」
 ライーザは、声を上げて機関銃を構えた。兵士達がうっすらと笑みを浮かべる。
「よせよ。撃ち方もわからないんだろ?だから、大人し…」
 いいかけて兵士は絶句した。ライーザは、その少女らしい細い腕で、あっさりと安全装置をはずしたのだ。ライーザは抑えた声で言った。引き金にかけられた指が微かに震えていたが、それは声には出なかった。
「なめるんじゃないわよ。海の上の治安は最低なんだから。自分の身を自分で守る方法ぐらいしってるわ。」
 だが、それでもまだ、兵士は彼女が本当にそれを撃つとは思っていなかった。一歩近づく。今度は、彼女は容赦なく引き金を引いた。
 ズダダダダという連続音が響き、兵士の一メートル先の足元に銃弾が撃ち込まれる。慌てた兵士が腰を抜かしてさかさまにひっくり返ったのを見て、ライーザは引き金から手を離す。
「動かないでって言ったわ!」
 ライーザは強い口調で言った。
「そのまま…動かないで!」
 彼女はそういい捨てると、そのままそっと後ろに下がる。そして、そのまま全力疾走に走り抜ける。目にたまった涙を左手の甲で乱暴にぬぐって、それでもライーザは止まらずに走った。
 
 ジェックは、脱出法を教えてくれた。甲板には脱出用のゴムボートがあるという。もしダメでも、ライーザは倉庫からライフジャケットを持ち出してきていた。甲板さえ出れば、外さえ見えれば、海にさえ出れば…、彼女はとにかくこの船からは出ることが出来る。船から出ても命の保障にはならなかったが、鳥かごの中にいて死を待つよりはどれほどいいだろう。ライーザはジェックに礼を言った。
「でも、君、一人で大丈夫かい?」
 ジェックは心配そうだった。
「僕が人質になっていたほうが…。」
「あなたにこれ以上、迷惑はかけられないわ。」
 ライーザは首を振る。
「もし、あたしに協力なんて事がばれたら、あなた、降格だけじゃすまされないわ。」
 そういって、ライーザはにこりと笑った。
「安心して。何とか逃げ出して見せるわ。あなたも、どうか無事でね。」
 ジェックは、仕方なくうなずくしかなかった。確かにこんなことがばれたら、下手したら銃殺ものである。心配そうに、彼は言った。
「…どうか、無事でね。」
「ええ。」
 微笑んでライーザは、ジェックから離れ、遠ざかっていく。
「妹さん、大事にしてあげてね。」
 小さい声でそう付け加え、ライーザはジェックと別れた。ジェックは、彼女が颯爽と走っていくのを、しばらくずっと見送っていた。
 そして思った。やはり、家に帰ろうと。
 
(甲板にさえ出れば、甲板にさえ!)
 ライーザは何度も繰り返し、そして懸命に走る。追っ手はいないだろうか。船内はジェックに教えてもらってはいたが、甲板までの道はあまりにも遠く、あまりにも長かった。不思議なのは、警備の兵隊がほとんどいなかったことで、ライーザはやすやすと甲板に続くはしごに手をかけることが出来たのである。
 
 煙でくすぶったような匂いのする、視界の悪い甲板で、フォーダートは、それでも兵士を近づけなかった。だが、どうやら彼は相手の急所を避けて撃っているらしかった。それが、アルザスに対しての遠慮なのか、彼がかねてからいう「甘さ」であるのか、アルザスには今のところわからない。
「どうすればいい?」
 アルザスは少し焦って尋ねる。銃声と叫びやおめきのせいでロクに声が聞こえない。
「あーん?何だって!?」
 フォーダートは聞きながら、いつの間にかダイナマイトを手にしている。あのかばんの中には、そんな危ないものも用意していたのか、とアルザスは感心ともあきれともつかない驚きを感じた。それにライターで火をつけて、フォーダートは向こうめがけて思い切り投げつけた。
 途端に悲鳴が上がり、兵士達が蜘蛛の子を散らすように四散する音が聞こえた。
「おい、気をつけろ。何かの破片がとんでくるかもしれねえぜ。」
 大声でアルザスに注意して、フォーダートは鉄製のコンテナの壁に身をかがめる。すさまじい爆発音とともに、閃光がコンテナの壁の向こうで起こった。敵もさるもので人的被害はないようだったし、フォーダートもそんなに爆発力のあるようなものを持ってこなかったようだ。船もそんなに被害を受けていない。だが、とにかく、彼らはまた、兵士がこちらに近づいてくるのを阻止したのである。
「で、なんだって?」
 平然としてフォーダートがたずねた。
(無茶しやがるなぁ。このおっさん。)
 アルザスは心の中でやはりこいつはイカレてるなと毒づき、それから大声でたずねた。
「ライーザは、どうやって助けるんだ!」
「あぁ、それはちょっと待ってくれ!今、考えてんだ!」
 そう他人事のような口調でいって、フォーダートは、レボルバー式の拳銃から薬きょうを捨て、新しい弾丸を詰めた。アルザスはその態度にどうも煮えきらなさを感じ、むっと彼を睨む。
「考えてるようには見えないぜ!」
「撃ちながら考えてんだよ!」
 アルザスに睨まれた手前、フォーダートは笑いながら明るく答えたのだが、本当は、彼自身、どうしたものか迷っていたのである。当初の予定がちょっとずれてしまった。仕方のないことだが、もし、本当にあの少女が逃げたのなら、何という無茶をやる娘だろう。
(まったく、じゃじゃ馬っていうのはああいうのを言うんだな。)
 苦々しく思ったが、とにかく、彼女を助けるしか方法はない。
 煙がだんだんと晴れてくる。向こうを見ると、相手は確実に減っていた。おそらく、レッダーが減らしたに違いない。後ろから回るためか、それとも…。
 考えをめぐらすまでもなかった。
「待て!やはり、話し合いをしよう!」
 レッダーは、最初の一撃で彼を殺せなかった以上、この奇襲が失敗であることに気づいていたようだ。フォーダートは胸をなでおろし、少しだけ顔をのぞかせた。作戦ではないようだ。フォーダートに地図を燃やされては元も子もないことを、彼は知っている。追い詰めれば、燃やされる危険は高まる。それに、『羅針盤』のこともあるのだろう。アルザスから羅針盤のことを直接聞かねばならない。羅針盤を手に入れた男は、とっくの昔にこの世にいない。その事を、レッダーは知っているはずだった。
 だから、どうしてもレッダーは慎重にならざるを得ないのである。フォーダートは、その事を良く知っていたので、ここは有利になると思った。
「よし!じゃあ、あの子をさっさと連れてきな!」
 フォーダートは、銃口をのぞかせたまま、レッダーに向かっていった。
 その時、いきなり、彼らのいるコンテナと兵士達のバリケードの間にある船室のドアが開いた。今は、静まり返り、少し強風の吹き始めた甲板に長い金髪が流れる。緊迫の中、そうっと現れたのは、その場には似つかわしくない、青い目の少女だった。
「ライー……!」
「よせっ!馬鹿!」
 アルザスが思わず顔を覗かせて叫びかけ、慌ててフォーダートがそれを小声で遮った。だが、もう遅かった。ライーザはアルザスに気づいたのである。
「アルザス!」
 よほど嬉しかったのだろう。ライーザはいささか、無防備になっていた。彼女は、レッダーと兵隊達が控えているのにも気づかず、彼らに簡単に背を向けて走り出した。重い機関銃と弾薬の詰まったベルトを肩からかけていたのに、それを考えもなく捨ててしまった。
(あぁ、なんて事を!)
 フォーダートは、直感的にこれはまずいと思った。このままでは、ライーザが人質に取られてしまう。予想通り、レッダーは一瞬狼狽した顔をしたが、すぐに頭の中で作戦を立て直しているらしい。そういう顔をしていた。
(足を止めたら、完全に的になる。どうすれば……)
 どうしたらいいかと迷っているうちに、フォーダートは気づいた。
 薄い太陽の光の下、鈍い光を反射している銃口。レッダーの後ろである。素早く視線を走らせる。
(あの野郎!)
 マファル大尉だった。煮え湯を何度も飲まされた彼は、先走る感情を抑え切れなかったらしい。狙いはライーザだった。彼の全身からは殺気のようなものが漂っていた。あれは、脅しではない。殺すつもりだ。
「あの馬鹿ッ!」
 フォーダートは吐き捨て、飛び出した。マファルの引き金は引かれようとしている。そして、ライーザはまっすぐにアルザスの元に走っていく。
 アルザスはフォーダートの動きで、危険に気づいた。
「ライーザ!!」
 思わず叫ぶ。ライーザは、その声を警告とは受け取らなかったのか、驚いた顔で足のスピードを緩めた。
 その瞬間、ライーザは背中から、何かに突き飛ばされ、前のめりに甲板に転んだ。直後、銃声がした。銃声は正確には二度した。悲鳴が上がり、誰かが倒れる音がする。
 ライーザは、不意に顔をあげ、立ち上がった。向こうでマファルが左足を押さえてうめいていた。自分の前にはフォーダートが立っている。銃口が煙を噴いていた。
「あ、あなた…。」
 生きていたの。といいかけて、ライーザは彼の様子がおかしい事に気づいた。ふらりと後ろによろめき、フォーダートは振り返りざま、ライーザの肩をつかんだ。つかまれた手の力の入り方がおかしい。思い切り力を入れているようで、しかも指先ががくがくと不自然な震え方をしていた。
 ちょうど横に一つ、鉄製のコンテナがある。フォーダートは、その影に素早くイーザを押しやった。それから、自分もその横に倒れこんだが、何もしゃべらなかった。息が荒く、どうも様子がおかしい。
 ライーザは心配そうに彼の方を伺った。
「どうし……!」
 声をかけようとしたライーザはフォーダートの顔を見て息を呑んだ。
 彼の顔は真っ青になっていた。それだけでなく、しろいシャツに赤いまだらの模様が出来ていたのだ。
「ちっ。はずした…。オレもやっぱり…ちょっと腕が落ちた、かな。」
 フォーダートは自嘲まじりに苦笑するとうめくように吐き捨て、右手で左肩をおさえた。右手の指の間に、赤い色が広がる。
 おそらく、彼はあの時、マファルの急所を狙っていた。相手を殺す気で彼が引き金を引いたのは、おそらく今日はコレが初めてだっただろう。だが、狙いははずれた。マファルが撃たれたのは、左足だ。フォーダートの銃が火を噴く前に、マファルはすでに引き金を引いていた。ライーザをかばったために、引き金をひくのが一瞬遅れたのだ。
 ようやくライーザは状況を把握した。全てが自分のせいだとわかると、ライーザの顔から、一瞬にして血の気が引いていった。
 フォーダートは、上半身を少しだけ持ち上げてコンテナの壁に頭をもたれさせた。歯ががちがち鳴り、全身を走り始めた痛みが頭に響く。右手はすでに血だらけになり、傷口からふきだす血は左腕を伝って甲板にしみを作り始めている。力が抜けていくようだ。
(前にもあったな、こんなこと…。あれはいつだっけ)
 そんな事を考えながら フォーダートは、もしかしたら死ぬかもしれない。という絶望的な思いが頭をよぎっていくのを感じた。寒い。銃を握ろうにも力がほとんど入らない。
 向こうで銃撃の音が始まった。いずれ、レッダーはここにやってくるだろう。一瞬、もうどうでもいいじゃないか。と、何かが囁きかけてきたような気がした。ここで諦めれば、これ以上痛い思いはすることはないのだから。と。 
「だ、大丈夫?ね、ねぇっ!」
 不意に少女の声が聞こえ、フォーダートは、我に返った。ライーザが、動揺した様子でフォーダートを覗き込んでいた。目には涙がたまっている。
「大丈夫なの?」
 ライーザが責任を感じているのは、その表情をみれば瞬時にわかった。ここで、彼が何も言わなければこの少女はきっと自分を責める。錯乱するかもしれない。フォーダートは、無理に笑顔を作った。
「だ、大丈夫だ。」
 そう言って見せたが、その顔は言葉とは裏腹に青く、唇がしろくなっていた。声もかすれていた。無理をしているのは、隠せてはいなかった。
 
 
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